痛恨の椅子
残り少なくなった、暑い夏の日の終わりの太陽。たっぷりと汗をかいて疲れた体を通して見る街は西日に焼かれ歪み始めていた。文明の頂点と退廃への崖っぷちを切り取ったような景色への変化を目の当たりにしてシエリは言葉を失う。
「この星が滅びかけているとは思えませんね。」
「最後の希望と呼ばれていた。」
ダートーサの問いかけにシエリは一言だけそう答えた。彼の目にはシカゴ川の回りに建ち並ぶ美しいはずのビル群が既に力を失ったように西日に照らされ朧げに輝きながら終焉後の廃墟へと朽ち果てていく。干上がった川底にひび割れたコンクリートの壁と砕け散った窓ガラスそしておびただしい数の人骨浮かび上がる。
「貴方にも別の景色が見えているのですね?」
シエリはダートーサに振り返り小首をかしげる。
「ここはもともと姫様の執務室だった部屋です。ある日を境に姫様はこの部屋に近づかなくなりました。」
理由はエブリンにも今彼が見ている景色が見えたのだろう。シエリが再び視線を外に向けると街は夏の終わりの日が傾き始めた午後に佇まいを戻していた。広い部屋には座り心地は良さそうだが古びた椅子が一つだけ置いてある。
「それから姫様は狂ったようにクエストをこなし終わればこの部屋で一人景色を眺めていました。」
歴史模様が改善されるように必死で頑張ってきたのだろう果たして彼女は報われていたのだろうかとシエリは自我の深みにはまっていく。
パオワのルーゼとの際どい夜を乗り越え、今日はここローズ財団のヘッドクォーターの地下でグルガン族オードタシエ(血の滴る牙)のオルサバル達とトレーニングでたっぷり汗をかいた。充実した時間を過ごしたと満足していた。
"くだらない奴め滅びてしまえ、シエリは自身に呪いの言葉を吐きかける。自分の不在が大切な人にもたらした苦痛の大きさにただただ呆れるばかりだ。
この未来視できる窓の仕組みは分からない。歴史模様は変化する、強力な魔導師であるエブリン・エクスローズの新たな力の開花かも知れないし違うかもしれない。
だだ、ダートーサにも見えないそのビジョンが彼には見えるということは、二人に共有する何かがあると考えられる。受け入れなくてはならない。
おそらく、この古びた椅子は何らかの解決方法へと導いてくれるのだろう。"
カリーシンの上げるうめき声を聞きながらダートーサは背を向け後ろ手にドアを閉め部屋から逃げ出すように出て行く。彼はためらいもせずにあの古びた椅子に腰を下ろした。わかっていたはずだ、姫様の苦悩を追体験することを。それは生易しいものではない特に彼の立場にあれば信じられない苦痛であるはずだ。
「癪に触りますがあの女の事をもっと信じるべきかもしれませんね。」
パオワのルーゼは言っていた、
"お兄様が変わるはずはないと、アヴァンダン・シエリの本質が変化するわけがない"
と我々の危惧を横で聞きながら大笑いしていた女の顔を思い浮かべる。昨晩も大事なかったようだ、もし不具合があったとても姫様の力をもってすればルーゼの自我を押しのけ抵抗できるはずだ。
「抵抗するかしないかは姫様の判断ですが。案外すんなり受け入れたりして。」
笑いながら独り言を言っている自分に気付いたダートーサはため息をつく、やはりあの男は危険だ。この百年、科学の進化は凄まじく取捨選択が複雑化の極みにたっしている。
八十年前パリで出会った少年のことを思い出す。何世代もの代をかさね共に戦ってきたカリーシンだったが幼い頃からの出会いは初めてだった。
姫様も我々も一瞬で恋に堕ちてしまった。そして、あっけなく死んでしまった少年だ。いや待てよとダートーサは立ち止まる。 あの彼が成長して帰ってきたと考えれば簡単なことだ。
ダートーサは無理やり個人的な感情を遠くに追いやると、準備するべきことを考え始める。ルーゼのパスポートは用意できたビザもネットで簡単に手に入る時代だ。現地へ送る部隊の人選も進んでいる。
あと気をつけなくてはいけないのは、あの近辺に強い影響力を持つ難敵オシカークと狂った闇の商人夫妻。そして日本のアシュールの活動する飛び地がヒマラヤにはある。
再びカリーシンへと考えが戻る。時間がない、今、彼が受けている精神的な拷問から、素早く立ち直ってもらうにはどうすれば良いか。
姫様の許可は頂いている。彼のベッドの中へ忍び込むのもいいかもしれない。問題は誰がとういうことだなと。ダートーサ妖艶な笑みを浮かべる。




