第三世界
”迷宮に日常の常を持ち込んではならない。”
向こう側の世界を知る者が最初に叩き込まれる戒めだが、自分の理解は遥か遠く及んでいなかった事をシエリは痛感させられていた。
「なんなの、これは?」
自由寺院の地下から流砂に潜りたどり着いた場所は木造の門に守られていた。
「見ての通り羅城門だ。」
「どこからこんなものを持ってきたのよ。」
「もちろん日本から運んださ。本物だぞ。まあ、一部は隣の西寺の瓦礫の中から拾い集めたものだがな。それにこの辺りでもヒノキが取れるのだよ。」
平安京の入り口である羅城門は大風で倒壊する。一度は修復されるが、二度目は放置された。その東にあった東寺は真言宗の根本道場として現在に至るが西寺は火災により消失し修復されなかった。
「破壊専門の人間としては理解し難い労力だけど、、、、頑張ったのね。」
「そうだ、ほぼ百年かかった。特にあの欄干の、」
「あっ、そんな気持ち悪い話は良いから、後でユキと語りなさい。」
「そうか、」
残念そうにオシカークは子供のように唇をとんがらせ少し拗ねて見せた。
夏目とオシカーク、そんなとんでもない会話を交わしながら試練を乗り越えここまでたどり着いた。生易しい道のりではなかった。
随行するパオワの護衛は無理やり共有させられた秘密の重大さにな言葉を失っている。口封じのために殺されると思い込んでいるのかもしれない。
それほど非常識な出来事の連続だった。目の前にそびえる楼門も倒壊したものを京都からヒマラヤまで運んできたものだという。それも千年も前の話だ。常識ならば、“どうやって“という疑問から不可能だと結論をつけてしまうような出来事だ。
テルハ砂漠の地下には流砂が川のように流れる無数の通路が存在する。その事実は知られていたが、それを利用して広大な砂漠を旅することができるなど、誰も夢にも思わなかった事だ。
パオワの一族が独占してきたオールテット鋼の鉱脈。しかし、この楼門の向こうに千年も前一人の男が開いた鉱脈への別ルートが存在すると云う。
シエリ家、S機関が守護して来たテルハ砂漠ヒマラヤダンジョンへの入口は教団の地下ではない。モストルクーニの毒花の丘を越え、厳格に他者の侵入を排除する自由教団の荘園を経由して更に山脈の奥深くがその場所だ。
正確には自由教団の荘園は元々S機関が設定した迷宮へのオフィシャルな関門ですらなかった。千年前突然現れた密教系寺院で気づいた時には重要なルート上に広大な荘園を築いていた。既に排除は不可能、話し合いの結果後付けで容認された。
自由教団側にS機関の後ろ盾など必要無かった。しかし、なぜだか彼らはそれを受け入れS機関の関係者のみ滞在を許可した。日本の組織が関わっていた事が知られるようになったのは近年になってからだ。
いや、それだけではない。多くの問題がアンノウンの状態のまま水面下で変化している。シエリがここヒマラヤに来た理由すら、全く別物にすり変わっていた。
テルハ砂漠で行方不明になっていた彼の義父、シエリ卿とS機関の幹部達は日本のラ・コーヤで保護されているという。ただ、特殊な理由で今は表沙汰にはできない。、、、らしい。
アヴァンダン・シエリの心は乱れていた。無力で無知な自分に失望していた。いつもの事だ、特別な存在だと持ち上げられてきたが何の根拠もない奥行きのない平坦なものだと感じていた。
それはただ単に、
自分に深く理解する力がなかったに過ぎない。そうシエリは唇を血が出るほど噛み締める。
「反吐が出るほど嫌になるな、無知で無能な俺がなぜここにいるのか理解できない。」
思わずシエリは固く閉ざしていた口を開いた。
”記憶の抜け落ちた心の中の空洞を掻き毟り血を流している。”
夏目は原野聴雪と同じ様に苦しみながら自傷する男を哀れに思う。
「シエリ、何でもかんでも背負いすぎよ。他人のイメージに、貴方は自分を導くことはできない。そうでしょ?」
「俺は俺でしかない。たどり着ける場所は限られている。自分をまともにコントロールできない人間が人類の未来など語ることすら烏滸がましい。」
悲しい目だ、見事に復元された羅城門の石段に佇み夏目は心なし懐かげに話し始めた。
「重なる転生の中で、これまで七度貴殿と出会い。三度深く戦いを共有してきた。ローズは私の数少ない友人だし、戦いの中にあっても幸せでいてほしい。」
「彼女への思いは深いが、正気を保つのか難しくなってきた。いや、物心ついた頃からそうだったのかもしれない。」
「それはそうでしょ。圧倒的マイノリティな存在よ、特殊な能力を持ち、異世界との戦いに深く関わり、浸透する脅威を押し戻す。そんな、誰も知らない戦いをしている人間がまともな理由無いわ。」
「俺は自己嫌悪で発狂寸前だ。」
噛み合わない会話だが、核心にたどり着けた。夏目が目をやるとオシカークが頷き門の勝手口を開いた。出入り口はそちららしい。扉の向こう側には夕日が見える。
そこは進化の到達点にたどり着いた者たちの場所だ。肉体を持たない、独立した細胞からなる共同体が構築する世界線は穏やかだった。
やがて辺りは夜の帳に包まれる。赤みを帯びた空が群青色に染まっていく。境界線には境界線の時間が流れる。人の心もそれぞれのスピードで成熟していくのだろう。シエリは落ち着きを取り戻して来たようだ。
ここが敵対する異世界でも我々が現存する世界でもないことを伝えると、明らかに彼の意識が変わった。我々人類に適しているかどうかは別として一つの到達地点だと彼は認識した。
いや、させられた。と行った方が正確だろう。門をくぐった者達をどこからともなく現れた無数の光球に取り囲まれた。
動くな、と夏目が周りに注意する。
この世界の支配者が好奇心を満たすため送って来た末端器官だ。妖精と表現したらわかりやすいだろう。
そして彼らは好奇心を満たすといずこともなく消えていった。
緊張から解放されたパオワの男が膝から崩れ落ちる。ガタガタと震えが治まらない様子だ。
「よかったわね。パオワの戦士さん、無事加護をもらえたようね。生き残ってオアシスに戻れば、良い顔ができるわよ。」
この世界の支配者を世界樹とすれば末端は妖精。人間界のルールなど通用しない。ただ、全てを内包する彼らにも異物は存在する。排出されたそれを善意と悪意で例えるならば前者はオールテッド鋼、そして後者は魔物の元だ。
パオワの一族は異物である魔物を駆除することによって善意の報酬であるオールテッド鋼を得ていた。しかし、魔物の駆除を怠り氾濫の危機を迎えている。オールデッド鋼も手に入らない。苦し紛れに外部結界の魔導器を坑道に持ち込みその場をしのいでいる。
前からも後ろからも危機が迫っているということだ。
因果応報と切り捨てるにはあまりにも代償が大きい、何よりもユキは情けという意味でもそうしないだろう。
「戦場で局面を打開するような個の時代はとっくに終わっている。雌雄を決する大規模な戦闘も存在しない。前線が崩壊すればその時代に逆戻りというわけね。」
「その最悪のシナリオだけは排除しなくてはならない。」
シエリは”死に戻りの椅子“の上で見た終末の風景を思い浮かべる。
夏目は自分が最も得意なことをする時間帯が近づいたことに高揚し獰猛な笑みを浮かべた。




