襲撃
工業地区からとんぼ返りしようとしたシャーロット達だったが、運悪く辻馬車が見つからず、徒歩で帰ることとなった。
事務所のあるアパートメントとは直線ではさほどの距離ではなかったものの、到着した頃には既に深夜の真っ只中だった。
「廊下ではあまり物音を立てないようにしたまえ。家主のランドロード氏は薬を飲んでも寝付けない体質だからね」
シャーロットに言われるがまま、靴や衣擦れの音にも細心の注意を払ってジョナスは彼女の後をついて行く。
そこまで彼が音を出さないようにしたのには、大家の睡眠よりも、彼女が抱えている爆弾が気にかかっていたこともあった。
もし、不意に爆発でも起きてしまったら。
一時も気をそらすことができない緊張感からか、甲高い羽音のような耳鳴りがジョナスの聴覚を刺激する。
二人はやがてシャーロットの事務所にまでたどり着き、そっと入室する。ジョナスが後ろ手に扉を閉めたその瞬間、シャーロットの声が静寂を破った。
「もう大丈夫だ。この部屋には防音の魔法陣も仕掛けてある」
「――ふぅ」
ジョナスは、思わず溜めていた息をゆっくりと吐き出した。爆弾の件は何も進展していないが、事務所の雰囲気で、さながら行軍の最中の一休止のように彼の疲れと緊張を解したのだ。
そんなジョナスとは対照的に、シャーロットは爆弾の箱を手に事務所奥の執務室に向かう。そこは書斎や応接室に加えて作業場としての役割も兼ねており、部屋の片隅にある無骨な作業台に腐食しかけの箱を置いた。
「よーし。早速だが解析といこうじゃないか」
まず彼女は小さな木槌を手に取り、箱の上面と側面、合わせて五面を順番に軽く叩いていく。手応えで材質を、振動と反響で構造を推測するためだ。
「ふむ。やっぱりここからだな」
次に錐状の工具を手に取り、一部が腐食した側面に先端を当てると、木槌で工具の尻を叩いていく。案の定その箇所は脆くなっており、網状の穴は崩れながら大きくなっていき、やがて指一本入る程度のサイズになった。
箱を置いたままシャーロットは一旦その穴を覗き込み、工具の先端をその穴に差し込む。そして梃子の要領で力を入れ、穴の開いた側面を箱から剥ぎ取った。
「なるほど。こんな構造になっていたわけか」
箱を傾けると、今度は板状の物体が中から出てきた。箱の底面と同じ面積の金属板を土台に、袋や機械部品、輝石等が、ネジやハンダ、溶接で固定されている。
ぱっと見では分からない物体ばかりであったが、ジョナスは袋の中に爆薬が詰まっているのだろうと本能的に察した。
「見たまえワッツ君。あの工業地区一帯の廃水のせいで、すっかり袋が破けてしまっている」
シャーロットが工具で指した部分には確かに小さいながら穴が開いており、そこから中身が泥のように流れ出していた。
「こんなに湿気ってしまえば、爆発も何もあったものじゃない」
言葉とは裏腹に、シャーロットは流れ出ている泥を工具で僅かに掬い取る。そして手際よく試薬の紙片を準備し、そこに泥を載せた。少し遅れて、紙片全体が黄色から灰色に染まっていく。
「やはりここがメインとなる爆薬だ。ここを取り外してしまえば、ひとまず爆発の心配はない」
シャーロットは工具を再度手に取り、袋を縫い留める矩形の部品を一つ一つ外していく。それらを全て取り外すと、中身が更に零れ出ることが無いよう慎重にピンセットで摘まみ上げ、傍らにあった膿盆にそっと置いた。
「さて、こうして見れば構造は単純だ」
それまでの緊張を解そうとしているのか、シャーロットは金属板を指し示して解説を始める。
「起爆方法は、爆薬の下にある火花放電装置による点火。そしてその装置はこの魔石につながっていて、特定の波長の魔力を受信することで起動する遠隔の装置だ。時限式でないのは、例の『浄化計画』はこの爆弾を必要数設置しないと成立しないものと見た」
「必要数……じゃあ襲撃事件の犯人は、『計画』に対して反対か不満を覚えていて、それを阻止するために仲間を襲撃しているってわけですか?」
「もしそうだとしたら、君は次にどう動くかね?」
さながら大学教授がしてくるような質問を受け、ジョナスは少し慌てる。必死にこれまでのことを思い出し、そして日中のシャーロットの言葉を思い出した。
「襲撃事件……もとい爆弾は、特定の図形を描くような法則に従って設置されています。それを基に残りの地点を推測して張り込めば、いずれ包囲網に引っかかるはずです」
「いい答えだ。だが、それよりももっと早い方法がある」
そう言って、シャーロットは口元で指を立ててジョナスに静粛を求める。突然のことながらジョナスがそれに従うと、事務所に入る前に聞こえていた甲高い羽音が再度耳に飛び込んだ。今度は耳鳴りではない。
「あれ? この石何か光ってませんか?」
音の発信源を辿ると、金属板の片隅にある、胡麻一粒程の大きさの石が点滅していることにジョナスは気づいた。他の部品とは配線等でつながっているわけではなく、完全に独立している。
「――今だ」
シャーロットは徐に懐に手を入れ、何かの操作を行う。そして突如、玄関の方で鋭い金属音が鳴り響いた。
『っ!? があっ!!』
同時に、ジョナスには聞き覚えの無い男の悲鳴が、扉越しに聞こえてくる。遅れて、廊下を乱暴に踏み鳴らしながら足音が遠ざかっていった。
「い、一体何を?」
「『お客様』のお出ましさ」
懐から手を抜くと、シャーロットは持っていた遠隔装置のスイッチを床に落とす。そして愛用の傘を手に取り、窓から飛び出した。
「ワッツ君! 君は玄関から追うんだ!」
「は、はい!」
シャーロットの指示に従い、ジョナスは玄関に駆け出す。扉には鋭い金属音の正体である、研ぎ澄まされた金属矢が刺さっている。
扉を開けると、貫通した矢の先端には血が滴っており、廊下には足跡のように点々と血痕が残っている。先程の足音は、既にアパートメントの出入り口から出て行ったようだ。
「何だね? 何が起きたのかね?」
「部屋に戻って、鍵をかけてください! ランドロードさん!」
騒ぎを聞きつけて目を覚ました大家を一喝しつつ、ジョナスは血痕の後を追う。
外に飛び出すと、シャーロットが先行して血痕と、逃げようとする人影を追っていた。何とか彼女に追いつくと、ジョナスは走りながら質問を開始する。
「誰ですか、あれは!?」
「『浄化計画』の関係者だろう。爆弾が取り外されたことに気付いて、ここまで追跡してきたんだ」
「気付いてって……まさかあの石ですか?」
「ご名答。恐らく所定の場所から離れると、微弱な魔力を発信してそれを伝える仕組みがあった。甲高い音で居場所を知らせるはずが、事務所が防音だったものだから特定に手間取ったんだろう」
「さっきの矢を撃ち込んだのは?」
「このアパートの住民のものではない足音を、魔法陣経由で探知した。音を聞こうと扉に耳を当てたので、そこをズドンさ」
そう言ってシャーロットは手指で拳銃を模し、撃つ真似をする。
そのような会話をしていると、先にいる男が裏路地に逃げ込むのが見えた。出血と痛みからか走るのは遅く、徐々に彼我の距離は狭まっている。シャーロットとジョナスは互いに目配せし、ジョナスは男と同じ、シャーロットは一つ手前の裏路地に駆け込んだ。
「待て、その……泥棒!」
何と呼べばいいか分からず、真っ先に思いついた言葉をジョナスは叫ぶ。すると、男が突然足を止めた。
「――泥棒、ね。まさか盗人風情に言われるとは」
大振りのナイフを抜いて男が向き直る。男の右頬に斜めに走る、血垂れる傷口を目の当たりにし、ジョナスは自分の判断ミスを悟った。
(もしや、足音が一つになったのに気づいて……!)
「――ふっ!」
短く息を吐き、男はジョナスの胸に一突き入れるべく飛び出す。おおよそ人力では成し遂げられない速度に、ジョナスは反応することが出来なかった。
(死っ――!)
「はあ!」
突如頭上から声が鳴り響き、棒状の陰がジョナスと男の間に落下してくる。
それはシャーロットが持ち歩く傘であった。男を遮るように降ってきたそれにナイフが当たると、甲高い金属音を鳴らして男もろとも弾き返した。
「これは……!?」
「彼は私の大事な助手だ。ご勘弁いただこう」
遅れてシャーロットが降り立ち、石畳で弾んだ傘を一顧だにせず捕まえる。
「大丈夫かね、ワッツ君?」
「は、はい。ありがとう、ございます」
「今のは私の判断ミスだ。申し訳ない」
傘をレイピアのように握り直したシャーロットは、半身に構えて男と相対する。
「貴様達の『計画』とやらは既に把握している。さしずめ貴公は、前任者の仕事を押し付けられた哀れな末端といったところか」
「『計画』が……!? 『あの野郎』、裏切っただけでなくそんなことまで……!」
「……?」
歯ぎしりする男の言葉に、ジョナスは言いようのない違和感を覚える。
「もう任務など知ったことか! いずれにせよ、お前達には死んでもらう!」
逆上した男がシャーロットに襲い掛かる。ジョナスを背にするシャーロットはその場から動かず、傘捌きと、軽い左右へのステップだけで男のナイフをいなしていく。
「くらえ!」
埒が明かないと判断した男は、空いた片手に複数の火球を生み出して投げつけてきた。
ナイフに集中したら火球が命中し、火球を弾けばナイフの一突きが待ち受ける。
現状を把握したシャーロットがとった行動は、第三の手段であった。
「――『開け』」
その言葉が口から発せられた途端、傘が開いて光を発する。
光の正体は、傘の布地に刺繍された、複雑かつ複合的な魔法陣の集合体であった。ナイフを弾き返したのも、その中の魔法陣の一つによるものだ。
火球を受け止めた布地は一切燃え広がることなく、逆に男目掛けて火球を反射する。
「う、ぐあ……!?」
「『閉じろ』」
自らの炎に怯みながらも、男は同威力の火球を打ち出して相殺する。そんな男に、シャーロットは詠唱と共に傘を突き出す。
すると傘の布地は独りでに折りたたまれていき、男のナイフを叩き落とした。
「勝負あった、な」
「くっ……!」
観念した男は両手を上げ、抵抗の意思が無いことをアピールする。
「と、まあ、さっきの続きだが……発信装置が組み込まれていることには気づいていたが、こうして誘き寄せたいがために黙っていたんだ。すまないねワッツ君」
「まあ……お互い怪我が無かったからいいんですが……」
ジョナスが口を濁したのは、シャーロットの意図に対してではなかった。
パートタイムとはいえ助手を名乗っておきながら、何も彼女の手助けができなかったのが歯痒かったためだ。
そんなジョナスの心境を知ってか知らずか、シャーロットは男への尋問を開始した。
「手短に聞くとしよう。ヘリオ・サーフという男に心当たりはあるかね?」
「……ああ、知っているさ」
不意に、男は粘ついた笑みを浮かべる。その視線は、シャーロットを直接見てはいなかった。
「だがもう遅い……『あいつ』が来てしまっ――」
「っ! 伏せろ、ワッツ君!!」
背後から接近してくる、重厚な圧力。
シャーロットの指図とほぼ同時にジョナスが伏せると、頭上を黒い影が通り過ぎた。そして一人だけ立っていた男がそれと衝突し、巻き込まれながら後方へと吹き飛んでいく。
「な、なんですか今のは……?」
「分からない……だが、一つだけ言えることはある」
二人が立ち上がり、ようやく男の状況を目の当たりにする。
黒づくめの巨漢に頭を握り締められた状態で、男は路地奥の壁に叩き付けられていた。かろうじて手足は動いているものの、生きているとは到底断言できない状態である。
「――おや。今日は珍しいことが重なるものだ」
巨漢の陰から、一人の青年が姿を現す。
巨漢とは対照的な白衣に、夜風になびく金髪。
その容姿に、ジョナスは脳裏で何かが結びつく感覚を味わった。
「あれは……!」
「どうやら、あちらが本命のようだ」
シャーロットは、不敵に笑みを浮かべた。
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