地下戒壇
一切の光の届かない場所だ、ユキは左手の指先を壁につけ人間界との接触を離さないよう前に進む。視界からの情報はない、右手に広がる異次元の世界へと空気の流れと共に魂が引っ張られて行こうとする。だが俗世に住まう人間が迂闊に入り込むには恐れ多い場所だ。
そして辛い孤独な時間が始まる。二度と再び光の中に戻ることが永遠に暗がりの中に閉じ込められてしまうと言う恐怖が心に芽生えては消えて逝く。やがてそんな時間も過ぎ去り己に向き合う自分と会話しながら道を進んで行くと心の錆がパラパラと落ちて後ろに遠ざかってゆく。
左手の指先から壁の感触が消え一本の小さな蝋燭の灯った部屋へたどり着いたことを心が遅れて感知する。蝋燭の横には何かある、指先が壁から遠ざかる不安と戦いながら近づいて行く。毛布にくるまった雪山遭難者といったイメージだがおそらく始乃だろう。ユキは横に座り込むと手を伸ばす、「シャー!」と言う威嚇音に一瞬固まってしまうが弾けるように笑い始める。
「ひ、ひどい。酷過ぎます。」
「いや、すまんすまんびっくりして笑ってしまった。」
「びっくり笑いなんて最低です。」
始乃が思ったよりも元気そうなのでユキは少し安心する。
「ところで、こんな場所で何してるんだ。」
「闇の中でうずくまっていたのです。」
「なんで?」
「知っているのでしょう?」
「何を?」
「やはり本当は酷い人だったんですね、優しい方だと思っていたのに。」
「優しい人かどうかは分からないが始乃を迎えに来たのは確かだ。」
「私は闇の一族に追われているのです。捕まれば繁殖用の性奴隷とし誰それの子を産み続けることになるのです。闇の魔女が結界を破りました。貴方の仕業ですね。」
ニ胡の結界が破られ何者かが侵入してきた。それが彼女をつけ狙う闇の一族だと怯ええているのだろう。ユキは綿毛布の中の始乃の手を握り冷たいなと呟いた。
「情けは無用です、私は貴方の思い出にもなれない哀れな女です。」
拒もうとしたユキの手が頬に触れ震えているのが泣いているのが伝わっていく。
「誤解と勘違いが始乃の心を乱しているんだ。」
そう言ってユキは横たわる始乃を引き寄せ抱きしめる。やめてください、と始乃は口では抵抗するが体はぐったりとしたままだ。ユキは彼女の頭を膝の上に乗せゆっくり撫でながら話し始める。
「彼女の名前はシューレル現存する古の大魔導師に違いは無いが彼女は闇の一族ではないよ。」
「突然現れて理解不能な言語を喋りながら近づいて来たのです。」
嗚呼なるほどそこから誤解が始まっていたのかとユキは納得する。シューレルが基本的に使っている古語と現代日本語との言語認識の変換がまだスムーズに行なわれて無かったのだろう。
「彼女も始乃も闇の一族ではない、まずそれから受け入れてくれ。」
「それは無理です。私の両親は闇の一族です。唯一私の特異体質を知っていた母は私が12の時その身を犠牲にして私を逃してくれました。私は母が陽の光に焼かれて消えていくのをはっきりとこの目で見たのです」
「それでも君は闇の一族ではないと信じて欲しい。」
「貴方も私に尋ねたではないですか血は好きかと。血など好きではありません、でも時々夢を見るのです愛する男の血を吸って満足げに口元を拭う自分の姿を。」
ユキは饒舌になって行く始乃の頭を撫でながら彼女の魅了の力に抵抗する。この力こそが始乃が一族に付け狙われるられる原因なのかもしれないと考えながら。無意識に発動されたのだろうがジワジワとユキの心を侵食しようとする。
"この女が欲しい、総べてを支配して体の隅々まで味わい尽くし、女の上げる喜びの声を聞きながら女の体の奥深くに精を放ちたい"
と激しい衝動が接触する部分、太ももから手のひらから忍び込みユキに心に襲いかかる。
シューレルの力と比べても遜色ないものだがユキはこの手の誘惑に慣れていた。幼い頃から水難(女難)の相を指摘され知らず知らずのうちに身を守る術に長けていたのだ。丁寧に解きほぐし呪が根本から瓦解しないように相手を傷つけないように解呪する。"たらしの聴雪"の真骨頂だ。




