第13話「オセロ」
「今日こそ勝つからね」
かおりんが宣言するように言って、テーブルの上に白と黒のオセロ石を並べていく。リビングの灯りが少しだけまぶしくて、石の表面がちらりと光った。
「いいけど、前もそう言って負けてた気がするけど?」
私がにやりと笑うと、かおりんはぷくっと頬をふくらませた。
……可愛い……姉を悶絶死させる気か……
「それは戦略が甘かっただけ!今日はちゃんとYouTubeで“オセロ最強戦法”って調べてきたから!」
「おぉ、ついに理論派に?」
「うん!理論と直感の融合だよ!」
――なんて言ってるけど、実際にはかおりんの「直感」が9割以上なのは、私もよく知ってる。
オセロの盤面は、まだ石が4つ置かれただけ。中央に黒白白黒。私が黒。かおりんが白。ルールも説明もいらない、私たちの間では、すでに勝負が始まっていた。
*
「……そこに置くの?」
「うん!」
序盤、かおりんの選んだ手は、悪くない――というか、少し驚かされるような一手だった。
「へえ、どうしたの?なんか強そうじゃん」
「ふふふ、動画で見た“挟み打ち優先”作戦!」
「なんか名前はそれっぽいね」
でもその「挟み打ち優先」も、慎重に見極めなければ、あっという間に自滅する。私は手元の石を軽く回しながら、少しだけ間を置いて角の近くを取った。
「うわっ、それずるい~!角取られるのって地味にダメージくる!」
「こう見えて、しおりんは角取りマスターですから」
「ふふふ」
盤面の石が少しずつ増えていく。最初はぽつぽつとお互い譲らないように打っていたが、中盤に入ると一気に石の色が反転し始める。
「うおっ、まって、今の手で5枚もひっくり返された……!」
「だから言ったじゃん、調子に乗ると危ないって」
「でも大丈夫、これは想定内!“中盤で攻めさせて、後半で逆転”っていう作戦!」
「……その作戦、名前だけ先行してない?」
私が冷静に返すと、かおりんは口をとがらせながらも、盤面をじっと見つめていた。
かおりんの視線は、盤の右側。どうやら、次の一手を真剣に考えている。
「……ここ!」
小さく石を置く音。ぱちん。
私は少し眉を上げた。
「悪くないじゃん。いい位置」
「でしょ?」
「でも、私がここに置くと……」
私が静かに黒を置くと、盤面の流れが変わる。
「うわ、そっちが全部黒になっちゃった!」
「これが“静かなる包囲”ってやつよ」
「そんな名前、初耳なんだけど!」
*
ふたりの手は、もう迷いのない動きになっていた。
パチン、パチン。石を裏返す音が、リビングに響く。
テレビもスマホも切った静かな部屋の中、聞こえるのは二人の息遣いと、石を打つ音だけ。
「しおりん、ずるいな……そうやって、いつも静かに勝つじゃん」
「静かに勝ってるように見えるだけで、実は内心すごい焦ってるんだよ?」
「うそだあ」
「ほんとだって。かおりんの手、最近、冗談抜きで鋭いから」
「……そっか」
かおりんの表情が少し引き締まる。
でも、それも一瞬だった。
「じゃあ、もっと鋭くしてみるね!」
言いながら、かおりんが一手を指す。
その瞬間、私は心の中で小さく舌打ちした。
「えっ、その手は……」
「ふふふん」
「角、取られた……」
「しおちん、角取りマスターじゃなかったの?」
「返上します……」
盤面のバランスがかおりん寄りに傾いた。ひっくり返された石の列が、じわじわとこちらの黒を飲み込んでいく。
「ちょっと、マジで強くなってない?」
「わたし、今日のために練習したもん。しおりんとまた勝負したくて」
その一言が、心のどこかをちくりと突いた。
かおりんは笑っていたけど、その奥に、ちょっとだけ寂しそうな影が見えた気がした。
「……じゃあ、負けるわけにはいかないな」
私は姿勢を正して、盤面を睨みつけた。
中盤終盤――そして最終局面へ。
石はもう、互いに置けるマスが限られていた。選択肢は少ない。だからこそ、集中が必要だ。
「ここ……!」
かおりんの白が、私の黒を三方向から飲み込む。
「さすがにやばい……!」
「ふふふ、今のとこ、白が多いんじゃない?」
「まだ終わってない!」
次の一手。私は少しだけ、ためらいながら置いた。
ぱちん。
「うそっ、それ取れるの!?」
「……狙ってた」
かおりんの石が、一気に5つ、6つと裏返った。残り数マス。盤面が再び動く。
「うう、やばい……」
「最後は……ここ!」
そして、最後の一手。
すべての石が盤面を埋め尽くし、静かにゲームは終わった。
しばし沈黙。
私が数え始める。
「1、2、3……23、24……」
かおりんも、自分の白を数える。
そして――
「白が……31、黒が……33」
「……えっ、勝った?」
「うそ、ほんと?」
ふたりで同時に再確認する。
数える。数える。そして、確信する。
「……しおりんの勝ちだ」
「うおおおおおおっ……!やった……!」
私はその場でバンザイしそうになるのを必死にこらえた。手汗でオセロの石がちょっと滑るくらい、実はずっとドキドキしていた。
「かおりん、でもすごかったよ。ほんと、あとちょっとで負けてた」
「ううっ、悔しい~!」
「でも、めちゃくちゃ強くなってるよ。あの手、マジで焦った」
「……じゃあ、また明日リベンジする!」
「え、連戦!?もうこの精神戦で疲れたんだけど……」
「ふふっ、わたしのファーストキスをかけてもいいよ」
「……よし、明日もやろうか」
ふたりでオセロの石を片付けながら、私たちは自然と笑っていた。




