旅の姉妹 シエリ
屋敷へと続く小径を蛍のような小さな光に導かれ歩いて行く。建物はモダン建築の平屋の邸宅で浅い水の流れが水堀のように屋敷の周りを巡りやがて湖へと落ちていくのが見える。聞こえてくるのは水の音だけ、遠くに見えるシカゴの街の摩天楼が夢のように輝いていた。
無防備に触れては危険なものだとは分かっていたが、覚悟を決めて前に進む一歩、歩けば記憶を見失い、また一歩、歩けば記憶が戻る、強力な結界がはられている。おそらくこの蛍のような光の導きがなければ侵入者は記憶を失ない自分がなぜここにいるのかも忘れ去り森の中を彷徨うことになるのだろう。
そして、首尾よくこの結界を抜けても、待ち構えているのは巨大なティンバーウルフだった。グレイ家の"歴史書"には開祖であるバイロン・グレイを守護する灰色狼のことが書き記されている箇所があった。知性を持ち人語を理解する狼は主人のくだらない冗談を鼻で笑っていたと伝えられている。音もなく現れた彼は、シエリの指先を嗅ぐと懐かしそうに擦り寄り触れることを許すと再び森の中に消えていった。
湖からの穏やかな風に乗り東洋風のスパイシーなインセンスの香りが漂ってくる。白いゆったりとしたドレスを着たブロンドヘアを複雑に編み上げた女がスティック状の火のついたインセンスを屋敷の周り突き刺して祈りを捧げていく。古い浄化の儀式だ、女の纏うドレスの布地は薄く、大胆に透けており下着もつけていないのが分かる。乳房の先、淡い陰毛、全身に彫り込まれた儀礼的な入れ墨がシエリには、はっきりと見えた。
女は玄関と思われる大きな扉を開け放つとその中に消えていった。湖からの風は風向きを変え屋敷の中へとゆっくりと流れていく。シエリは女をあるいは風の流れを追うように屋敷の中へと入って行った。
「カリーシンよくおいでくださいました。」
そこで彼を待ち受けていたのは白髪、薄いオリーブ色の肌、金色の瞳を持つ、物語ならばダークエルフと分類されそうな長身の美女だった。彼女の名はダートーサ・エリンゲレル、エブリン ・エクスローズのサリー(旅の姉妹)の中でも筆頭に位置する"冷血"と呼ばれ恐れられている魔女だ。
エブリンと側近たちのプロフィールに写真は公開されていない。だがシエリには、なぜだか彼女が誰なのかすぐにわかった、冷血と呼ばれた彼女の温もりも知っている。
「久しぶりだな。と、言っておこうかダートーサ。お前の香りと暖かい手はなぜだか覚えている。残念ながら俺に過去の記憶はない。エブリンの顔すら思い出せない。すまんな、また迷惑をかける。」
そう言葉を発したシエリも言われたダートサも驚きを隠せない。長い数秒間が過ぎ、時の流れなどまるでなかったかのようなシエリの言葉にダートーサは答える。
「カリーシンあなたはいつも私たちの想像の遥か上を超えて行きますね。そして、それが私たちにとってどんなに恐ろしい事なのか分かっていらっしゃらない。」
寂しげな言葉の響きに終末の予感をシエリは覚える。死が刻々と迫ってきている、そんな時間帯に自分は迷い込んでしまったことをひしひしと感じていた。逃げるなら今しかない、罠かもしれないが後ろの扉は開かれたままだ。
だが、彼がそれを選択することはないだろう。エブリン・エクスローズを永遠に失うことが、死よりも悪い運命だと、記憶を失った彼の魂にも深く刻まれている、それを今、彼は、はっきりと意識した。
「俺は知ってしまったんでな、ダートーサ、旅を続けたいと思っている。」




