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第12話「ドロケイ」

高校を卒業してから、時間の流れが少しだけ変わったと思う。


大学の入学式まではまだ少し先。バイトも始めていないし、特にこれといった予定もない。最近覚えたばかりのスマホをいじったり、動画を観たり、本を開いては閉じたり。友達とも少しずつ距離ができて、昼間の空白がぽっかりと空いている。


だから、今はちょっとだけ――妹――かおりんの時間だ。


「ねえ、しおりん、退屈だよ」


リビングで毛布にくるまっていたら、かおりんがひょこっと顔を出してきた。部屋着に着替えて、髪はゆるく結んでいる。この子のちょっとだけ大人っぽくなった姿を見るたび、時の流れを感じる。


……かおりんもわたしと同じように退屈なんだな……


春休みになってから妹の友達もちょっと疎遠になっているようだ。


「ゲームでもやる?またフォー〇ナイト?」


「うーん、今日は違うの!」


かおりんがぱっと笑顔になって、言った。


「ドロケイやろ!」


「……ドロケイ?あの、外でやるやつ?」


「そうそう、でも今日は家の中で!」


「家の中で……ドロケイ?」


「うんっ!"ドロケイ・イン・ハウス"だよ!」


――なんだそれ。


一瞬、吹き出しそうになったけど、かおりんの真剣な表情と、なによりその楽しそうな目を見て、私の中にふっと灯がともった。


「ふふっ、じゃあ、ルール説明してもらおうか」


「任せて!」



家限定ドロケイ:ルール説明

プレイヤーは二人。警察(ドロボウを追いかける側)と泥棒(捕まらないように逃げる側)に分かれる。


家の中限定。使える範囲は、リビング、廊下、洗面所、寝室。キッチンとお風呂場は安全地帯(入れば一時的に無敵)。


泥棒は10分逃げきれば勝ち。警察はその間に泥棒に「タッチ」できれば勝利。


見つかっても、泥棒は「3秒静止チャレンジ」で逃げられる(目を閉じて3秒静止、警察が正確にカウントできなければ成功)。


捕まったら罰ゲーム。冷蔵庫のアイス、おごり!



「なにそれ、けっこう本格的じゃん」


「でしょ?ルール、今さっき考えた!」


「完全に今考えたのか……でも、面白そうかも」


「じゃあ、やる?」


「やろう。警察は私で」


「わー、しおりんが追いかけてくるなんて怖い~」


家の中が、急にアスレチックに変わる。


廊下の電気を消して、リビングの灯りだけにすると、影が深くなって、ちょっとだけスリルが増す。かおりんが勢いよく逃げ出して、私はリビングの時計を見て、タイマーを10分にセットする。


「タイムスタート!」


小学生のころのドロケイとは違って、今はもっと静かで、もっと緊張感がある。どこかに隠れたかおりんの気配を探しながら、私は廊下をそっと歩く。


……物音ひとつしない。


寝室の扉が少しだけ開いている。慎重に覗くと、かおりんの髪がクローゼットの影にちらっと見えた。


「……そこだっ!」


「ぎゃあああ!」


私はすかさず飛び込んで、タッチ。


「ほら、つかまえた!」


「くっ、早すぎ……まだ3分しか経ってないじゃん!」


「アイス、いただきました!」


「うう……悔しい……!」


それでも、かおりんの目はキラキラしていた。まるで小学生のころに戻ったみたいに、無邪気に笑っていた。


「じゃあ、今度はわたしが警察ね!」


「いいよ、逃げ切ってみせる!」


「ふふ、あなどるなよ?」


再戦。今度は私が泥棒役。懐中電灯を片手にしたかおりんが「タイムスタート!」と叫んでゲームが始まる。


押し入れに隠れたり、ソファの後ろに身を潜めたり。キッチンへ走って一息ついたり。あちこちに気配を感じながら、頭をフル回転させてルートを考える。家の中って、こんなにスリリングだったっけ?


「しおりーん、見えてるぞ~!」


「え、うそっ……!」


寝室のベッドの下から這い出そうとした瞬間、かおりんが現れて、私は思わず飛び出す。


「逃げろーっ!」


「待て~!おしおきだ~!」


まるでコントみたいに走り回って、ソファの横でつまずいて転びそうになる。


「つかまったっ!」


「……くっ……」


「じゃあ、アイスふたつね♪」


「この勝負、恐るべしかおりん……」


「ふふん、これで一勝一敗だね」


かおりんがアイスを冷蔵庫から取り出しながら、どや顔で言った。勝者の余裕、というやつだろう。袋を開けると、棒アイスがぴょこっと顔を出す。


「はい、しおりんには2本分の借りがあるからね」


「まって、それ冷凍庫ルール的にアウトじゃない?私のお気に入りの分まで……」


「勝負の世界は非情なのです!」


くそう……どっちが大人かわからないな……


私はソファに沈み込みながら、アイスの棒を受け取る。


「……で?このまま終わるわけないよね?」


「もちろん!」


かおりんの目が、キラッと光る。


「さぁ、3戦目だ!」



今回は、私が泥棒、かおりんが警察。


タイマーがスタートする前から、かおりんは謎の準備を始めていた。


「え、なにしてんの?」


「戦略配置中」


「なにその物騒な言い方」


洗面所の入り口にはクッションが立てかけられ、廊下にはスリッパが横一列に並べられている。明らかに“引っかけ”を狙ってる。


「完全に罠やんこれ!」


「わたしの名は“トラップ警察・かおりん”。逃がしませんよ?」


「ふふふ、舐めてもらっちゃ困るな。こちらは“頭脳派泥棒・しおりん”」


「それ、さっきつけたでしょ」


「イメージが大事なの」


冗談を交わしながらも、ふたりとも目つきは真剣。


タイマー、スタート!


「いくよ!」


「来いっ!」


私はすばやくリビングを抜け、物音を立てずに廊下を通る。スリッパトラップは予想通り。ふわっと足を浮かせるように飛び越えた。


……ふっ、こんなもの――


「はいそこーっ!」


「え、はやっ!」


廊下の物陰から、かおりんがにゅっと現れる。まるでマンガのワンシーンみたいな動き。反射的に洗面所へ逃げ込む。


「セーフ!」


「うわっ、安全地帯か……ちぇ」


洗面所の洗剤の匂いがやけに清々しい。


「ふふん、ここまでは計画通り」


「ま、いいよ。タイマーは進んでるからね?10分逃げきれるのかな?」


私はそこから寝室に向かってダッシュ、と思わせて急旋回、クローゼットの中に身をひそめる。奥に入ると、毛布や冬物がごそっと体に触れて、ちょっと落ち着く。


数十秒後、廊下を歩く足音が近づく。


「しおりーん?」


かおりんの声。静かに、でも甘く。


「どこかな~?またベッドの下かな~?それとも、キッチンでアイスでも?」


足音が近づく。気配が目の前に。


「……あれ?」


足音が遠ざかる。今だ――!


私は音を立てずにクローゼットを抜け、今度はソファの後ろへ。


「あと3分……!」


息をひそめる。時計の音が、やけに大きく聞こえる。


しかし――


「いた!」


「うわっ!」


背後から、柔らかくも鋭いタッチ。


「はい、捕まえたー!」


「まって、なんでわかったの!」


「しおりん、アイス食べたあと、冷たいの我慢してたでしょ?手の跡、クッションについてたもん」


「そんなん名探偵じゃん!」


「警察ですから!」


「くぅぅ……!」



「よーし、ついに2勝目~♪」


「もうこれ罰ゲーム大会じゃん……」


「じゃあ、もう一戦しよ?今度はしおりんが警察」


「よし、追い込んでやる……!」


私は、台所のキッチンタイマーを10分にセットしながら、今度こそ勝ちにいくと心に誓った。


「タイマー、スタート!」


かおりんは全速力で廊下を駆け抜ける。


「無音ダッシュじゃん……忍者かあの子……」


私はすぐには追いかけず、まずは部屋の電気を確認。薄暗くすると、動きがより見やすくなる。リビングの照明を落とし、廊下の先にそっと立つ。


一歩。二歩。まるで映画のワンシーンのように、気配で探る。


寝室の引き戸がわずかに開いている。


「……いるな?」


私は音を立てないように、そっと戸に手をかける。


――しかし、そこにいたのは、クッションだけ。


「やられた……フェイントか!」


急いで洗面所へ。すると、シャワーカーテンの向こうに人影が。


「ついに追いついた!」


だが――


「3秒静止チャレンジ!」


「うっ!」


かおりんは、カウント中の私の目の前で、ぴたりと動きを止めた。薄暗い洗面所で、静かに目を閉じるその姿は、なんだか神聖にすら見える。


「1……2……3」


「セーフ!」


「むぐぐ……!」


再び逃げ出すかおりん。時計を見ると、残り2分。


私はすべての安全地帯を封鎖しつつ、最終追跡モードへ。


「かおりーん……?」


「あっ」


「見っけ!」


ソファの後ろ、ぴょこっと覗くつま先。


最後の力を込めて突撃!


「タッチー!」


「うわぁー!くやしいー!」


「やったああああっ!」


私はソファに倒れ込みながら、大きく息を吐いた。


「はあ……これ……運動だよね」


「うん……ダイエットになるかも」


ふたりして、ゼーゼー言いながら笑う。


「じゃあ、アイス……半分こね」


「え、また食べるの?」


「これがドロケイ・イン・ハウスのルールだから!」


アイスを割って、ソファで並んで食べる。冷たいバニラの甘さが、汗ばんだ体に染みわたる。


「ねえ、しおりん」


「ん?」


「こういう春休みも、悪くないね」


「うん……悪くない」



そしてその夜、寝る前。


「ねえ、しおりん」


「ん?」


「……いつか、家を出ても、ドロケイしようね」


「え?」


「LINEとか通話とか使って、タイマーとか、場所とか、全部家の中じゃないかもしれないけど」


「……それってもはや、ドロケイじゃないのでは」


「いいの!心が逃げてるか、追ってるか、それだけで十分!」


「ふふっ……じゃあ、かおりんが指名手配されたときは、ちゃんと追いかけるよ」


「ふふ、絶対だよ?」


「うん、約束」


そのまま、私はかおりんの頭をぽんぽんとなでた。眠る前のあったかい時間。何気ない一日だったはずなのに、たった数時間のドロケイで、こんなにも心が満たされるなんて。

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