審美眼
「いやはや。あなたのお陰で助かりましたよ、オーム殿」
自警団に連れていかれる窃盗犯を横目に見ながら、その肥え太った男は豪奢な椅子に座したまま感謝の言葉を述べる。
彼と相対するのは、二人の人物。一人は、短い銀髪と黒を基調とした服が特徴的な女、シャーロット・ヘレナ・オーム。そしてもう一人は、安物の余所行きの服を着た青年、ジョナス・ワッツである。
「仕事をこなしたまでですよ、ミスタ・コアート。もっとも今回は、貴方からの金払いが良いのでいくらかサービスさせてもらいましたが」
「ふぁっ、ふぁっ! 正直な方だ。そういうところも気に入りましたよ」
肥え太った男――レクト・コアートは二重顎を揺らして愉快そうに笑う。
シャーロット達は、人魔都市クルシブルから馬車で半日ほどの距離にある村、インビルを訪れていた。依頼人はその村に住んでいるレクト。美術商を営む男である。
内容は彼の邸宅から盗まれた絵画を探してほしい、というものであった。本来ならば警察の役割であろうが、彼の邸宅にはあまり公権力には見られたくない品々も存在するとのことで、口の堅い私立探偵であるシャーロットに白羽の矢が立ったのだ。
事件自体は至極単純なものだった。邸宅に住み込みで働く使用人の一人が他の絵画を貼り合わせて隠し、隙を見て持ち出そうとしていたのだ。
あまりにも簡単なトリックであったため、クルシブルからインビルまでの移動時間の方が長かったぐらいのあっけなさだった。
事件が即座に解決したことにレクトは機嫌がよくなり、気前よく報酬を支払う一方で、自分の使用人に裏切られたことに激しく怒っていた。
「それにしても、けしからん。住み込みで働かせてやってるのにあんな仕打ちをされるとは。憲兵に突き出してやりたいくらいだっ」
「給金に不満があって魔が差した、というやつでしょう。村の独房で一晩も過ごせば反省しますよ。それにあまりことを荒立てると、あること無いことを言いふらしてしまうかもしれません」
「う……む。それもそうだな……」
シャーロットの忠告に、それまで鼻息荒く憤っていたレクトは若干の落ち着きを見せる。そして話題を変えるように急に立ち上がった。
「そうだ、思い出した。お礼が当初約束していた報酬だけというのも物足りない。今夜の祝賀会に参加しませんか、お二人とも」
「祝賀会?」
「ええ。この村の領主であるインビル家の皆さんが開くんですよ。娘さんの快気祝い、とか言ったかな? とにかく、私も呼ばれているんですが、頼んで貴方達二人も入れてもらうことにしよう」
「しかし、部外者の僕達が行って迷惑になるんじゃ……?」
「大丈夫ですよワッツ殿。私以外の、ここの村人ほぼ全員を招待しているぐらいですから、一人二人増えても問題ありません」
「そうですか……どうします、オームさん?」
「ふむ」
シャーロットは横目に窓の外の様子を見る。空は夕暮れ直前。朝早くにクルシブルを発ってからの疲れもある。
若干厚かましくはあるが、この村での宿泊ついでに参加した方が得だろうと結論付けた。
「せっかくだ。ここはミスタ・コアートの厚意に甘えさせてもらおう」
「結構結構。では祝賀会まではまだ時間もありますし、秘蔵のコレクションをお見せしましょう」
半ば強引にレクトに連れられたシャーロット達は、邸宅の奥にある重厚な扉の前に案内された。
魔法と機械を組み合わせた錠前を開けると、いくつもの絵画が飾られた部屋が現れる。
レクトの案内で一歩立ち入ったジョナスは、背筋を冷たいものが走るような感触を覚えた。
「なんか……ちょっと寒いですねこの部屋」
「そうかね? 絵に最適な環境を維持しているのだがね」
「これは……なんとも物々しい作品揃いですな」
ジョナスと並んで入ったシャーロットは、部屋の絵を一通り見て感想を述べる。
飾られている絵は年代も作者も、画風もバラバラであった。東国風の作品もあれば、素人目にも稚拙と分かるものさえ混ざっている。
しかし共通点があった。シャーロットの言葉通り、どれも暗く、重々しく、更には剣呑な雰囲気を纏っているのだ。
「流石はオーム殿。名探偵だけあって観察眼も素晴らしい」
得意げに破顔しながら、レクトは部屋の中を歩き回り始める。
「私は人の恨みというか、憎しみというか、そういう暗い感情を見るのが好きでね。ここに飾ってある絵はどれもそれらが存分に込められているんですよ」
「憎しみ、ですか」
「そう。例えばこの『葬送する女』! 夫を亡くした作者がモデルでしてね。見てくださいよこの表情! 視線の先、絵画の外にいる何者かに向けた憎悪が存分に伝わる、お気に入りの一作なんですよ」
「それは……なかなか変わった趣向をお持ちですね」
興奮するレクトに対して、シャーロットはどこか冷めた目で彼の姿を見ていた。彼女の視線に気づきつつ、レクトは大きく頷いて見せる。
「ええ、ええ。はっきり言って褒められた趣味じゃない。それは分かってますが……もう心底たまらなくてですね! そうそうこの隣の『卒業』もまた一味違いましてね。首席で卒業するという栄光に浴しているはずのこの生徒の視線と暗い表情ときたらもう!」
「ははは……」
それから数作品を順繰りに、恍惚と紹介していくレクトに、ジョナスは引きつった笑顔を見せる。
このまま全作品を紹介されるのではないか、と危惧した矢先、居間に置かれた柱時計の鈴が時報を告げたところでレクトは正気に戻った。
「むっ。もう時間ですな……それでは私は少し支度をするので、居間の方でお待ちください……失礼!」
足早に去っていくレクトを見送り、シャーロット達は言われた通り居間に向かう。
「なんというか……独特な方ですね」
「物に興味がある時点でまだ無害な方さ。昔の依頼人には、人間や魔族を飼うのが趣味の者すらいたよ」
シャーロット達が居間に着くと、窓の外は薄暗くなっている一方、大勢の村人達が一定の方向に歩いていくのが見えた。
彼らの行く先に、レクトの言うインビル家の屋敷があるのだろう。
「いやはや。お待たせしてすまない」
と、それなりに服装と化粧を整えたレクトが二階から下りてきた。
「では、参るとしましょうか」
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