1995年の暮らし
仮想空間の中に作られていたのは、1995年の世界だった。
僕がやって来たのは、日本の首都である東京。
「なんだか随分とホコリっぽいとこだな…」
コンピューター上に作られた世界とはいえ、リアルの世界と変わらない質感がある。当然、風やホコリも感じる。
2225年の世界と比べると、明らかに空気が悪い。
230年前がこんなだったとは。僕は直感的にディストピアを感じた。
何とも言えない嫌な感じだ。行き交う人々は、皆、陰気くさい顔をしているし、何が楽しくて生きているのかわからないといったオーラを放出している。
僕が住んでいる世界とは別の絶望感がある。
いや、全員ではない。
中には異常なほどにヘラヘラと笑っている者もいる。路上の宗教勧誘者だ。
「あなた、今、幸せですか?我々と一緒に来れば幸せになれますよ!一緒に幸せになりましょう。全人類が幸せになれる世界を作りましょう!」
そう言って、道行く人々に声をかけて回っている。
その笑顔は作り笑いにも思えたし、同時に心の底からの笑いにも見える。
(なんだろう?この感じ。どこかで見たことがあるような…)
そこで僕は思い出す。
そうか!仮面だ!精巧に作られた仮面。
明らかに作り物ではあるものの、一流の職人が作った仮面には魂が宿り、真に迫った迫力を出す。それと同じ笑顔が彼にはあった。
「ほんとにこんな世界が楽しいのか?クリマタさん」
僕はポツリとつぶやいた。
クリマタさんのお気に入りの世界ではあるが、僕の第一印象はとても良いとは言えなかった。むしろ、最悪に近い。
そこで、僕は気づいた。いつもよりも背が伸びていることに。
街のショーウインドーに自分の姿を映してみると、明らかに背が高い。ポケットに入っている身分証を確認すると、年齢が20歳だということがわかった。
「そうか。ちょっとばかし大人の姿か…」
僕は妙にうれしくなってしまった。
本来の僕はまだ14歳だから、6年ほど成長した姿ということになる。
この街でも何をすればいいのかわからない。
僕は、どこに行ってもはぐれ者だ。何をすればいいのかわからず生きている者は、どんな環境においても孤独。それは宿命みたいなものなのだ。
*
しばらく1995年の東京で暮らしてみた。
僕は適当な宿を見つけ、仕事にありつき、労働の日々を過ごす。
選びさえしなければ、仕事はいくらでもあった。
工事現場の肉体労働とか、引っ越し屋の手伝いとか、電柱のポスター貼りとか。中には違法に近いモノもあったかも知れないが、そんなのは知ったこっちゃない。
何ヶ月か働いて少しお金が貯まると、僕は4畳半のアパートに引っ越しした。
これまでは1泊3000円ほどの安宿に寝泊まりしていたのだが、それでも毎日となると結構な金額になる。
4畳半の部屋は、家賃3万円。月に3万円だ。
ただし、風呂は別。近所の銭湯に通わなければならない。
入浴料は350円。毎日通っても月に1万円の計算だ。それ以外に電気やガスや水道の料金も払わなければならない。
光熱費を合計して1万円あれば充分にお釣りが来る。全く使わなくても基本料金を取られるが、それでも5000円といったところ。
ひとりは寂しいので、ホウセンカを呼び寄せた。
元々ホウセンカはAI。電子の世界とは相性がいい。まるで本物の人間みたいに飛び跳ね、喜び勇んでこの世界で暮らした。
すぐに適当な仕事とマンションを見つけ、適応する。男の人にお酒を注ぎながらおしゃべるする仕事で、心の底から楽しそうに働いている。
「なんて素晴らしい世界なの!私、この世界が気に入っちゃった!お仕事も最高!間違いなく私に向いてるわ。天職よ!天職!」
そう言って、はしゃいでいる。
僕なんかよりもよっぽどいい暮らしをしている。
「君が楽しそうでなによりだ…」
そうつぶやきながら、僕はため息をつく。
どうやら、この世界は女性の方が楽に生きていけるらしい。特に若い女性にとっては。
ホウセンカは非常にはぶりがよく、好きな服だとかクツだとか、ブランドモノのバッグなんかを頻繁に買って帰る。
知らない男の人に買ってもらうこともよくあるらしい。若さと職業柄の特権だ。
「なるほど。これがお金のある世界か。お金をたくさん持ってる人は楽しいわな。なんだって好きなコトができて」
僕は妙に納得する。
お金を持っていれば楽しいということは、逆を言えばお金を持っていない人は苦しいということにもなる。
ただし、僕は今のこの暮らしが嫌いではなかった。なぜなら、何も考えずに済むからだ。
労働者は何も考えない。ただ、昨日と同じ行動を繰り返すのみ。
文句1つ言わず、昨日と同じ行動を繰り返していれば、とりあえず生きてはいける。
僕は、日雇いの労働をやめ、近所の牛丼屋で働き始めた。
毎日8時間働き、間に1時間の休憩。それが週に5~6日。まかないで牛丼も食べられるし、条件的には申し分がない。
日々のサイクルが決まると、ますます楽になった。代わりに頭はますます働かなくなっていく。
「まるで人形だな…」と、僕はつぶやく。
まるで人形。あるいは機械。
世界という名の巨大な機械の一部となって何も考えず淡々と動き続けるだけ。
ホウセンカは相変わらず楽しそうにしている。
AIのホウセンカが、まるで人間みたいに暮らし。人間の僕が、まるでAIみたいに暮らす世界。
未来世界よりもずっと、その傾向が強いように感じられた。
*
休日に古本屋を渡り歩くのが僕の趣味になった。
この時代、まだ携帯電話もなければ、インターネットも存在していない。
パソコンはすでに生まれていたが、値段も高く、その割には性能も低いので、僕にはあまり興味が持てなかった。
それよりも読書の方が楽しい。
100円で投げ売りされているような古本の中にも、読む価値のあるものが山ほどあった。
この時代には、他にもレンタルビデオショップというのがあって。映画やドラマの録画されたソフトをお金を出して借りることができる。
なんと、まだビデオデッキを使っている時代だ。それをブラウン管のテレビに接続して使用する。
僕は、このアナログ方式の録画・再生方法が好きだった。
映画監督のゼンさんが、部屋の中をアナログの機材でいっぱいにしていた気持ちが、今ならわかる気がした。
レンタルビデオショップにはCDという媒体も置いてあって。こちらは、もう少しデジタル寄りだ。
CDの中には音楽が録音してあり、これまたお金を払って借りてきて、家で聞くことができる。人によってはカセットテープだとかMDだとかいう機器にダビングして、いつでも再生できるようにしておく。
レンタルショップで借りてきたCDを別の機器に録音していつでも聞けるようにしておく行為。
「これは違法なのではないか?」と、僕は思ったのだが、どうやら違法性はないらしい。“私的利用の複製”とかいって許されている行為なのだとか。
この時代の法律はなかなかに複雑だ。
「ホウセンカ、この世界で生きるのは楽しいかい?」
2人きりの時にたずねてみた。
「ええ、とっても!こんな楽しいことがあったなんて、私知らなかった!」
予想通りの答えが返ってくる。
「君はやっぱり人間に向いてるよ。人間になるべきだ」
「何度も言わせないで。しょせん私はAIよ。人間にはなれないわ。けど…」
「けど、この仮想空間での君はまるで人間みたい。だろ?」
「そうねぇ。こんなものプログラムの一種だと知っているのに。たとえ、これが作られた感情だとしても、それでも『生きてる!』って実感がある」
「だろ?やっぱり君は、僕なんかよりもずっと人間に向いてるよ。逆に僕の方は、どんどん自分が機械化していく感じがする」
「アラ、大変!どうにかしなくっちゃ!私、自分のことばかりで、あなたの幸せのことを忘れていたわ!」
「いや、勘違いしないで。僕は決して不幸なんかじゃないんだ。むしろ、何とも言えない幸福感に包まれている。頭をカラッポにして人形みたいに働き続けることがこんなにも心地よいことだったなんて、これまで知らなかったよ」
「でも、それってほんとに幸せなの?」
「どうだろうね?けど、未来世界で目的もなく漂っていた頃よりかはマシかな?そういう意味では幸せなんだろうね」
「なら、いいんだけど。テオが幸せなら、私も使命を果たしたことになる」
「いずれにせよ、君は今まで通り君らしく振る舞っていればいいんだよ、この世界で。どうしても困ったことがあれば、僕の方から声をかけるから」
そう言いながら、僕はもうあまり頭が回らなくなっていた。
日々の労働に疲れ、脳にまでエネルギーが回らない。
これは、本当に心地よい疲れなのだろうか?