実地調査
夜を目前とした夕方。工業地区。
別名『不夜地区』とも呼ばれるここでは、工業製品の製造をほぼ一手に担っており、国外、とりわけ海外への輸出も盛んであるため、隣接する港湾地区と同じく海に面している。
その海岸沿いの一角にて、シャーロットとジョナスは人目を忍ぶように歩いていた。
「それにしても、この辺りは盛況ですね」
「常時交代制で、昼夜の区別なく動いているからね。三交代に二交代、噂では一交代で切り盛りしてるところもあるらしい」
「それは……ちょっと笑えないですね」
業種は違えど、大学の先輩達が時折辿っていると言われる勤務体制を思い出し、ジョナスは苦笑しながら辺りを見回す。
時折換気するために開いた窓から勤務中の従業員達の姿が垣間見えるが、皆周りから浮いた格好のシャーロットとジョナスに気付いた様子は無かった。
「こっちだ」
シャーロットの案内で、とある鉄工所の建物の陰へ進む。しばらく歩くと、柵で仕切られた護岸が目の前に現れた。
ジョナスが軽く身を乗り出して下を覗くと、象も通れそうな直径の排水口が一つ飛び出している。この工業地区の廃水が集約されているためか、虹色の光沢に塗れた何らかの破片が時折流れ出ていた。
その排水口の脇にかろうじて覗いている砂浜に、シャーロットは慣れた様子で、ジョナスは恐る恐る降り立つ。
工業油をベースにした臭気に、ジョナスは若干顔をしかめた。
「なかなか強烈ですね」
「直に吸うと危ない。これを着けたまえ」
そう言ってシャーロットが渡したのは、刺繍のような紋様がある広いハンカチだった。シャーロットに倣って三角に折り、バンダナのように鼻と口の上から覆って後頭部で縛る。するとそれまで漂っていた臭気は鼻腔を刺激しなくなり、呼吸が楽になった。
「便利ですね、これ」
「魔法陣を縫い込んでいる。毒物を遮断できるが、嗅覚に頼れなくなるのが欠点だがね。さて、入ろうじゃないか」
錆と汚れに塗れた『火気厳禁』の看板を通り過ぎ、二人は排水口に立ち入る。奥に行くにつれ深くなる闇を前に、ジョナスは反射的に照明魔法で光球を生み出していた。
レンガ積みの壁面を頼りに、二人は歩みを進める。時折、見慣れぬ来訪者に驚いた壁の割れ目にネズミが逃げ込むのが見えた。雨風が来ない環境なのもあってか、複数人の靴跡が残っている。
「一応人の来た痕跡はある、って感じですね」
「時々検査官が排水の成分調査は行っているからね。私が何か悪事をするなら、もっと奥まで行くだろう」
シャーロットの言葉を裏付けるように、奥に進むにつれ足跡の数も減っていく。そして二人は、二手に分かれる排水路に出くわした。
「どっちでしょうかね。足跡はどっちにも続いてるみたいですが」
「このままだと、昔ながらのコイントスで決めることになるが……うん?」
シャーロットは、水路と歩道の境目にふと目を留める。
「左だ」
「それは、どういう理由で?」
「水路から歩道に上がる足跡があった。成分調査だけなら、わざわざ水に入ったりしない。被害者の一人は、恐らく潜入に気付かれないよう、途中まで水路を歩いたんだ」
「……この廃水の中を?」
「当然、防水の長靴を履いていただろう。現にこっちに続く靴跡は、その形のものだ」
シャーロットの推理に従って左の水路へと進む。最初は転倒を恐れていたのか、足跡の間隔は狭かったが、次第に大股に歩くようになったのか、徐々に感覚が広がっていった。
そしてやがて、とある排水口の一つで足跡が立ち止まる。他の排水口と比べて、そこを流れ出る水量は極めて少なかった。
「奥に何かあるようだ」
「明かりを向けます」
ジョナスが光球を操作し、排水口の奥を照らす。そこには箱状の物体が据え付けられていた。
「これは……機械?」
「やっぱり、こういうことか」
シャーロットの言葉に、ジョナスは思わず振り返った。
「やっぱりとは?」
「前に話しただろう。工業地区の廃水が汚染されているという、例の新聞記事だ。あの時記事に書かれていた成分の中に、気になるものがあった、そう……」
一呼吸おいて、シャーロットは続ける。
「爆薬だ」
「じゃあ、これは……!」
「おそらく爆弾だろう」
そう言って、シャーロットは傘の柄の部分を排水口に差し込んで、一息に箱を引き抜く。
「ちょっと、爆弾ですよ!?」
「わざわざこんな劣悪な環境を選んで設置しているんだ。特定の手順を踏まないと起爆しない、かなり安定した機構と見て間違いない」
百科事典大の物体を手に、シャーロットは上下左右に傾けて外観を確認する。密閉された、金属製の箱。だがその角は、廃水による腐食で細かい穴が開いていた。
「ふむ……ここから爆薬の成分が漏れ出していたみたいだ」
「なんか、思ったより小さいですね。これで『浄化』なんてできるんでしょうか」
「これは氷山の一角だろう。他の被害者達も同様の装置を設置しているはず……それらを一斉に起動することこそ、『浄化計画』とやらの本命だ」
その言葉に、ジョナスは思わず周りを見回す。
凝視すると、下水道の奥の方に、同様に水の出が悪い排水口がいくつかある。
ジョナスは今、自分達が爆弾の群れに囲まれていると気づき、背筋が震えるのを感じた。
「それで……その爆弾はどうするんです? スミス警部に伝えます?」
「その前に、爆弾の機構の調査をするとしよう。その方が警察に解体のノウハウを伝えられる」
箱をじっくりと眺めながらシャーロットが呟く。その目は、さながら新しい玩具を前にした子供のようである。
「他の爆弾はどうしますか?」
「回収したいのはやまやまだが、今の私達では持てる数に限りがある……せめて、起爆した時に誘爆しないようにしておこう」
シャーロットはジョナスに箱を渡すと、懐からペンと付箋の束を取り出して、複雑な図形を手慣れた様子で描き出した。
「それは一体何なんですか?」
「物質強化の魔法陣だ。私の傘にも刺繍で施していてね……これが描かれた物体は多少の衝撃には耐えられるようになる」
「それだと、その付箋だけが丈夫になるのでは?」
「そう思って、今改良している……よし。これで、多少強度は下がるが貼り付けた物にも効果が及ぶようになった」
付箋をパラパラとめくると、二枚目以降にも同じ図形が転写されている。それを十枚ほどまとめて剥がすと、箱と引き換えるようにジョナスに手渡した。
「裏に糊がついているから、至急、この辺りの壁面に貼り付けてくれ。万全ではないだろうが、『浄化作戦』とやらが想定している規模の爆発は抑え込めるはずだ」
「分かりました!」
付箋を受け取ったジョナスは、足早に付近を探し回っていく。そして、水の出が悪い排水口を覗き込んでは、シャーロットが改修したのと同じ箱を見つけるたびにその壁に付箋を貼り付けていった。
「一通り貼り終わりました」
「ありがとう。私の方でもいくらか貼っておいたよ」
「そうでしたか……ふぅ」
ひとまず安心できる状態にはなったと分かり、ジョナスはほっと一息つく。
「流石に、私も緊張したなこれには」
「オームさんが?」
「おいおい。私だって、怖がる時や泣く時や怒る時だってあるさ」
「それは……依頼の時も、ですか」
少し逡巡し、ジョナスは以前から思っていたことを口にした。
爆弾を取り出す際もそうであったが、依頼に集中している間の彼女はどことなく非人間的な感じを漂わせる。
依頼を何度かこなしている内に、ジョナスは彼女のそんな姿にすっかり慣れたつもりになっていた。
「ふむ。もしかして、君には私が、機械的に依頼をこなしているように見えてるのかな?」
「ああ、いえ。そんなに問い詰めたいと思ったわけでは……」
「そういえば、私が探偵を始めた話はしたことがなかったね……道すがら話そうじゃないか」
傘で出口の方を指し示すと、シャーロットは歩きながら話し始めた。
「私が実家を出たのは四十年前。自分で言うのもなんだが、オーム家は魔族の中でも、名家に位置づけられる貴族でね。農作物の品種改良や土地の開墾において名だたる成果を上げていた」
「貴族が、品種改良を?」
「うん? ……ああそうか。君達人間と魔族とでは、貴族の成り立ちが違ってね。魔族や魔物が暮らす土地は過酷で、そこを住みよくなるよう尽力する者達が貴族として力を着けるんだ」
「そうだったんですね……武勲で名を立ててきたこっちとは、色々違うんですね」
「そう。話がそれたな……とにかく、そうした事業に触れている内に私は化学や機械工学の方面に興味が出てきて、それを活用したいと考えた」
「それで思いついたのが、探偵業ですか」
「ご名答。両親や兄には大いに反対されて、勘当同然に家を出て、この街に辿り着いた。スミス警部やラッキーと出会ったのも、その頃だ」
二人きりという環境がそうさせるのか、シャーロットはやや饒舌に語り続ける。次第に入ってきた下水口に近づいてくる。
「その頃の私は若かった。調査不十分で犯人を逃しかけるし、口の回る依頼人にいいように使われたことさえあった」
「それで、入念に調べたり契約書を取り交わしたりするようになったんですか」
「ああ。おかげで、今でも私は頭の中で反芻しながら捜査している」
下水口から抜け出ると、シャーロットは口元の布を外しながらジョナスに向き直った。
「『賢しらに悪事を働く奴はムカつく』……単純だろう?」
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