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連帯感とか仲間意識とか

 ランチの時間が終わり、僕は再び療養者たちに話しかけることにした。

 …と、その前に落ち着いて周囲を1度見回してみる。


 ここはフリースペース。

 療養センターで暮らしている人たちが自由に出入りできる場所だ。広さは10メートル×20メートルといったところだろうか?

 アチコチに座り心地のよさそうなソファや、テーブルとイスが置いてある。


 先ほど話しかけたフローガさんやクリマタさんもいる。ふたりとも、何をするわけでもなくボ~ッと宙を眺めている。同じように宙を眺めているだけの人も多かった。


 それ以外には、まだランチが終わっておらず、ゆっくりとスプーンを使って料理を口に運ぶ人。

 4人ほどが集まって、ボードゲームに興じている者もいる。


「なるほど。何をやっていいし、何もしなくてもいい。ここは自由なんだ」と、僕はつぶやく。


 ただし、それは外の世界にいても同じだ。

 お金が存在せず、ムダな労働に従事する必要もないこの世界で、人類は完全な自由を手に入れたとさえ言えた。


 旅行に行きたければ行けばいい。

 飛行機も電車も自動車も乗り放題。全ては自動運転で動いており、人間は乗るだけ。そして、目的地に到着したら降りるだけ。

 遠い昔のように自動車やバイクを運転する必要すらない。

 ノンビリとした旅がお望みなら、豪華客船に乗ってゆっくりと別の国へ行けばいい。


 “国”といったけれど、すでに本来の意味での国の概念は崩壊していた。

 昔は国と国の間に国境があって、パスポートやビザも必要で、おいそれと海外に出て行けなかったと聞く。

 もちろん、2225年の現代社会でそんなバカな制度はない。パスポートなんて、とっくの昔に廃止されてしまった。

 200年ほど前の言葉で言えば、現在の国は“都道府県”とか“州”くらいの感覚だろう。


 あえて苦労したい人もいるだろう。

 そういった人たちのために、古代の道具も残されている。

 たとえば、自転車。自分の足でこいで進む道具。不便ではあるけれど、健康にはいい。自動運転の乗り物ばかりに頼っていたら、筋力は落ち、脂肪もつく。糖尿病にもなりやすい。


 おそらく現代人は、200年ほど前に比べて健康的な人が多いはず。みんな、自分の体に気を使っているから。

 いや、そうとばかりも言えないか?食べる物がいくらでもあるこの時代に、際限なく食べ続けて、ブクブクと醜く太っている人も多い。

 それで、健康を害そうとも、寿命が縮もうとも、その人の自由なのだ。

 一応、AIが忠告はしてくれるが、その忠告を聞くのも聞かないのも人間の自由。


 ローラースケートやキックボードやスケボーのような道具も残っている。中には一輪車とか、大人用の大型の三輪車に乗っている人もいる。

 どの街にも広い公園や広場があって、その手の乗り物で遊んでいる。


 野球やサッカーやバスケットボールのようなスポーツもいまだに人気だ。

 これまた専用の競技場が用意してあって、プロもアマチュアも競うように利用している。


 全く逆に、家の中で暮らすのを好む者もいる。インターネットやゲームにハマり、抜け出せない者も。

 そういう人たちは、200年前にはもう存在していたそうだ。もちろん、プレイしているゲームのクオリティは全く違うだろうが、根本的な部分では何も変わってはいない。


「人は変わらない生き物か…」と、僕はつぶやく。


 ビデオゲームが生まれたのは、たかだが250年かそこら前だろうが、ゲーム自体はもっと昔からあった。

 平安時代には“貝合わせ”というゲームがあったらしいし、将棋の起源である“チャトランガ”なんて、4000年以上前のインドにすでに存在していたという話だ。


 そうでなくとも、麻雀にカルタにトランプに囲碁に。人類は遠い昔からゲームに興じていたのだ。

 その割合がちょっと高くなったからといって、どうだというのだろう?


「けど、ゲームにはハマる人は、まだマシだよな。正直、うらやましいよ。何か懸命になれるものを見つけられた人が。僕は、いまだに何をすればいいのかわからない…」

 そうつぶやくと、ひとりの老人が話しかけてきた。


「やあ、新入りさんかな?」


「いえ、僕はこの施設を見学に来ただけで。でも、『そういうのもいいかな?』と思ってます。皆さんと一緒に、この療養センターで暮らすのも。空きがあるなら、今すぐそうしたいくらいで…」


「ホッホッホ。もったいないコトを言う。あんただけじゃない。ここに住んでおる(みな)がそうじゃ。ワシなんかよりも、よっぽど若い。どうして、こんな場所におるのかと疑問に感じる」


「おじいさんはなぜ、ここに?」


「そうじゃな。人のことは言えんか。本来なら、介護施設にでもおった方がええんじゃろうが。長いことここに住み着いて、もう移動するのも面倒になったわい」


「じゃあ、おじいさんも若い頃からこの療養施設で?」


「かれこれ、もう30年にもなる」


「そんなに!?」


「そんなにじゃよ。じゃが、今になって思えば『もったいないことをしたかな』と。もう30年も若ければ、できることはいくらでもあったろうに…」


「後悔してるんですか?ここでの暮らしを」


「後悔?そうじゃな。しとるんじゃろうな、後悔」


「正直、僕はうらやましいとさえ思いますよ。何もせず、日がなボ~ッとして暮らすここでの生活が。いや、どうせ家にいても似たような暮らしをしてるわけだけど。それでも、近くに仲間がいるのは心強いかな?と」


「仲間?」


「違うんですか?この療養センターで暮らしている人たちは、みんな仲間みたいなものでしょう?」


「さあ?どうじゃろうなぁ…仲間か。そんな風に考えたことはなかったなぁ。けど、同じ空間にいて暮らしておる。運命共同体とまでは言えんまでも、共感くらいはしとるのかもなぁ」


 僕はちょっと意外だった。

 一緒の建物で暮らし、一緒の部屋で空気を吸う。それって、連帯感とかそういうものが自然と生まれてくると思っていたからだ。

 同じ部屋にいても、彼らは孤独なのかもしれない。


「たとえば、じゃ。保育園児が同じ部屋で遊んでおるとするじゃろ?」

 老人が切り出す。


「はい」と、僕は答える。


「だからといって、同じ遊びをしておるわけではない。同じ部屋にいて、別々の遊びをしておる。そこに“仲間意識”は生まれるかのう?」


「どうでしょう?同じ部屋で別々に遊ぶ。確かに、連帯感とか仲間意識は薄いかもしれない。あとになって思い返しても『ああ、一緒の保育園に通っていたんだ』と認識するだけで」


「それと同じじゃな。ワシらは、同じ保育園に通って別々の遊びをしとる子供みたいなものなんじゃ」


「なるほど…」と、僕は妙に納得してしまった。


 ここで、新たな疑問が生じてしまった。

 では、僕はどうすればいいのだ?この療養センターに答えがないのであれば、一体どこに行けばいい?


 僕は、素直にその疑問を口にしてみた。

「じゃあ、僕はどこに行けばいいんでしょうか?まだ若く、けれども何がやりたいかわからない。衣・食・住が完全に保障され、何をやるのも自由なこの世界で。人生の目標が見いだせない人間は、どこに行って何をすればいいんですか?」


「そんなコトは、あんたが自分で決めるべきじゃ」と言われるかと思ったが、老人は全然別の答えを示した。


「では、ここに行ってみるがいい。人生の目標とまではいかんかもしれんが、何かしらヒントのようなものはつかめるかもしれん」

 そう言って、老人は1枚の古ぼけた名刺をくれた。

 今どき紙の名刺だなんて珍しい。みんな電子情報をデバイスでやり取りしている時代だから。

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