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シャーロット嬢の事件簿  作者: 二束三文文士
勇者の人探し
2/27

女探偵シャーロット・H・オーム

 夕方間近の居住地区。

 一人の黒い短髪の若者が、人々の行き交う歩道を歩いていた。

 若者の名前はジョナス・ワッツ。クルシブル大学の薬学部に通う学生である。

 講義が終わり長期休暇に入った帰りだが、彼の行く先は大学寮とは反対の方角だった。


「いらっしゃい」

「すみません、デイリークルスとシティガゼットを一部ずつください」


 とある交差点で、警察官による交通誘導を待っている間、ジョナスは角のキオスクで新聞を購入する。

 そこから小走りで横断歩道を渡り、二ブロック程進んだアパートメントに立ち入った。


「失礼します」

「おや、ワッツさんかい」


 一階廊下の掃除をしていた初老の大家と目が合い、ジョナスは軽く会釈する。


「お疲れ様です、ランドロードさん。オームさんは、二階に?」

「ああ。今日も徹夜……ならぬ徹昼してたみたいだ」

「ありがとうございます」


 二階に上がったジョナスは、階段すぐそばの扉――『シャーロット・ヘレナ・オーム探偵事務所』と彫られた表札を掲げたそれを数度ノックする。しばしの静寂の後、部屋主の返事の代わりに鍵が開く音が鳴った。


『よく来た、ワッツ君。書斎まで来たまえ』


 扉を開けると声の主は、しかし扉の傍にはいなかった。ふと視界の端に何か影が映ったことに気付き、振り返ると、壁に奇怪な箱状の装置が取り付けられている。それを一瞥したジョナスは、言われるがまま部屋の奥へ向かう。

 廊下の突き当りには古めかしい扉があった。ジョナスは改めて軽くノックし、塗装が一部剥げたノブを回す。


「失礼します、シャーロットさん」

「ごきげんよう、ワッツ君。私お手製の遠隔装置は見たかね?」


 壁際に並ぶ本棚の前に立っていた女が、ジョナスの方を振り向く。

 銀髪のショートカットに、黒を基調とした男装。いたずらっぽく笑う口元には鋭く伸びる犬歯が覗いている。

 女――シャーロット・ヘレナ・オームは、吸血鬼であった。


「あの、壁についていた箱ですか?」

「そう。魔法を使わず、電気信号と物理的機構で動く。画期的な発明だと思わないか?」

「そうですかね? 魔法で済むなら、そっちの方が早そうですが」


 懐から掌大の装置を見せびらかすシャーロットに対してジョナスも慣れた反応を返し、同じく集合するようにシャーロットの元に向かった。


「これ、今日の分の新聞です」

「ご苦労。学校帰りに小間使いまで頼んですまないね」

「いいんですよ。授業も終わったし、それに今日から一ヶ月は長期休暇なので」


 『止まらぬ工業地区の下水汚染』『港湾地区にて密入国者摘発』『勇者マーガレット、クルシブルに来訪』『酒税税率見直しのお知らせ』。

 様々な見出しが並ぶ新聞を一瞥し、シャーロットは持っていた装置を文鎮代わりに新聞の上に置く。


「さて……この一週間の食事は、指示したのを食べてくれたかい?」

「ええ。ちょっと店を探すのに手間取りましたが」

「結構。ではこっちに来たまえ」


 シャーロットが部屋の隅に向かうと、そこには布を被せた装置が鎮座していた。布を取り払うと、椅子状の物体が現れる。

 肘掛に拘束具のようなものがついたそれに、ジョナスは促されるまでもなく座って左袖をまくる。するとシャーロットは、彼の肘内側を消毒し、注射器状の器具を椅子から引っ張り出した。


「いくよ」


 新品の注射針を器具に付けたシャーロットは、一息にジョナスの左腕に刺す。血液が針を遡り、彼女の掌に数滴垂れる。それを舐め取ったシャーロットは、さながら酒を味わうように口内で転がした。


「うむ……上出来のようだ。今回もご苦労」


 シャーロットは器具から伸びる管をガラス容器に取り付け、それにジョナスの血を貯め始めた。


「助かったよ。ちょうど前回の分が底を尽きていたからね」

「いえ。結構な給金も貰ってますし、このぐらいなら協力しますよ」


 そう言ってジョナスは、一息つくように椅子に座り直す。

 ジョナスは学業の傍ら、シャーロットの探偵事務所で助手兼雑用係として働いていた。

 この採血も、吸血鬼であるシャーロットが飲むために、助手の仕事として課したものである。

 彼女曰く、生物の血液は直近の食生活で大きく風味が変わるとのことで、時折一週間分の食事を指定して手間賃込みの食費を渡してくれる。

 ジョナスは遊興で浪費するような生活を送ってはいなかったが、それでもまとまった金が手に入るのはありがたかった。


「そういえば、ランドロードさんから徹昼したって聞いたんですが……さっきの遠隔装置の開発なんですか?」

「なんだ、ラッキーからも聞こえてたのか……午前中はそうだったが、午後は違う件だ」


 そう言うとシャーロットは、採血椅子のジョナスに、買ってきてもらった新聞の記事を見せる。『暴行事件再び――同一犯か?』の文字が並んでいる。


「スミス警部からの頼みでね。一連の事件に不可解な点があるということで、私なりに整理をしていたところさ」

「暴行事件って……確か、身元不明の人が、両手と口をぐちゃぐちゃにされてるってやつでしたっけ?」

「そう、それだ。警部曰く、『ここまで残虐な所業を続けられる、犯人の意図が分からない』、とのことだ……私なりの推理で良ければ、採血ついでに語ってもいいんだが?」

「あー、いえ。また今度にしておきます」


 以前、似たような流れで何気なく推理を聞いたら三日近く拘束された記憶を思い出してしまい、ジョナスは反射的に断ってしまう。


「そうかい? ……そうか」


 シャーロットはそんな反応を予想外のように残念がるそぶりを見せたが、すぐに思い出したように別の話を開始した。


「それにしても、新聞記者諸君は小説でも書いてるつもりなのかね? 下水汚染をすぐさま近隣の工場や作業所の廃液に結び付けるなんて、安直だと思わないか。そんな二点を直線で結ぶような考えで記事を書けるのなら、私は自前の推理能力を駆使してとっくの昔に大富豪になって、実家の父様母様や兄者達を実家もろとも乗っ取っているだろうさ。ともかく、私が言いたいことは、少しの理工学的センスと化学的な知識さえあればだな――」

「分かりました! 分かりましたから、少し落ち着いてください……!」


 何かしらの鬱憤でも溜まっていたのか、早口に持論を並べるシャーロットを、ジョナスは採血椅子に座ったまま身振りも交えて制するが、彼女の話は止まらない。

 シャーロットは、ここクルシブルで私立探偵稼業を始めてから数十年も経つベテラン……いや、長老に値する一人である。

 時折聞かされる昔話でも相当な苦難の道を歩んできたとジョナスはそれとなく察していたが、それでも実家に対する複雑な心境は根強いようである。

 制止と愚痴の応酬を続ける内に、血を貯めていた瓶が満杯となり、椅子の採血機構が止まった。その直後、玄関から数度の短いノックが書斎まで届いた。


「――お待ち下さい」

「準備をします」


 その音に二人は話を中断し、それぞれの役割を全うせんと動き出す。シャーロットは玄関へ、採血針を抜いたジョナスは台所へだ。

 ジョナスは水を注いだヤカンを発熱魔法陣を施したコンロに載せ、湯を沸かす。


『ようこそ、お一人でよくいらっしゃいました』

(一人……なら、三人分といったところか)


 陶磁器のティーポットに適量の茶葉を入れ、程なくして沸騰した湯をその中に注いだ。ティーカップ等も慣れた手つきで用意していく。


「お待たせしました」


 盆を持ってジョナスが書斎に入ると、応接机を挟んでシャーロットと話をしている、少女の面影が残る金髪の女性がいた。軍服姿で、鞄と、無骨な形状をした鞘入りの剣を傍らに立てかけている。


「紹介しよう、ミズ・サーフ。私の助手のジョナス・ワッツだ」

「お初にお目にかかります。私、マーガレット・サーフと申しますわ」

「初めまして、サーフ、さん……?」


 その名前に既視感に似た感覚を覚え、ジョナスは自らの記憶を思い返す。そして今日買ったデイリークルスの記事に行きついた。


「もしかして、あの、コニスパイラス帝国の勇者マーガレットさんですか?」

「ええ。僭越ながら、勇者の地位を拝領しております」


 そう言って、金髪の女性ことマーガレットは微笑みを浮かべる。

 勇者とは、世界各国が保有する戦力にして、外交や国政にも携わる役職である。

 新聞記事によれば、マーガレットが隣国コニスパイラス帝国よりクルシブルを訪れたのは、両国間の親善のためとのことだった。

 そんな彼女がこの探偵事務所にいることに、ジョナスは入れた茶を配りながらも驚きを隠せなかった。


「さて、ミズ・サーフ……話の続きをお願いします」

「失礼しました。あまり時間が無いので、単刀直入に申します」


 そこで一息つくと、マーガレットはシャーロットを見据えて言葉を続けた。


「私の弟……ヘリオ・サーフを探してもらいたいのです」

「ふむ……そのご様子では、ミスタ・サーフとは数年、いえ十数年はお会いになっていませんね? そしてこの依頼の件は、ご両親にも伝えていない」


 シャーロットがこともなげにした発言に、マーガレットは目を丸くする。


「え、ええ。弟は十四年前に家を離れましたが……どこでそれを? それに何故……?」

「簡単な推理です。ご家族の居所はご家族がよく把握しているものですが、例外はあります。勘当、徴兵、あるいは……」


 ジョナスの入れた紅茶を一口飲み、シャーロットが言葉を続ける。


「誘拐」


 その言葉に、マーガレットの身体がぴくりと動いたのをジョナスは目の当たりにした。


「私の記憶が正しければ、サーフ家には双子の男女がいました。ですが、騎士団で武名を挙げ、勇者の地位を賜ったのは女児の方……男児には、表舞台に立てない理由があるはずです」

「まるで、私の記憶が読まれているみたいですわね……そう、病弱だった弟は、治療のために屋敷を離れ、そして……拐かされました」


 マーガレットはそう言うと、鞄から歪に膨らんだ一通の封筒を取り出し、シャーロットに手渡す。

 中を検めると、手紙の束や何かの形式に則った書類、そして幼い二人の男女の写真が入っていた。写真から面影を感じ取ったジョナスは、マーガレットとヘリオのものだと察した。


「大病院に入った弟とは、数年程手紙のやり取りをしていました。ですが、ある日を境に、弟からの手紙も途絶え、私の手紙も宛先不明として送り返されるようになりました」

「ふむ……ご両親はその件を把握していますか?」

「はい。ですが、一度『調べてみる』と父は申したものの、私への報告は一度も無く……何度か尋ねてはみましたが、『その件は終わった』の一点張りでした」

「ほう……あ、いえ。お気を悪くしないでいただきたい。職業柄、あらゆる言動に気を配らなければならないので」


 そう言って、シャーロットはマーガレットへ茶で一息つくよう促した。マーガレットは言われるがまま出された茶を一口飲み、ほっと溜息をつく。


「……失礼。ともかく、僭越ながら勇者となった私は、その権限で弟に関する情報を密かに調べました……そして、当時のカルテを入手し、ここにお持ちした次第です」

「なるほど…………日付を見るに、九年前を最後に、ミスタ・サーフの治療が一旦完了した、とありますね」


 出された書類に目を通していき、シャーロットは最後のページの一点を指差す。外国語の、それも相当崩した筆記だったが、学生であるジョナスの知識でも、シャーロットが口にした内容が書かれていることが分かった。


「問題はそこです。なぜ治療が終わったのに、我が家に戻されなかったのか……そして、それ以降の記録が途絶えているのかが、いくら調べても分からなかったのです」

「確かに。勇者は、いわば大臣や将軍と同格にあたる地位。それを以って分からないというのは、同格以上の権限の介入があるとみて間違いないでしょう」


 まるでおだて上げるような口ぶりでシャーロットはマーガレットの言葉を補強するが、彼女の言に間違いはない。

 各国の国防を戦力的、権威的に担う勇者は、各省庁の大臣以上の超法規的権限を有すると、それぞれの法律で共通的に記されている。主神と契約を交わして超常的な力を獲得した彼ら、彼女らを、常人が阻害することがあってはならないからだ。

 だがそれにも限界がある。同格の役職の者ならば、直接勇者に手出しはできなくても、先手を打った裏工作で妨害することは可能だ。


「ですがミズ・サーフ。貴女はそうした政治的対立者の追及ではなく、ミスタ・サーフの捜索依頼のためにここに来た……つまり、何かしらの糸口を見出したのではないですか?」

「そこまでお見通しでございましたか……その通り、偶然にも別件で弟が関わっていることを突き止めました」


 そう言ってマーガレットは、追加とばかりに鞄からもう一通の封筒を出す。このやり取りを予期していたような動作にジョナスは一瞬訝しんだが、平然とした態度を崩さないシャーロットの手前、口に出すのは控えた。


「これは……何……『城塞型都市部 下水道浄化計画』……?」

「文面上は、一般的な都市機構を想定して立案された下水道の洗浄計画です。ですが、そこに参加している職員……もとい人員が、『似つかわしくない』ものでした」


 封筒に同梱されていたリストをシャーロットが開き、ジョナスがそれを覗き込む形で読み進めていく。ところどころの文章、あるいは顔写真が黒塗りで仔細を伏せられていたが、大まかには記載されている面々が特殊な作戦を担う工作員であることを告げていた。


「これも、勇者の特権で得たものですか?」

「ご想像にお任せします……ですがリストの全員がこのクルシブルに密入国していることを……そして、その中に弟が参加していることを突き止めたのです」

「それって……この街が、その『計画』で狙われてるってことですか!?」

「君」


 思わず、そのまま外に飛び出しそうな勢いでジョナスが立ち上がるが、それを諫めるようにシャーロットが彼の裾を軽く摘まんだ。


「あっ……失礼しました」


 服越しに伝わる力にジョナスは冷静さを取り戻して座り込んだ。私立探偵事務所にはその性質上、公には明かせない依頼が数多く舞い込む。ジョナスはそれも承知の上で雇われている。


「失礼……続けてください、ミズ・サーフ」

「いえ、助手さんの憂慮も当然のこと……この依頼で間違いなく、私は貴方達を危険に晒すことになります……それでも、弟を捜索してもらいたいのです」

「ふむ……」


 マーガレットから受け取った資料を再度見直しながら、シャーロットは顎に手を当てて考え込む。

 私立探偵は時として、反体制的な仕事を依頼される場合がある。

 まともな事務所であればそのような頼み事は言下に断り、逆にそのような依頼を厭わない事務所なら、法外な報酬を毟り取った挙句素知らぬ顔を決め込むことさえある。

 ましてや、今回は帝国を相手に喧嘩を売れと言っているようなものだ。

 しかしジョナスは知っている。自分を雇っているこの女探偵が、まともでも、下劣でもないことを。


「分かりました……ミスタ・サーフの捜索依頼、引き受けましょう」


 その言葉に、口をつぐんで答えを待っていたマーガレットは静かに涙をこぼした。

お読みいただきありがとうございます。

次回もよろしくお願いします。

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