勇者の務め
依頼を引き受けると決めてから、シャーロットは話を資料の確認へと移した。
リストの出どころやヘリオの入院に関する時系列等、可能な範疇でマーガレットが順に答えていく。
その光景に、ジョナスは警察官が犯罪者相手に行う尋問を連想したが、依頼の内容が内容だけに仕方がないと内心で結論づけた。
「――ありがとうございます。私からの質問は以上です……そちらからは何かご質問はありますか、ミズ・サーフ」
「いえ……あ、いや。一つだけあります」
確認作業が終わり、少し疲れていた様子のマーガレットが慌ててシャーロットに向き直る。
「弟のことなのですが……おそらく長らく治療を受けてきたので、お渡しした写真からはだいぶ見た目が変わっているはずです。それでも見つけることは可能でしょうか?」
「人の判別方法は、何も見た目だけではありません。骨格に歯型、私ならば血液からでも他人の区別はできます。そのためにも、貴女の血液を少し提供してもらいます」
「血ですか? その程度でしたら、いくらでも」
マーガレットが差し出した腕に小型の注射器を刺し、少量の血液をシャーロットは採取する。
「そして、これを」
続けて、採取した血液の瓶と入れ替えるように、一枚の細やかな意匠が描かれた紙を取り出す。
「これは?」
「契約書です。探偵という仕事は、情報のやり取りに限らず、依頼人との信頼関係が重要となります……失礼、貴女を疑っているわけではなく、過去にとある依頼人に裏切られたことがあるので、その用心としてこうした形で依頼契約を結ぶことにしているのです」
「なるほど……苦労なさってきたのですね」
マーガレットが契約書に目を落とす。そこには依頼人はシャーロットに全面的に協力することや、依頼内容に虚偽が無いことを誓約することなどの条項が記されており、依頼人の名前と報酬の金額の欄が空いていた。
書かれている内容に目を通したマーガレットは、自分に不利益をもたらす内容でないことを確信し、名前と、金額をそこに直筆で記した。
「ありがとうございます。必要であれば、定期報告を行いますが?」
「いえ。こうして依頼に伺えたのも、公務の合間を縫ってのことです。全面的に、貴女方を信頼します」
そう言うとマーガレットは席から立ち上がり、シャーロット達に会釈をする。既に窓の外から差し込む光は、夕日から夜の街灯へと変わっていた。
「この時刻ですと、何かと物騒です。うちのジョナスに送らせます」
「感謝します。お願いしますね、ワッツさん」
マーガレットの微笑に、ジョナスは少し息を吞む。自分とは兄妹ぐらいには年の離れた少女ではあったが、異性にそういった表情を向けられるのは、数えるほどしかない経験だった。
「では、こちらに……この辺り、港湾地区程じゃないですが何かと物騒ですからね」
ジョナスの先導でマーガレットは探偵事務所を後にする。
道すがら聞いてみると、コニスパイラス帝国の大使館を宿泊所代わりにしているとのことだったので、居住地区との境目まで案内するということで話がついた。
勇者を連れているということで騒ぎになるのではないかとジョナスは内心心配していたが、それなりに雑踏な往来のお陰か、二人のことなど誰も気にかけていなかった。
「ワッツさんは、あの事務所の助手さんでいらっしゃるのですか?」
周囲の喧騒に釣られたのか、マーガレットがおもむろにジョナスに話しかけてくる。家族とシャーロット以外の異性とはあまり会話してこなかったため、ジョナスはどう答えたものか一瞬迷った。
「ええ、一応。パートタイムで働いてて、本業は学生ですね」
「まあ。専攻は?」
「薬学です。怪我や病気の薬になる野草の調査がメインです」
「ご立派ですわね。難病の治療のためですの?」
「そこまでじゃないですよ。実家が田舎で貧乏だから、そういうのを畑で育てて稼げるようにできるかなと思って選んだようなものなので」
「なるほど……私の実家でも荘園を経営しているので、時折そんな話を耳にしたことがありますわ」
マーガレットの年相応な質問責めに、ジョナスは次第に砕けた口調になっていく。
「ところで、サーフさんはどうしてこの街にいらしたんです? 新聞に書いてあったのは知ってるんですが、記事を細かく読んでなくて」
「勇者契約儀式の視察ですわ。数年前からそちらで進めてる儀式の準備が、きちんと形式に則ったものか友好国であるこちらが監査しているのです」
「あー、そういえばここ専属の勇者を置きたいって、だいぶ前に首相か国防大臣が言ってましたね」
勇者とは、単なる政治的な肩書だけのものではない。
人間達の間で信仰されている存在、主神。超常的なその存在と、定められた儀式を介して契約した者だけがなれるのだ。
コニスパイラス帝国程の大国であってもマーガレットを含めて五人ほどしか拝領できていない狭き門。その見返りに、勇者となった人間は超常的な力を獲得する。
「きっと、この都市からも勇者が誕生しますわ」
「そうなるといいですね」
歩きながらの雑談を楽しんでいると、向かいから大柄な、おそらくオーガ種の男が歩いてきた。それに気づいたジョナスは、マーガレットを庇うように脇に避けようとする。しかし男はそれに追従するように身体をぶつけてきた。
「痛っ……大丈夫ですか?」
「…………」
男は無言のまま歩き去ろうとする。ジョナスはその背中に再び声をかけようとしたが、それより先に懐に軽く、冷たい感触が走ったことに気付いた。
「財布が……! こら、待て――」
「――お待ちなさい」
ジョナスの背後にいたはずのマーガレットが、いつの間にか男の正面に立ちはだかっていた。男は彼女の腰に提げられた剣に一瞬身を固くしたが、自分との体格差を思い出しせせら笑う。
「急いでるんだよ……どきな嬢ちゃん」
力任せに押し退けようと腕を突き出す男。その腕を片手で掴むと、マーガレットは一息に身体を翻した。
「えっ」
男の身体が空中に浮かぶ。身を翻す勢いに合わせ、地面を滑るような足運びが男の両脚を払っていたのだ。
何が起きたのか分からないままの男を空中で持ち替えると、マーガレットはそのまま一息に背中から石畳に叩き付ける。
「がっ!?」
「恥を知りなさい! 他人の財産を盗むような真似など!」
投げている最中に取り戻したのか、マーガレットはジョナスの財布を握っている。立ち上がった男は逆上しており、懐から慣れた手つきで木製の細身な棍棒を抜いた。騒ぎに気付いた周囲の人々が、悲鳴や驚きの声を上げながら離れていく。
「ナメるんじゃねえぞ、ガキが!」
「…………」
上段から力任せに振り下ろされる棍棒を、マーガレットは避けずに身構える。頭頂部を狙う一撃に、ジョナスは思わず飛び出して庇おうとするが、乾いた破裂音がそれを阻む。
棍棒が、爆ぜたのだ。マーガレットが無造作に繰り出した裏拳によって。
「…………へっ」
柄だけになった棍棒が、その場に落ちる。裏拳の衝撃により、男の手首は歪に折れていた。
状況を整理できずその場に男はへたり込む。マーガレットはジョナスに財布を返すと、男に近づいて懐から取り出したロープで拘束した。そして遠巻きに事態を見ていた通行人の一人を唐突に指差す。
「そこの紳士さん」
「えっ? はいっ、なんでしょうか……?」
「警察を呼んでくださいませ。罪状は窃盗と暴行。それと一連の正当防衛の証人になっていただきます」
「その、えっ、はい……分かりました」
有無を言わさぬ指示に紳士は言われるがまま付近の交番へと駆け出す。それを機に、騒ぎが収束したと判断した人々は、マーガレット達に少し視線を向けながらも元の歩みに戻った。
「すみませんね、ワッツさん。私のせいで少し騒ぎが大きくなって」
「あーいえ……むしろ、僕が送っていたのに、何もかもサーフさん任せにした方が申し訳ないと言いますか……」
「気にしないでくださいまし」
警察を連れてやってきた先程の通行人を一瞥し、マーガレットは微笑む。
「たとえ他国にいても、正義を執行するのが勇者の務めですから」
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