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ヒマラヤダンジョンへ 2

  



 パオワのルーゼの言う通り、先方から早速接触があった。


 退屈だ。


 自分の感情の中で一番いけないやつが飛び出してきた。シエリは原因を探るが思い浮かばない。どこか冷えた焦燥感がさらには怒りをかき立てる。


 「あら、恐ろしい戦争でも始まるのかしら。」


 大きなソファーの大部分を占領し彼の膝枕で居眠りをしていたルーゼがシエリの太腿に爪を立て言葉と共に刺激してきた。


 「なんだ、それは?」


 「何って、軍人でありながら戦いを嫌うお兄様の面倒くさい儀式のようなものじゃない。」


 「面倒くさい?」

 

 「諦めの悪いお兄様がなるべく手短に戦闘を切り上げるため、冷静に相手を分析するのがプロセスだからってお姉様はおっしゃっていたわ。」


 「彼らと争うつもりはないが。」


 「そうね、決して彼らとは争いにならない。ちょっと損した気分になるだけよ。」


 「なぜだ?」


 「だって、それがモストルクー二人じゃない。お兄様の親友だったバイロン•グレイの一族よ、偉大なる灰色の一族は消して貴方を裏切らない。けど、損するようなこともしないわ。」


 それはまるで。エブリン•エクスローズとの穏やかな会話だった。無いはずの記憶のアトモスフィアが彼の体の中にに広がっていく。


 だが、逆送りで高速再生される途切れ途切れの記憶の終着点は、濁流にのみ込まれ瀕死の状態で犯した大罪だ。パリからの機内で呼び起こされたエブリンとのファーストコンタクトの記憶はシエリを締め付ける。


 「良いのよ私は、貴方の慰み者になっても。」


 そう言いながら体を密着させてくる。いったいこの女の魂胆がわからない。シエリはゆっくりと女を躱すと立ち上がりポットに残っているコーヒーをカップに注ぎ背を向ける。


 "危ないところだった。お姉様の愛情やら執着心やら欲望やらもろに受けてしまった。例の縛りが利いている間はお兄様の忍耐も信頼出来るがこちらのコントロールが怪しくなっている。もし不謹慎な事になれば私はお姉様の信頼を失う事になる。でも、その強い願望に私の秘めた恋心が乗っかって暴走するのは時間の問題かもしれない。その結果アシュール初の破局カップルの誕生にでもなったら私の魂は跡形もなく葬り去れてしまうだろう。" 


 テルハ砂漠のオアシス、ムトリの民はヘドニスト(快楽主義者)だ。守りは硬いが流砂の様に流されやすい。

 

 良いタイミングでスマホの着信音が鳴り客の来訪が伝えらる。少しばかりの気まずい雰囲気を払拭しつつ二人はミーティングルームへと向かった。



 「カリーシン、この部屋での会話が漏れることはないが、彼等の口を塞ぐことは彼等にしかできない。」


 テムジンがそう注意する。


 まあ、なるべく要らぬことは口にするな、ということだろう。ここで得た情報を彼等が吹聴することがないだろうが、金に変換できることは必ず変換するだろう。全く予想のつかない相手との話し合いだがシエリに戸惑いはなかった。薄れてしまった記憶の向こうに若い商人の屈託のない笑顔が思い浮かぶ。


 部屋に入ると一組の男女と十代のまだ幼さの残る少女が彼を待ち構えていた。彼らは敬々しく、礼をすると自己紹介を始める。


 「お初にお目にかかりますシエリ卿、私はバアル、そしてこちらは妻のラーバラ、娘のアインにございます。」


 何の変哲もない。ごく普通の挨拶だが、謎解きは始まっている。


 だが、幸いなことにシエリはその答えを知っていた。フェニキア語源のバアルとアインに対してラーバラは陰名だ。“モストルクー二のタガー“と呼ばれる最終決定権を持つのはこの女だと理解した。


 シエリは親指を握り込み両手合わせ、彼女に挨拶をした。バイロン•グレイの好んだやり方だ。


 「いきなり困りましたね。譲歩するのは我々だということになってしまったようです。」


 言葉とは裏腹に女は嬉しそうにそう言った。だが女は、でも、しかしと言葉を繋げていく。


 「アデラール様一行の件、隠蔽するのは至難の技でございました。」


 「待ちなさい。ラーバラまだご挨拶が終わっていないよ。シエリ卿そちらの女性はどなたですかな?」


 「貴方がた灰色鼠の一族に名乗る名前は無いわ。かっこつけないで、さっさとお金の話をしなさい。」


 突然、爆弾を投下し始めたパオアのルーゼに一同唖然とする。


 「言葉に気をつけるんだ。」


 「お兄様もいつまで平和ボケしているのよ。交渉が長引けば長引くほど奴らの思い通りだと忘れてしまったの?グレイ一族の高潔な部分を捨て去ったモストルクーニに遠慮なんかいらないわよ。」


 と、たしなめるシエリに繰ってかかってくる。


 「これは手厳しいお嬢さんだ。」


 「パオアのルーゼよ、憶えておきなさい。」


 名前を聞き出し、してやったりのモストルクー二の夫婦だった。だが、その名前を認識した瞬間青ざめる。


 彼らの首には剣が当てられていた。娘と紹介された十代半ばの少女はいずこともなく剣を抜き放ち両親の首を今にも斬り落とさん構えだ。


 銃を抜いた初老の運転手もテムジン•シェルバに制圧され、シエリは事がこれ以上進行しないよう魔力で場を拘束した。


 「馬鹿なのこの女、その名前は決して口に出してはいけないものよ。かりそめにも両親の首を斬ることになっちゃったじゃない。」


 西洋人であるモストルクー二夫妻の娘と紹介されたが、どう見てもチベット系の顔立ちの少女に拘束の魔法は届いていなかった。 


 さて、どうしたものかとシエリは少女の出方を伺う。


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