惨劇の夜
シャーロットが通されたリネン室は、乱雑とした有様であった。
扉を抜けた奥が横長に広がるL字の部屋に本来なら整然と並んでいるべきシーツやタオルは、雪崩れた後の山肌のように垂れ下がっており、それらを納める棚も何らかの拍子で壁際から大きくずれてしまっている。
しかし何より目を引いたのが、大量のシーツやタオルの下から床に広がる、血溜まりであった。
「失礼」
そう呟いてシャーロットがシーツの山をめくると、そこには侍女が仰向けに倒れていた。微動だにしない顔を見るに、事切れていると誰もが分かる状態である。
「いいか、俺は悪くないぞ」
誰に聞かれるまでもなく、取り押さえられていた男が吐き捨てるようにシャーロットに呼びかける。
「俺はただ、パーティに参加してただけなんだ。そうしたらそこの侍女が呼び出すわ、訳の分からないことを言うわで……そうそう、ここの酒は美味かった……とにかく、ちょっと押し退けただけで大袈裟に倒れやがったんだ」
「その話はまた後で伺いましょう。それで、第一発見者は貴女ですか?」
赤ら顔で要領の得ない話し方をする男を一旦制止し、シャーロットは腰を抜かしているヴィナスに目をやった。
「はい、私です……」
「覚えている範囲でいいので――」
「おい、待てよ! そもそもてめえが探偵だって、誰が証明するんだよ!」
無視された腹いせなのか、男がシャーロットの聞き込みを妨害するように口を挟む。
シャーロットの隣にいるジョナスも、どう説明したものか喋りあぐねていると、一人の男が手を挙げた。
「その人達の身元は、私が保証しましょう」
「コアートさん……」
挙手をしたのは、取り押さえられている男と負けず劣らずの赤ら顔だが、いたって真剣な表情のレクトであった。
「シャーロット殿とワッツ殿は、クルシブルでご活躍されている名探偵と助手だ。クルシブル・ヤードとも深いつながりがあって、何を隠そう、私も彼女に助けられたのです」
「あのクルシブル・ヤードと……?」
「それに、コアートさんが言うのなら……」
レクトの言葉に顔を見合わせた人々の間に、安心感に似た雰囲気が広がる。
自分の思い通りに事が運ばなかったのもあってか、男は悪態を吐き、シャーロット達から目をそらした。
「失礼、ミス・インビル……改めて、覚えている範囲でいいので、説明をお願いします」
「はい……お客様の挨拶が終わって、着替えようと廊下を歩いていたら口論が聞こえまして……それでリネン室を覗いたら、そこのイャスがうちの侍女を工具で殴りつけているのを見たんです……!」
「違う! 何度も言うように酔って押し退けただけで――」
「その工具は、そこの奥から二番目の棚の下に押し込んでいました」
「ほう」
シャーロットがジョナスに目配せをすると、ジョナスは手袋をしてから言われた棚の下を確認する。すると確かに、血塗れのレンチが人目から隠すようにそこにあった。
「ありました」
「っ……!?」
ジョナスがレンチを引っ張り出すと、男――イャスという人物の顔から一気に血の気が引く。そこに追い打ちをかけるように、ヴィナスが証言を続けた。
「それに、彼はこうも言っていました……『お前は俺の言う通りに働けばいいんだ』と」
その言葉でイャスの顔が更に青ざめる。
(すごく分かりやすい人だ……)
ジョナスは口にこそ出さないものの、状況と相まって彼を思わず見下してしまう。そしてその反応を見るに、ヴィナスの言うことに嘘は無いことが素人目にも分かった。
「インビルさんを脅すだなんて、ふてえ野郎だっ!」
「この人殺し! 自警団を呼べ!」
「ち、違う……! おい、ヴィナス! 昔のよしみだ、庇ってくれよ!」
怒りに満ち溢れる周囲の喧騒に怯え、靴の裏さえも舐めそうな勢いでイャスが叫ぶ。
そんな中、場違いなほど冷静にシャーロットが呟いた。
「――そう、違う。彼は人殺しではない」
不思議なほどはっきり聞こえる声に、イャスを覗く全員が怪訝な顔で彼女の方を見る。
「人殺しじゃないって……どういうことなんです、オームさん」
「言った通りだ。この侍女は生身の人間ではなく、ホムンクルスの一種だ」
「ホムンクルスって……あの人造生命の?」
ジョナスがシャーロットの手元を見ると、彼女は持ち歩いている針で血を掬い、舐め取っていたようだった。
すると、事態を理解できない来客の一人が、彼女に野次を飛ばす。
「なんでそんなことが分かるんだ!」
「私は吸血鬼だ。血を舐めればそれが魔族か人間か、それ以外の動物のものなのかぐらい分かる」
「き、吸血鬼……!?」
来客の一部が怯えてシャーロットから距離を置く。
クルシブルのような都会だとそうではないが、人間達の間では吸血鬼が真夜中に家に押し込むという迷信が未だ根強く残っている。夜遊びをする子供を説教するために引き合いに出されることもある。
それでも恐慌に陥らないのは、殺人事件が起きたという特殊な状況と、曲がりなりにもシャーロットが実直に捜査に携わっている現実で冷静になっているためであろう。
「現行法だとホムンクルスは例え人型であっても、犬猫等と同じ動物として分類される。つまりそこの……お名前は?」
「イャス……イャス・ジェルだ」
「ありがとう。とにかく、ミスタ・ジェルを殺人の容疑にかけることはできない。しかし器物損壊の現行犯だ。そうなると持ち主が然るべき機関に訴え出るべきだが、このホムンクルスの持ち主は――」
「我が家のもの、です」
シャーロットの言葉を引き継ぐように、ヴィナスと、遅れて隣にやってきたクレドが頷いた。
「詳細は明かせませんが、自動人形とホムンクルスの技術を組み合わせた新作を開発してまして……『彼女』は、その内の一体だったのです」
「自動人形の名家が、ホムンクルスを?」
「ええ。六十の手習い、というやつです。とにかく、うちの人形のせいでジェル様にご迷惑をおかけしたようで、申し訳ありません」
そう言うと、クレドは立ち尽くす来客達の方に向き直って大声を出した。
「申し訳ありませんが、今夜の祝賀会はここでお開きとさせていただきます! 後日、お詫びの品を進呈しますので、どうかお引き取りください!」
「インビルさんが言うなら、まあ……」
来客達はクレドの言葉とその伝言を素直に聞き入れ、散発的に屋敷を後にしていく。
しきりに頭を下げるポシーや侍女人形達を申し訳なさげに見ていたクレドに、シャーロットは立ち上がって一礼した。
「感謝します、ミスタ・インビル。あのままでは捜査にも支障をきたしていたでしょう」
「ああ、どうも……それにしても、貴女が吸血鬼で探偵とは意外でした……」
自主的に残った来客に取り押さえられたままのイャスを横目に見つつ、クレドはおどおどした様子で話す。
「ところで、そこのミスタ・ジェルはどうしますか? 器物損壊は親告罪ですので、ミスタ・インビルの意向で――」
「ひとまず、村の独房に入れてください」
シャーロットの言葉を遮ったのは、毅然と立っているヴィナスであった。
「あの人形は父と私の作品で、家族も同然でした。それを殺され――いいえ、壊されたのは、悲痛に耐えません……自警団を呼んで」
誰にも口を挟ませない勢いでそう言うと、シャーロットは侍女人形の一体に命令を下す。
程なくして自警団の団員達が屋敷に到着した。
「彼を連れて行ってください。容疑は器物損壊です」
「おい、ヴィナス! 勘弁してくれよ!」
懇願も抵抗もむなしく、自警団に捕縛されたイャスは屋敷を後にする。彼を押さえていた来客も、それに続くように出て行った。
後に残されたのは、シャーロットとヴィナス、インビル家の三人に、そこの侍女人形と使用人達、ついでにレクトであった。
「大丈夫ですか、ミズ・インビル」
「え? ああ。私のことですか」
息が荒くなっていたヴィナスは、シャーロットに声をかけられたことで正気に返り、一回深呼吸をした。
「すみません……少し、色々なことがありすぎて……」
「心中お察しします。ところでこれは提案なのですが」
ポシーも合流したインビル家の三人の顔を見て、シャーロットは言葉を続けた。
「この事件の捜査を、私にやらせていただけないでしょうか」
「それは、何故……?」
「今回の件は、警察に届け出るつもりなのでしょう? そうなると、ここから最寄りの警察に通報して捜査隊を派遣してもらうまで、丸二日はかかる。それまでは貴方達の責任で現場を保存していなくてはなりません。家族とまでおっしゃったものを、そうやって放置しているのは気が進まないでしょう」
「つまり、貴女が警察の代わりに捜査をしてくださるのですか、オームさん?」
「そこのミスタ・コアートも言った通り、私は警察と伝手がある。それに、証拠不十分で容疑者をみすみす無罪放免にはしたくないでしょう?」
「それはそうですが……」
答えに迷うクレドに対し、ポシーは耳打ちする。が、年齢のためか少々大きな声で、ジョナスの耳にも入ってしまった。
「せっかくだから頼みましょうよ。出ないとあの子が――」
「しっ。それぐらいにしておけ」
「分かりました……では、捜査をよろしくお願いします」
両親に代わって、ヴィナスがシャーロットに頭を下げる。娘のその姿を見たクレドとポシーも、それに続いた。
「承知しました。では早速始めるとしましょう」
シーツの中に倒れ伏す侍女人形を見下ろしながら、シャーロットは答えた。
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