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13話 希望の裏に潜む影

「着いたよ」

 文太郎は病院から少し離れた駐車場の片隅に車を滑り込ませ、エンジンを切った。助手席の恭子と後部座席の池澤に静かに声をかける。薄暗い車内には緊張が漂い、外からは遠くで響く風の音だけが聞こえていた。

「お父さん……無事かしら」

 恭子の声は小さく、不安に震えていた。文太郎は彼女の横顔を見つめ、その瞳に宿る心配を少しでも和らげようと、わざと明るい声で応えた。

「きっと大丈夫だよ」


 三人は車を降り、足音を忍ばせながら病院へと近づいた。闇に浮かぶ病院のシルエットがはっきり見えてきた瞬間、低く唸るような声が耳に届いた。表門に目をやると、十匹ほどのゾンビが群がっている。自動扉は開いたままだったが、入り口には椅子や机、ベッドが積み上げられ、簡素なバリケードが築かれていた。ゾンビたちはその障害物を拳で叩き、執拗に中へ侵入しようとしていたが、なんとか押しとどめられているようだ。


 文太郎は周囲を注意深く見回した。闇の中、ゾンビの気配を探る。「どうやらゾンビは病院の表門以外にはいないようだな」と呟く。名戸ヶ谷病院の一階は全面ガラス張りだが、強化ガラスのおかげでゾンビが割ることはできないらしい。三階建ての建物全体の窓にはブラインドが下ろされ、内部の明かりが外に漏れないよう工夫されていた。それでも表門からは光が漏れ、そのわずかな輝きにゾンビが引き寄せられているようだった。

「表門側は化け物でいっぱいだ。だけど親父が言うには、裏口には化け物はいないって話だ。裏に回るぞ」

 池澤が低い声で二人に告げた。


 文太郎は頷き、ワゴン車のトランクからガンケースを手に取った。「よし、裏に回ろう」

 恭子が真剣な眼差しで文太郎を見つめる。「文太郎くん、頼むわね」

「ああ」

 文太郎は自信ありげに頷いたが、心の中は不安で押し潰されそうだった。


(ゾンビだけじゃなく、須藤や武装した奴らもいる。早くこの町から逃げ出さなきゃ)

 その思いが頭を支配していた。

 恭子がその不安を見透かしたように、少し心配そうな顔で文太郎を見つめる。彼は彼女の視線を受け止め、心に火を灯した。

(俺は絶対に恭子と生きてこの町を出る。そのためなら何だってする……いや、しなきゃならない!)

 三人は病院の裏口にたどり着いた。池澤がポケットから携帯を取り出し、短く電話をかける。「親父、俺だ。裏口に着いた。鍵を開けてくれ」

 電話を切るや否や、裏口の鍵がカチリと鳴り、扉がゆっくり開いた。そこから現れたのは、白いドクターコートを羽織った五十代ほどの男性だった。


「徹、早く入れ。友達も一緒か?」

 三人は急いで中へ滑り込む。

「徹、無事でよかった。来るのが遅かったから心配したぞ」

 池澤を「徹」と呼ぶその男性は、池澤の父親らしい。医者とは思えないほど筋肉質な体躯で、細身で神経質そうな典型的な医者のイメージとはかけ離れていた。おそらく若い頃にスポーツに打ち込んでいたのだろう。

「ああ、悪りぃ。あちこち化け物だらけでさ、正直ダメかと思ったぜ」と池澤が答える。

「君たちが車で徹を連れて来てくれたのか。私は徹の父親の義和だ。ありがとう、お礼を言わせてくれ」

 義和が文太郎と恭子に頭を下げると、池澤が恥ずかしそうにそっぽを向いた。「親父、恥ずかしいからやめろよ」

「徹、何だその言い方は。この二人の車に乗せてもらえなかったら、ここまで無事にたどり着けなかったかもしれないんだぞ」

「んなことねえよ」

 池澤は不機嫌そうに呟き、目を逸らした。


 恭子が一歩前に出て、義和に尋ねる。「池澤先生、すみません。この病院に私の父が入院していると思うんですが、どこにいるかご存知ありませんか? 名前は吉田純一です」

 義和は少し考え込む。「う〜ん、何科の患者さんだろう? とりあえず、患者さんには部屋から出ないように伝えてあるから、病室が分かっていればそこにいるはずだよ」

「そうなんですね! ありがとうございます」

 恭子はホッとした表情で礼を言い、文太郎に振り返った。「文太郎くん、お父さんのところに行きましょう!」

「ああ」

 二人は恭子の父親の病室へ向かうべく動き出した。

「お、おい! 恭子、待てよ! 俺も行くよ!」

 池澤が慌てて声を上げたが、恭子は軽く無視して歩き続ける。

「徹、お前は母さんのところへ行きなさい。母さん心配してるぞ。こっちだ」

 義和が池澤を呼び止め、彼は渋々父親に従った。

 恭子と文太郎は階段を上り、二階にある病室へと急いだ。

「お父さん!」

 恭子がドアを開けると、ベッドに横たわっていた男性が顔を上げた。

「恭子! 無事だったのか! 電話が通じなくて心配したぞ。良かった、本当に無事で良かった」

 純一が涙を浮かべながら恭子を抱きしめる。恭子も涙をこらえきれず、「ごめん、途中で携帯が壊れちゃって。でもお父さんも無事で良かった!」と声を震わせた。文太郎はその光景を静かに見つめ、ここまで無事にたどり着けたことに心から安堵した。

「お父さん、こちらは伊達文太郎くん、私の同級生なの。伊達くんが私をここまで連れて来てくれたのよ」

 恭子が文太郎を紹介すると、彼は純一に丁寧にお辞儀をした。

「伊達くん、娘を守ってくれてありがとう。心から感謝するよ」

 純一の言葉に、文太郎は恐縮しながら答えた。「いえ、当然のことをしたまでです。気になさらないでください」

 恭子と目が合い、二人は小さく頷き合った。


「お父さん、ちょっと話したいんだけど、いい?」

 恭子が真剣な口調で切り出す。

「あ、ああ、もちろんいいよ」

 純一は少し戸惑った顔を見せた。

「お父さん、突然だけど、私と伊達くんと一緒にこの町から出て欲しいの」

 恭子の言葉に、純一は目を丸くした。

「なんだって! 恭子、何を言ってるんだ。外は化け物だらけだぞ! 外に出るなんてとんでもない。ここにいた方が安全だ。ニュースで見たんだが、もう数時間もすれば自衛隊と米軍がこの町に突入するらしい。悪いことは言わない、ここで助けを待とう」

「お父さん、聞いて。怖いのは外の化け物だけじゃないの。私たちを狙うもっと恐ろしいものがあるのよ」

「何? 化け物より恐ろしいものだって? それは一体何だ?」

 純一の声に驚きが混じる。

「須藤圭一よ。彼が私たちの命を狙ってるの」

 恭子の言葉に、純一は絶句した。

「な……恭子、お前、まだあんな不良と付き合ってたのか? 父さん反対しただろう?」

 純一の声に怒りが滲む。

「お父さん、そうじゃないの。聞いて」


 恭子はこれまでの経緯を一気に説明した。須藤が化け物と化し、武装した男たちを引き連れて町を徘徊していること。そして自分たちがその標的になっていることを。

「なんてことだ……まさか須藤がそんな化け物に……それに武装した男たちだって? そんな奴らが恭子たちを殺そうと狙ってるのか!」

 純一は信じられないといった表情で呟いたが、すぐに冷静さを取り戻そうとする。「だが、そんな化け物がいるならなおさらここにいるべきだ。もうすぐ自衛隊と米軍が来る。ここで待つのが賢明だろう」

「いいえ、私たちがここにいたら病院の人たちに迷惑がかかる。武装した男たちや圭一が来たら、バリケードなんて意味がないわ」

 恭子は必死に訴えた。

「う〜ん、しかし……」

 純一は決断を迷っている様子だった。すると、文太郎が口を開いた。

「恭子、確かにお父さんの言う通り、この病院で助けを待つ方がいいんじゃないか? 自衛隊がすぐ来るかもしれない」

 だが恭子は首を振った。「文太郎くん、違うの。私の勘だけど、自衛隊を待ってたら私たちは助からないわ」

「何で?」

 文太郎が不思議そうに尋ねる。

「圭一はお父さんがここに入院してるのを知ってる。あいつは絶対ここに来る。それに、さっきすれ違った自衛隊みたいなトラック、あれ怪しかった。あのトラックが奴らのものなら、もうすぐ近くにいるはずよ」

 恭子の声には確信が宿っていた。


「う〜ん、でもあのトラックが軍用かどうかはっきり見えたわけじゃないし……ただのトラックかもしれない。俺は確信が持てないよ」

 文太郎は迷っていた。純一の情報で自衛隊と米軍が来ると知り、正直ここに留まる方が安全に思えてきた。

 今度は純一が恭子を説得し始めた。「恭子、たとえ三人で逃げたとしても、そいつらから逃げ切れると思うかい? 話を聞く限り、そんな相手は俺たちじゃ手に負えないよ。ここで助けを待とう」

 だが恭子は迷わず答えた。「大丈夫。伊達くんがいれば、私たちは絶対に生きてこの町を出れるわ」

「……何だって? 確かに恭子をここまで無事に連れてきたのは伊達くんのおかげかもしれないが、彼は高校生だぞ。スーパーマンじゃないんだ」

 純一は娘の突飛な発言に呆気に取られた。

「大丈夫よ。伊達くんはスーパーマンだわ」

 恭子の声は揺るぎなかった。

「恭子……」

 文太郎は驚きと戸惑いを隠せない顔で彼女を見つめた。

 純一が困惑していると、突然、一階から悲鳴が響いた。

「今の悲鳴は一階からだ。ちょっと見てくる」

 文太郎が駆け出した。

「文太郎くん! 私も行くわ!」

 恭子が後を追い、純一が慌てて止めようとしたが、彼女はすでに走り去っていた。

 一階に降り立つと、そこには信じられない光景が広がっていた。バリケードを突破した一匹のゾンビが病院内で暴れていた。小柄な女性のゾンビで、隙間をすり抜けて侵入したらしい。周囲の人々を威嚇し、今にも襲いかかろうとしていた。

「文太郎くん、銃で撃てないの?」

 恭子が冷静に尋ねる。

「だめだ。人が多すぎて、流れ弾が当たる可能性がある」

 文太郎が逡巡していると、ゾンビが近くの女医に襲いかかろうとした。女医は恐怖で腰を抜かし、動けない。


 その時、女医の背後から男が飛び出した。「お袋! 大丈夫か!」

 池澤だった。女医は彼の母親らしい。池澤は母を守るように立ち、ゾンビに立ち向かう。

 素早いジャブを繰り出し、ゾンビの顔面に全て命中させる。ゾンビが反撃のパンチを放つも軽くかわし、右ストレートを叩き込んだ。「ふん! ちょろいもんだ」と余裕を見せる池澤。パンチが当たるたび、「ドゴン」と重い音が響き、ゾンビが吹っ飛ぶ。

「すごい……」


 文太郎はその力に驚嘆した。だが、ゾンビは何度吹っ飛ばされても立ち上がり、執拗に襲いかかる。池澤の表情に苛立ちが浮かぶ。「くそ! こいつ!」

 アッパーとストレートを連続で叩き込むが、ゾンビは一瞬動きを止め、唸り声を上げた。池澤はその隙にさらにパンチを繰り出すが、体力の限界か威力がない。ゾンビが突進し、パンチを池澤の顔面に直撃させると、彼が吹っ飛び、馬乗りになって殴り始めた。

 池澤は腕で顔をガードするが、隙間を突かれ血が滲む。「や、やめ……」と呻く彼に、ゾンビが牙を剥き、噛み付こうとしたその瞬間――ゾンビが横に吹っ飛んだ。誰かが蹴りを入れたのだ。

「だ、だれ……」

 池澤が朦朧としながら見上げると、聞き覚えのある声が響いた。

「池澤、大丈夫か? 立てるか?」

 肩を貸して立たせたのは、文太郎だった。

「お、お前は、伊達……」

 池澤が驚く。

「池澤、動けるか? 少し下がってくれ。このゾンビは俺がやる」

 文太郎が静かに言う。

「な……無理だ。俺ですら勝てなかったんだ。お前じゃ勝てねえ! やめろ……殺されるぞ」

 池澤が制止するが、文太郎は冷静だった。

「大丈夫、勝てるよ。さっき池澤とあのゾンビの戦いを見て分かった。こいつらには弱点がある」

 その言葉に自信が溢れ、恐怖は微塵も感じられない。

「何!」

 池澤は信じられない思いで文太郎を見つめたが、言われた通り後退した。

 ゾンビが立ち上がり、文太郎に唸り声を上げる。しばらく威嚇していたが、突然走り出した。だが、文太郎も同時に走り出し、二者は正面から激突する――。


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