第10話「ボウリング」
桜のつぼみが、もうすぐ開きそうに膨らんでいる。
今年も、春が来た。
――そして、卒業式も終わった。
校庭で撮ったクラス写真は、まだ制服を着ているのに、どこかみんなもう「高校生じゃない顔」をしていた。
私は、いつも通りの笑顔で写っているけれど、胸の奥は少しだけソワソワしていた。
帰宅して制服を脱ぎ、パーカーに着替えて階段を降りると、リビングから妹の声がした。
「おかえりー、しおりん卒業おめでと!」
中学を卒業したかおりは、少しだけ背が伸びて、言葉遣いも落ち着いてきた。
けれど、こうやって無邪気に笑う顔は、中学生の頃と、何も変わっていなかった。
私は苦笑しながら彼女の頭をなでてやる。
「ありがと。卒業したからって、偉そうにしないよ?」
「わかってるって……最近昔の夢を見たんだ……しおりんはずっと、わたしの“しもべ”だって」
「うへえ、思い出したのか……その設定……」
リビングには、焼きたてのクッキーの匂いと、家族の柔らかい気配が流れていた。
*
その日の夕方。
ピンポーーン
玄関のチャイムが鳴いた。
「しおりー!来たよー!」
声の主は、クラスメイトで親友の真菜とえりか。
この3人で、ずっと一緒だった。
「遅かったじゃん、もうちょっとで寝るとこだった」
「寝るな!高校生ラストデーに!」
「ほら、ボウリング行くんでしょ?行こうよ!」
騒がしい友達たちに半ば引っ張られながら、私は外に出ようとした。――そのとき。
「わたしも行っていい?」
階段の上に、かおりんが立っていた。
制服じゃなくて、白いニットとプリーツスカート。
いつのまにか、私の知らない服が似合うようになってる。
「え? かおりんも来たいの?」
「……だめ?」
ちらっと真菜とえりかを見ると、二人は顔を見合わせて、同時にニヤッとした。
「ええやん、妹ちゃん。今日はお祝いだし!」
「うんうん、しおりの妹ってだけで許される可愛さしてるし!」
「やめて、ハードル上がるから……」
顔を赤くするかおり。だけど、どこかうれしそうだった。
そして私も、内心うれしかった。
“あのかおりん”が、こんなふうに一緒に出かけられるようになるなんて。
「じゃあ、行こっか!」
*
行先は〇ウンド1。カラオケ、ボウリングなど総合的になんでもできる施設だ。
てっきり、カラオケに行くのかと思ったら、ボウリングに行くというので少しホッした。
……歌はちょっと苦手なのよねえ……おまけに流行りの歌は良く知らないし……
「カラオケじゃなくてよかったねえ。しおりん」
こりんがそっと耳打ちしてくる。
……バレていたか……
ボウリン場は平日の夕方だけあって空いていた。
靴を履き替え、スコア入力して、いざスタート。
「じゃあ1番手、かおりん!」
「えっ、いきなり!?って、なんで"かおりん"って呼び方知ってるの?」
「えーーしおりに聞いたしーー」
……あっ、少しふくれてる……我が家だけの呼び方だしね……
「さあ先輩に花を持たせるチャンスよ!」
「ええ~~~」
両手で軽くボールを抱えるように持ち、少しだけ腰をひねってから、スッ……と投げる。
――カランカラン!
「わあっ、なんか当たった!」
「かおり、ストライクじゃん!」
「えっ!?ほんとに!?」
「こいつ……持ってるな……」
真菜とえりかが爆笑しながら、私の肩を叩いた。
「かおりん、しおりより強くない?」
「それ、褒めてる?」
「うん、ある意味で尊敬してる」
私は苦笑しながらも、かおりんを見る。
楽しそうにスコア表を覗き込んで、手をぱたぱた動かしてる。
――この子、どこでこんなに成長してたんだろう。
*
ゲームが進むにつれて、自然とチーム戦になっていた。
しおり&かおり vs 真菜&えりか。
「しおりん、さっきのはよかったでしょ?惜しかったよね」
「全部ガーターだったからね?」
「でも、フォームはよかったと思うよ。うん、形は美しかった」
「うーーん、まあいっか」
軽口を交わしながら、ボールを投げて、失敗して、笑って。
やがて、全10フレームが終了。
結果は――
「勝ったーーーーー!!」
かおりんが手を上げてジャンプした。
「……やばい、うちの妹、天才かもしれない」
「いやほんと、あのフォームからの連続スペアって何!?」
「やばいよ、今度一緒に大会出ようよ」
「うそでしょ!?」
えりかたちに囲まれて、かおりんはちょっと照れながら笑っていた。
*
ボウリング場を出た頃には、空はすっかり群青色に変わっていた。
風は少し冷たく、けれど指先にはまだ、ボウリングの余熱がじわりと残っている。
「ちょっと、歩いて帰ろっか」
駅まではバスでも行ける距離だったけど、なんとなく、急ぎたくなかった。
「……うん」
かおりんも頷いて、私の隣に並ぶ。
大きなショッピングモールの横を通って、線路沿いの細い道を抜けていく。
夜の道は静かで、街灯のオレンジ色が、歩く私たちの影を長く伸ばしていた。
「……なんか爪割れちゃってる……」
「えっ!ちょっと見せなさい……あらあ……」
爪先がちょっと割れて血がにじんでる……大事な妹の手を……ボウリング玉ゆるすまじ……
「しおりんさ」
「ん?」
いつまでも手を握っていると、かおりんが照れくさそうに話しかけてきた。
「……今日、誘ってくれてありがとう」
「いや、誘ってないし。勝手についてきたじゃん」
「えへへ、たしかに。でも、嬉しかったのはほんとだよ」
言葉の温度が、ちょっと高かった。
そう言われて、私も照れくさくなる……握ってる手が少し暖かくなった。
「……なんかさ、こうやって一緒に出かけるの、いつぶりだろ」
「ちゃんと“遊びに行く”って感じは久しぶりかもね」
笑いがこぼれる。
「でも、ほんと変わったよね。背も伸びたし、顔も大人っぽくなったし、今日の服も似合ってた」
「ほんと?」
「さすがもうすぐ高校生だね。うん。ちょっとだけ“妹感”なくなってきたかも」
「えーーそれは困る」
「えっ?」
「妹じゃなくなるのは嫌だよ」
……お姉ちゃん号泣させる気か!……
会話の間に、小さな風が吹く。
まだつぼみのままの桜の枝が、かすかに揺れていた。
「でもさ」
かおりんがポツリとつぶやく。
「この春から、高校生だよ。制服も新しくなるし、クラスも知らない人ばっかりだし……」
「不安?」
「……ちょっとね」
その言葉には、ほんの少しの震えがあった。
私は足を止めて、かおりんの方を向いた。
「大丈夫だよ」
「根拠ないし」
「あるよ。しおりんの予言です」
「……なんだそりゃ」
うまく言えないけど、本当にそう思ってた。
「ねえ高校生活、たのしかった?」
「うん。たのしかったよ。悩んだこともあったけど、でも……全部、いい思い出になった」
「じゃあ、わたしも楽しめるかな」
「絶対、楽しめるよ」
私はそう言って、かおりの頭をなでた。
成長しても、変わっても。
この手のひらのぬくもりだけは、きっと変わらない。
「それに、困ったら言って。お姉ちゃんが助けてあげるから」
風が、ふたりの前髪をふわっと持ち上げた。




