エブリン
ジェットは短い滑走路から深い谷へと飛び出し浮力を得た翼は重力に逆らい山の頂きを掠めるように上昇していった。
その時、空港近くの岩影から地対空ミサイルが発射され無防備なプライベートジェットに近づいゆく。
エブリン•エクスローズはゆったりとシートに身を沈め、重厚で複雑な交響曲のような数日を解きほぐしていた。
ロックオンされた警報音が機内に鳴り響いているが、無関心の様子だ。
”「離陸直後、赤外線誘導ミサイルでの攻撃が一番確率が高いだろう。」“
鍛冶屋幻妖斎の予告通りの攻撃だった。
「お姉様、私が対応しても良いかしら?」
ヤデル・ソルリラ、アジュール•原野聴雪から預かることになった。少女から女になりかけた類稀なる美しさの特別な能力を持つ彼女がエブリンに問いかける。
十分な結界を張られているが、彼女のスキルを確認する良い機会だと、エブリンは頷いた。
幻妖斎のアドバイス通り航空機の機体には四機のドローンが取り付けてある。
ヤデルはドローンから強力な魔力光を照射してミサイルの赤外線センサーを眩惑・無力化する。更には混乱したシステムを乗っ取り、プログラムを改ざん、発射地点へと誘導する。魔力を使った見事なグリッチのテクニックだった。
エブリンは左手の人差し指と中指を交差させグルガン族のやり方でヤデルを賞賛した。そして彼女は再び思索の森へと忍び入る。
ヤデルの持つポテンシャルも素晴らしいのだろう。だが、二十四時間でこのレベルにスキルを引き上げた男の手腕はインクレディブルだ。
二人のアシュールに出会うこらとが出来た。いにしえの時代、剣神とも剣聖とも呼ばれていた夏目。大賢者と称えられた原野聴雪。
不可分な二人だが、彼等の関係はいつの時代も悲劇、悲恋の物語として語られることが多い。
幼く未熟な彼女を庇い、男は命を落とす。女はやがて最強の剣士として成長するが、無謀と思える戦いの中に何度も身を投じ、やがて微笑みながら死んでいく。使命を果たし、男のもとへと旅立つ喜びの笑顔だと語られている。
一方男の能力は錬金術と言われるが、技術と知識は遥かにその範疇を凌駕したもので何者の追随を許さない。
だが、彼の最大の能力は別にある。現代風に査定するならば魔力を純粋にエネルギーと仮定し、彼には魔力とのハーベスティング機能がありコージェネレーションシステムを有するフライホイール的存在だと想像される。
もちろん、彼自身も魔力を生成する。ファンタジー風に表現すれば魔力制御に長け、無尽蔵に魔力を保有し、自在に属性を変換、供給することが出来る、ものづくりに精通した。まさに大賢者と呼ばれるにふさわしい男だ。
カリーシン•アヴァンダン•シエリにも類似する能力がある。が、軍の将たる彼の特性上、個人の能力の底上げというよりも集団としての能力向上の意味合いが強い。
古の時代を生き延びた魔女は彼をユキと呼ぶ。幸運にも彼と関わり得た優越感の最大表現だ。仕方のないことだが、彼の能力は依存した魔女を生じさせる。魔法は魔力の質と量で大きく変化するものだ。最上を求めれば彼にたどり着くことになる。
“誑しの聴雪、彼の背後には魔女の屍が積み上げられている。“
遠い昔、或る時の権力者がやっかみ交じりにつぶやいた言葉だが、それほどの影響力を持っていた。
一仕事終え猫のように丸まって休息する。この美しい女もその一人なのだろう。ヤデル・ソルリ、これからの戦略上、重要な人材になって行くのは間違いない。
その彼女の憂いを取り除くため、日本へ行くことになった。破格の条件での取引だった。いや、取引ですら無い。
“長い長い時の流れに耐えきれず風化するパオワの一族を救い前線を安定させる。不安定になっていたオールテット鋼の供給を元に戻すことで次の災厄に備える。“
予見師スティルテール•シエリ•ミルファー(カリーシンの実姉)の残してくれた。古代遺跡から発掘されたアーティファクト、通称”死に戻りの椅子“の上で垣間見た、“いくらかましな未来”への最初の道筋は大まかにそういうことだった。
日本のアシュールは異なるアプローチでその道筋をたどろうとしていた。驚くべきことだが、不思議ではない。賢明な者が人類にとっての一つピリオドを的確に修正したと考えれば良い。
先行して夏目殿とカリーシンがオシカーク殿とパオワの男一人と共に迷宮化したムトリの第三坑道へと向かった。
回復の見込みのなかったパオワの次期当主キュレルに転移したルーゼ。エブリンが自身に憑依させ周りに違和感を与えず現代を生きるための常識を叩き込んだ。
強い直系の後継者を得ればパオワの一族はさらに数万年、境界線の砂漠の中心でバランスを取り続けてくれる。あくまでも可能性だが糸口へとたどり着けた。カリーシンとの再会は無惨なものになったが、遠い遠い昔のルーゼへの借りは返すことができた。
毒耐性のあるルーゼが転移したキュレルとして復活次第、聴雪殿、鍛冶屋殿、そしてパオワの護衛のもう一人が後を追う。彼らの活躍を祈るしかない。
言葉にすればそんなような感じだが、その中身は複雑で簡単に解きほぐせるものではない。人の心が絡めば人の数ほど誤解と矛盾が生まれ、やがて大きな歪みとなり。いずれ、またどこかで災厄が生まれる。
兆しは現れている。
「ところでお姉様。」
眠りに落ちていたと思っていたヤデルが突然ガバリで起き上がると話し始めた。
「修行で時間を開けちゃったから、最新の情報ではありませんが気になる点がいくつか。」
「何かしら?」
「ナパ・バレーに父の一族が所有するワイナリーがあるんですけど、そこの監視カメラに気になる人物が写ってたんです。」
ぎくりと思わず挙動ってしまうほど、インパクトのある地名だった。エブリンは先を促す。
「仲間の、軍事企業ジルク•ド•ヴァンダーレ(大地の傷跡)と、クロム•マダカスタル(不規則な運命)のリーダーが三十分の時間も開けずにそこの監視カメラに捉えられているんですけど、どう思われます?」
とんでもない名前が出てきた。一般の市民が絶対にたどり着けない領域に彼女は到達していたらしい。
「仲間?」
「はい。私、モデルの傍ら探索者をやっているので、彼らとのつながりがあります。“顔バレ身元割れ無き事“を条件に情報グループのリーダーを任されているので面識はありませんが定期的に情報交換をしています。」
「えっ、」
「えっ、」
「あなた、デラシネなの?」
「はい、ご存知なかったのですか?(ユキ様はお伝えにならなかったのですか?)」
「二年前、財団のファイアウォールをクラックしたあのデラシネですよね?」
「そう、あのデラシネです。でもその件は卒業課題として世界で最も強固なセキュリティシステムの格付けと弱点を数値化することを容認した学院からの謝罪で決着がついているはずですわ。」
悪びれる様子もなくヤデルは小首をかしげる。
「調査結果とさして、人物の特定には至らなかったが、男性であろうと記されてあったので驚きました。」
ヤデルは、してやったりという笑顔でこう続けた。
「個人的恋愛対象でのみジェンダーの重要性を感じないという観点でマニュピレートしてみました。」
なるほど、本物だ。原野聴雪が貴重な時間を割いてまで手をかけただけのことはあると再びエブリンは感心する。
「あなたにナパでの出来事を説明する必要はなさそうですね。」
「いずれたどり着けると思います。それよりもお姉様、お姉様には大切な方がいらっしゃるとお聞きしています。その方について教えてください。」
恋する乙女の瞳でそう問いかけてきた彼女にエブリンは横に座るよう手招きした。




