映画監督イワグロ・ゼン
僕は1度、市の療養センターを離れ、老人にもらった名刺の持ち主に会いに行くことにした。
そこには“岩黒禅”と書かれていた。
肩書きは映画監督だ。
あらかじめ連絡を入れておくと、イワグロ・ゼンさんは、こころよく応じてくれた。
「え?オレに会いたいって?いいよ。なんだか、おもしろそうじゃないか。そんなにヒマな身でもないんだけどな。けど、前途ある若者がわざわざ指名してくれたんだ。会ってみようじゃないか」
そう言って、音声通話で約束してくれた。
僕はすぐに療養センターを出ると、近くを走っていた自動タクシーを拾って、乗り込んだ。
「ここに行ってくれる?」
僕が紙の名刺を差し出すと、即座に画像を認識し、自動タクシーは発進する。
もちろん、車内は無人だ。アンドロイドすら乗ってはいない。座っているのは僕だけ。
僕は少し寂しくなって、ホウセンカを呼び出す。瞬時に17歳女性の立体映像が飛び出してくる。
「アラ?どうしたの?療養センターの見学はもういいの?」
「行きがかり上、別の場所に行くことになったんだ」
そう言って、僕は紙の名刺をホウセンカに見せた。
「へ~、映画監督イワグロ・ゼンね。結構有名な人よ」
「そうなの?僕は知らないな」
「カルト的な映画をいくつも撮っててね。映画マニアの中では、評価が高いの。神と崇めてる人もいるくらいよ。あるいは、悪魔崇拝かしら?」
「どっちも似たようなものだからね」と、僕は答える。
その後ホウセンカは、イワグロ監督の作品について講釈してくれ、いくつかの重要な映像を見せてくれた。
そうこうしている内に自動タクシーは目的地へと到着した。
タクシーを降りると、そこは市の外れにある古ぼけたビルの前だった。
ビルは5階建てで、昔ながらのコンクリート造りだ。
「なんだか、怪しい建物ね。ほんとにここなの?」と、ホウセンカ。
「確かに。けど、とりあえず行ってみるしかないだろう」
勇気を出して僕はコンクリートの建物へと足を踏み入れる。
建物の中は、外観と同じようにホコリだらけススだらけで、全く掃除した形跡がない。
「今どき掃除くらい自動でやってもらえるだろうに…」
ブツクサと文句を言いながら、僕は階段をのぼっていく。
「それに、エレベーターもついてないのね」
僕のすぐ横を空中を漂いながらついてくるホウセンカが言った。
5階建ての建物の5階まで階段をのぼり、扉の前に立ってから、僕はつぶやく。
「さすがに君と一緒は失礼かな?」
そう言って、僕はデバイスを操作し、ホウセンカの姿を消す。
それから、扉についているチャイムを押した。
*
しばらくの間があってから、ゆっくりと扉は開き、中からヒゲヅラの男が現われた。
「やぁ、いらっしゃい。君がテオ君だね。入って入って」
ヒゲだけではない。髪の毛も伸ばし放題で、一体いつ散髪に行ったのか?それどころか、いつお風呂に入ったのかもわからない男。部屋の中は、すえた臭いで充満している。
どうやらこの男が、映画監督のイワグロ・ゼンさんらしい。
部屋の中はよくわからないガラクタでいっぱいで、僕はガラクタの間に置いてある黒い革張りのソファに座らされた。
「ビックリしたろう?何もかもがアナログで」
汚れたカップにコーヒーをいれながらゼンさんが言ってくる。
「ええ、正直カルチャーショックを受けました。石の階段に、手で開ける扉。それに、今どき指で押すタイプのチャイムだなんて」
「ハハハ、そこがいいんだよ。アナログの方が人間らしくていい。それでこそいい映画が撮れるってもんさ」
そう言ってゼンさんは楽しそうに笑う。実に人間らしい人だ。これがアナログの生活の効果か。
「“生きてる”って感じがしますね」
「だろ?けど、言っとくけど、映画の方はデジタル全開だぜ。さすがに手作業にも限界がある。バリバリAIにも頼ってるし、使える手段は何でも使う。最高の映画を撮るためなら手段は選ばねぇ。それがオレのモットーさ」
「なるほど。創作に生きてるんですね」
「あたぼうよ。人間ってのは、何かを生み出すために生を受けたんだ。創作はその中でも最高の極み。創作、芸術、最高じゃねぇか!」
熱い人だな…と、僕は思った。
何もかもがデジタル化し、機械し、システム化したこの世界で。この時代で。この人だけは、古代に生きてる感じがする。
住んでいる場所は街中でも、心は野生にある。
一瞬、ゼンさんの背後にマンモスやサーベルタイガーが闊歩する大草原が見えた。
「あ、申し遅れました。僕は療養センターで、ある老人からこの名刺をもらって。僕が『生きる目標がない。何をして生きればいいのかわからない』と言ったら、ここを紹介されたんです」
「ああ、親父か」と、ゼンさんは一言。
「オヤジ?お父さん?」
そういえば、僕は老人の名前さえ聞いていなかった。実に失礼な話だ。
「そうさ。知らなかったか?親父の名は岩黒|《空》クウ。親父も芸術家だったんだがな。30年ほど前に何もかもをあきらめて、あの施設に入っちまった。まだ元気だったか?」
「そうですね…お元気と言えばお元気でしたよ。少なくとも、見た目は健康そうでした。心はどうかわかりませんが」
「そうか。なら、いい。ひさびさにオレも今度会いに行ってみるか」
「そうしてあげるといいと思いますよ」
「ま、いつになるかわからんがな。何しろオレは映画で忙しいからな!」
「そんなに楽しいですか?映画作り」
「楽しい?そんな次元じゃねぇ!なきゃ生きていけねぇよ!空気みたいなもんだ!」
「空気みたいなもの…」
「ああ、そうさ。お前にもあるだろ?テオ。『これがないと生きていけない!』ってもんがな」
「どうだろう?すぐには思いつかないですね。そういうものがないから、生きていく気力がわいてこないのかも」
「カ~ッ!しょぺえヤツだな!お前は!“今どきの若者”っていうのか?こんな便利な時代に『何がやりたいかわからない』だ?」
「はい。申し訳ありませんが…」
「オイ!考えても見ろよ!お前は自由なんだぜ!何だってできる!自由に大空を飛べる翼を持った鳥なんだ!それも、どんな高速でも飛行できる。瞬間移動だってできる!そういう時代なんだ。それでも何もしないってのか?」
「すみません。けど、自由だからこそ、何でもできるからこそ、逆に『何をやっていいのかわからない』ってあると思うんです」
ドカッと、黒いソファに座り直してからゼンさんが再び口を開く。
「ま、わからんでもないがな、その気持ち。オレも若い頃はそういう時期があった」
「ゼンさんも?」
「ああ。けど、それは“何かにハマったことのない奴の吐くセリフ”だ。何にもハマった経験がないから、『何をやっていいのかわからない』なんて言葉が口を突いて出るんだよ」
「確かに。おっしゃる通りです」
「だろ?1度ハマってみろよ。何でもいいからさ。心がドロドロに溶けて、世界と一体になる感覚。アレを1回経験したら、『死にたい』とか『消えてしまいたい』とか『何をやればいいかわからない』だなんて言葉、出てこなくなるから」
「世界と一体になる感覚?」
「ああ、そうさ。最高に気持ちいいぜ。まるでヤクでもキメてるみたいな感じだ。オレは毎日のように味わってる!」
「でも、それって危険じゃないですか?宗教とかスピリチュアルに傾倒するのと一緒で」
「危険?かもな。けど、人生ってのはそういうものだぜ。常に危険と隣り合わせだ。太古の昔からずっとそうだった。獣を狩って生きてた時代からな」
ゼンさんの言葉にはいちいち説得力がある。自信がある。
全身から「何も怖くない。恐れるものなどありはしない。オレが世界の中心だ!なんなら神だ!」というオーラが吹き出している。
正直、僕はうらやましかった。