第100話「クリスマス前」
街はもう、完全にクリスマスの色をしていた。
駅前のイルミネーションは、空気の冷たさを逆に強調するみたいに白く光って、改札を出た人たちの顔をきらきら照らしている。
スピーカーからは、どこかで聞いたことのある定番の曲。赤と緑の装飾。ガラス越しに見えるツリー。
――なのに、わたしは一人だ。
コートのポケットに手を入れて歩くたび、指先が少しずつ温まっていく。
吐く息が白い。肩の力を抜くと、冷たい空気がすっと肺の奥まで入ってきて、胸の内側を落ち着かせる……はずだった。
(落ち着くわけないよね)
今日は、しおりんのプレゼントを探しに来た。
クリスマスまで、あとわずか。
わたしの頭の中ではその言葉が、アラームみたいに鳴り続けている。
ただのプレゼント。姉妹の。
そう言い訳できるものを、きちんと探して、きちんと渡したいだけ。
……だけど。
ブラックフライデーの日、店の出口で人波に押されそうになって、しおりんが当たり前みたいに手を伸ばしてきたこと。
わたしがその手を握り返して、指が絡んだ瞬間、何かが決定的に変わってしまった気がしたこと。
帰り道に寄った子どもの頃の公園で、寒さをごまかすふりをして抱きしめ合ったこと。服の上からでも分かった体温と、相手の呼吸が近くなるだけで、心臓がうるさくなる感覚。
あれは、きっと「姉妹だから」だけじゃない。
わたしは、それを知ってしまった。
ショッピングモールの自動ドアが開く。
暖かい空気と、甘い匂いがふわっと押し寄せた。
ポップコーンの香り。コーヒー。焼き菓子。冬のショッピングモールって、どうしてこう、気持ちを浮かれさせる匂いがするんだろう。
わたしは案内板の前で立ち止まって、フロアマップを見た。
(……まずは雑貨屋。無難に……無難にいこう)
自分に言い聞かせる。
無難。軽い。重くない。
しおりんが受け取っても困らない。気を遣わない。
そういうもの。
雑貨屋の中は、きらきらした小物でいっぱいだった。
ガラスのオーナメント、雪の結晶の飾り、星形のライト。
小さなスノードームが棚にずらっと並んでいて、ひとつひとつに小さな世界が閉じ込められている。
手に取って、軽く振ってみる。
白い粒がふわっと舞って、ゆっくり落ちていく。
(……かわいい。けど、しおりんはこれ、飾るかな)
頭の中で、しおりんの顔がすぐ出てくる。
机の上、ノート、ペン、資料。
ふざけて笑うときは派手なのに、普段は意外とシンプルを選ぶ人。
だから、こういう「飾り」は、合わないかもしれない。
隣の棚にはマグカップ。
赤いリボンが巻かれたもの、サンタ柄、猫柄。
手に取ってみた瞬間、わたしは想像してしまった。
朝、しおりんがそのマグカップで温かい飲み物を飲んでいるところ。
眠そうな目で、前髪を指で払って。
「かおりんも飲む?」って、何気なく言って。
その「何気ない」が、今のわたしには怖いくらい嬉しい。
胸がきゅっとなって、慌てて棚に戻した。
(だめ。想像が、勝手に進む)
次は文房具屋へ逃げ込むみたいに入った。
整然と並ぶペン、ノート、付箋。インクの匂い。
ここなら、しおりんに合うものがある気がした。
万年筆のコーナーで、落ち着いた色の一本を見つける。
持ったときの重さがちょうどいい。
派手じゃないのに、ちゃんと綺麗。
でも、値札を見て、少しだけ息をのんだ。
高すぎるわけじゃない。でも、「特別」に見えてしまう。
(特別……にしたいの? わたし)
胸の奥で、誰かが突っ込む。
わたしはその問いを、見ないふりをして、ペンをそっと戻した。
次はアクセサリーショップ。
入った瞬間、光が違う。
ガラスケースの中のネックレスが、照明を受けてきらめいている。
ピアス、リング、細いチェーン。
どれも綺麗で、どれも「だめだ」と思った。
(これを渡したら、意味が出ちゃう)
姉妹でも、友達でも、贈れるもの。
でも、わたしの場合、そこに余計な気持ちがくっついてしまう。
“似合うと思った”
“つけてほしいと思った”
“見たいと思った”
そういうのって、たぶん、プレゼントじゃなくて……願いだ。
お店から出るとき、鏡に映った自分の顔が、少し赤い気がした。
誰にも見られてないのに、バレたみたいで恥ずかしい。
(落ち着け、かおりん)
深呼吸。
モールの廊下を歩く。
すれ違う人たちは、友達同士だったり、恋人同士だったり、家族連れだったり。
笑い声が当たり前にあって、誰かと並ぶことが自然みたいで。
わたしはひとりなのに、頭の中はずっとしおりんでいっぱいだった。
ふと、スマホがポケットの中で重い存在感を出した。
メッセージアプリを開きかけて、やめる。
(“今どこ?”って聞かれたらどうするの)
“プレゼント探し”って言えばいい。
でもそれを言った瞬間、しおりんの笑い声が想像できてしまう。
「え、わたしに? なにそれ可愛い」って、絶対言う。
その一言で、わたしの心臓は死ぬほどうるさくなる。
だから、開きかけた画面を消して、また歩いた。
*
本屋の入口に立ったとき、ようやく胸が少し落ち着いた。
紙とインクの匂い。
人がいても静かで、時間の流れが少し遅い場所。
新刊コーナーには、クリスマス特集の棚ができていて、ラッピングの見本や、カードのコーナーまである。
“贈り物に添える一言”みたいな小さな本も並んでいた。
わたしはその棚の前で立ち尽くしてしまった。
(添える一言……って)
書けるわけない。
書いたら、全部出ちゃう。
わたしの中にある、言葉になりきれない熱とか、怖さとか、欲張りとか。
でも――目に入ったエッセイ集の表紙が、なぜか優しく見えた。
淡い色で、派手じゃなくて、でもあたたかい。
手に取って、ページをめくる。
短い文章がいくつも並んでいて、どれも日常のことばかり。
「朝の匂い」とか、「冬の窓」とか、「誰かの笑い声」とか。
その中に、ひとつの言葉があった。
――「好きな人のために選ぶ時間は、すでに贈り物だ」
胸の奥が、じんわり熱くなった。
目の奥も少しだけ。
(ずるい。こんなの、反則)
わたしは慌てて瞬きをした。
本を閉じて、表紙を見つめる。
“これなら”と思った。
しおりんは本を読む。
それに、言葉を大事にする人だ。
座道の「極意」とか言いながら、変な格言を増やして笑わせるくせに、たまに、本当にまっすぐな言葉をくれる。
その人に、言葉の本を渡すのは、変じゃない。
……変じゃない、はず。
隣の棚に栞が置いてあった。
星の形の、控えめなもの。
きらきらしすぎない、小さな光。
(これなら、重くないよね)
自分に言い訳する。
でも、栞を選ぶ指先は、やけに慎重だった。
レジで本と栞を渡すと、店員さんがにこっと笑って、
「ラッピングしますか?」と聞いてくれた。
その言葉に、胸がまたきゅっとなる。
「……はい、お願いします」
ラッピング用の袋が選べると言われて、赤いのと、白いのと、紺色のが並んだ。
わたしは少し迷って、紺色を選んだ。
(しおりんっぽい色)
袋に入れられて、リボンが結ばれていく。
手際よく整っていく“贈り物”を見ながら、わたしの心の中だけが、全然整わなかった。
*
外へ出ると、空はすっかり夜だった。
イルミネーションが、昼よりも強く光って見える。
冷たい風が吹いて、わたしは肩をすくめた。
プレゼントの袋を抱え直す。
手の中にあるのは、ただの本と栞。
なのに、ものすごく大切なものを抱えている気がした。
(渡すとき、どんな顔するかな)
笑うかな。
「えー、なにそれ、かおりん可愛い」って言うかな。
わたしが怒ったふりをしたら、さらに笑うかな。
そして、いつもの声で――「ありがとう」って言うのかな。
その想像だけで、胸がいっぱいになる。
歩きながら、ふと自分の影を見た。
イルミネーションの光で、影が少し長く伸びている。
ひとり分。
でも、頭の中はずっと、ふたり分だった。
(わたし、しおりんのこと……)
言葉にすると、怖い。
でも、言葉にしないと、苦しい。
だからわたしは、心の中だけで、そっと言った。
(好きなんだ)
姉として、だけじゃなく。
妹として、だけでもなく。
それを認めた瞬間、胸の奥がぎゅっと痛んで、でも同時に、あたたかいものが広がった。
寒いのに、泣きそうなのに、なぜか少し救われる。
クリスマスまで、あと少し。
答えが出るわけじゃない。
関係が変わるわけでもないかもしれない。
それでも。
“渡したい”と思った。
“喜んでほしい”と思った。
“忘れないでほしい”と思った。
それって、もう十分、特別なんだろう。
わたしは歩幅を少しだけ速くして、家へ向かった。
冷たい夜の中で、プレゼントの袋のリボンが、かすかに揺れた。




