月の影
"薄暗い影の中にいるような、そんな日々だった。西部戦線の拡大は収まることなくオランダ、ベルギーに続きパリに脅威は迫っていた。それが異世界人との戦いの一部だと断定はできない。だが人間は貧困と不平等に雁字搦めの生活の中、瀕死の状態だったのだ。手が届きそうで届かない水面に向かい酸欠のまま必死に深みから抜け出そうと足掻き続けるのにも限界が近づいていた。
希望は存在した、私の三人の息子だ。千年近い年月を経て戻ってきてくれた、この星に残された僅かな光は月の影に閉ざされた我々の心を救ってくれるだろう。"
セザール・シエリの手記より
「貴方のお祖父様、先代シエリ卿セザール ・シエリには三人の息子がいました。」
「それぞれに血縁はありませんでしたが、長兄のアヴァンダンはパリ下町に突然現れ七歳で皇帝の生まれ変わりと呼ばれた少年でした。」
「次兄のアデラールはシエリ卿の遠縁で三歳の時異能を顕現させS機関にスカウトされた。」
「ジプシーの子供ラナトゥは見世物小屋でシエリ卿に保護されたらしい。余談だが、彼は異世界人の血を引いていると言われている。」
「ラナトゥは金で買われた子供だった。ここでは重要ではないかもしれないが本人の拘りだ。」
とシエリは育ての親の一人ラナトゥに事ある毎にそう聞かされてきた。
「人間自身が最も多くの人間を殺した時代でした。」
「世界中が混乱していた。そして子供だった我々にこの世界を救う力など在るはずも無く逃げ惑うのが精一杯だった。」
「セザール・シエリは暗殺者に追われる私たちを快く受け入れてくれました。おそらく打算もあったでしょうが。」
「一緒に過ごしたのは100日ほどだったが楽しい日々だったと心から言えるぞカリーシン。だが春は来なかった。」
「私達はセザールの思惑通り記憶を失ったアシュールを貴方を覚醒させようと様々な方法でアプローチしました。それが恩返しだと思ったからです。」
「貴方がなぜ"皇帝の生まれ変わり"と呼ばれたのかは直ぐに分かりました、貴方が絶対に曲げない強い信念を持ちそれを柔らかい優しさで包み込み、あの年齢で体現していたからです。私達が恋に落ちるのには時間は掛りませんでした。」
「前世の貴方にだからね、前世の!」
「貴方は今風に言えば態と不吉なフラグを立てまくりそれをぶち折って行ったの。」
ワッセナーとグーネリは懐かしそうに視線を合わせ微笑んでいた。やがてパリ陥落が時間の問題になりシエリ家の別邸とワイナリーが在るボルドーへ戦火を逃れ疎開することが決まった、そして悲劇は起こったと言う。
「貴方はシエリ家の家人の中に姫様を狙う暗殺者が紛れ込んで居ることを察知し排除しようとしたのです、たった一人で。」
「愚かにも私達を先に屋敷から送り出し話し合いで解決しようとしたのです。」
「貴方が私達が知っている記憶のあるアシュールなら絶対にしないミスだ。」
「負のサテライトと呼ばれる暗殺者は遺伝子レベルで使命が刷り込まれているから言葉では解決できないのよ。」
「ある日突然、最適のタイミングで使命が発動され実行される。もし事前に察知されたり暗殺が失敗した場合は自動的に自爆するようなプログラミングされている人間兵器なのだ。」
シエリは心の中で大きなため息をつく、彼女達が自分のことを信じきれない理由がはっきりしたからだ。
自分自身が前世に記憶のない狂ったアシュールと呼ばれる危険性をはっきりと証明していたとは思いもしなかった。
「すまない迷惑をかけたようだ。」
前世とはいえ子供の無知な正義感が周りに危険を及ぼしていたとは考えもしなかった。
「謝罪は必要ありません。第三世代から転生を重ねようやくたどり着いた研究結果です。」
「それに貴方の過ちは結果的に私たちの災いを取り除いてくれるものだったのよ。」
「あなたは身を挺して自爆テロから回りを守り暗殺者をも守ったのです。」
「暗殺者を守った?」
「そうです、あの時あなたが考え至った最善の策だと思われます。死ななければあの子は再び暗殺者として私たちの前に現れることはありません。」
「あの子はこの湖の底、二度と目覚めることのない眠りについています。」
「あの子は私たちの仲間六番目のサリー。」
「今はまだ見つけられませんが、あの子の魂を浄化する法にいつかきっと辿りつけると信じています。」
「感謝はしているけどあなたの評価は最低"《《何なのあの男信じられない》》"」
「まずそれを受け入れてください。」
「そうだな受け入れるべきだ。」
女たちの声がシエリの心の中で何度も響き渡る。




