預見師の椅子または死に戻りの椅子
頭を抱え大きなため息を吐きたいそんな気分だった。アヴァンダン・シエリの心うちは激しく乱れていた。だが彼の膝枕で眠る女の存在がそれを許さない。パオワのルーゼ、エブリン・エクスローズの身体に憑依する女と共にネパールのいずれかの空港へ向かう。ローズ財団の用意したプライベートジェットは快適だが離れようとしない彼女は負担になっていた。
ローコストキャリアを乗り継いだ過酷なシカゴまでの空の旅はアヴァンダン・シエリの心と身体を追い込んだ。ぼやけた思考の上澄みにエブリン・エクスローズの旅の姉妹は容赦なき手練れの罠を仕掛けた。
今彼に蘇る記憶はアシュールとして転生を始める以前のものだ。この星はすでに一度滅亡している、アシュール アヴァンダン・シエリは知らない出来事。エクスローズどの邂逅はレイプ紛いの不幸なものだった。彼は自らの記憶を封印して重要な使命に当たっていた時の出来事だ。アシュールの記憶は失ってしまったが封印したそれ以前の記憶は魂に刷り込まれ開封を待っていたという事なのだろか。
夢は球体が多面で繋がる泡のような存在だ。その一つ一つに記憶が取り込まれていると誰かが言っていた。人の心には自分が置いたものしか存在しないと誰かが言っていた。取り戻しつつある記憶は受け入れるのには複雑すぎて、どこにも辿り着けない思索の森をシエリは漂っていた。
ざっと計算しても8万年から10万年前の出来事だ客観的に見れば信憑性は低い。だがシエリにはある種の確信があった。
エブリンが人知れず座り続けた椅子は"予見師の椅子"と呼ばれるアーティファクトだ。別名"死に戻りの椅子"、確定しつつある絶望的な未来を改変するための唯一の手段だと信じられていた。恐怖と痛みで心と体を削り死に 戻りを繰り返しながらわずかな可能性を探る拷問のような古代遺物。その椅子に座ったシエリは多くの記憶を取り戻すことになる。
強力な古代遺物には紐付けされた記憶が元の持ち主の残留思念が残されていることがある。シエリが荒唐無稽レベルの自分の記憶が真実であるということを確信できるのはそのためだ。
あの椅子の元の持ち主はリクーレス•シエリ•ミルファー、彼の実姉は、この星を一度滅亡に追いやった五族の末裔として、まるで罪を滅ぼしのようにあの椅子に座り続けた予見師だ。だが問題はそこではない、一晩座って何度も死に戻ったが彼には絶望的な未来を変える糸口すらつかめなかった。
「お腹空いた!喉乾いた!まだ寝むたい。」
シエリの膝枕で眠る女がいつのまにか目を開き彼を見上げていた。
とにかくよく眠りよく食べる女だ、エブリンの膨大な魔力を内包する肉体を制御するにはそれなりのエネルギーが必要だと女は言う。確かに彼女はエブリンの日課だという武術も魔力操作などの鍛錬を根気良く高いレベルでこなしていた。
「でも、貴方はなぜいつも自分を追い詰め傷つけようとするの?」
「おい気をつけろよ!」
「そんな怖い顔してもダメよ、私は知ってるのよ。」
「ほぅ、何を知っていると言うのだ?」
「あの古い椅子のせいなんでしょ、あなたの雰囲気が変わったのわ。」
この女は何をどこまで知っているのだとシエリは奥歯を噛み締める。あまりの驚きに彼は否定もできず時間だけが過ぎてゆく。
「私は知っているわ。」
女は再びそう言った。
ルーゼはシエリの膝の上から起き上がるとそのまま彼の方に寄りかかる。
「貴方の観た悲惨な未来の変え方よ。」
その時シエリは、ひとつの答えにようやくたどり着くことができた。
なぜ、エブリン・エクスローズが、危険を承知でこの娘に自らの身体を貸し与えたのか。それは予見師の椅子が示した破滅的な未来を改変するために必要だったからだ。
「お前の望みは何だパオワのルーゼよ。」
「私の望みは一族の繁栄、だから、私はこの身を捧げた。私と貴方とエブリンお姉さまとの契約よ。貴方にはリクーレス様が掛けた保険を回収してもらうわ。」
シエリは女の重みを感じながら、心の中で深いため息をつく。頭を抱えることはなかったが。




