因果応報
マーガレット・サーフの気分は高揚していた。
人生の目標であった二つの内、一つを成し遂げたのだ。
愛する弟を痛めつけ、家畜のように扱った者達への復讐。
つい先程最後の一人ゼル・メンテンへの執行を終えたことで、彼女の一年――中央病院の爆破から及ぶ追跡は終わりを見せた。
残る目標の一つは、弟の帰還である。
双子であったはずなのに、大きく変わり果てたヘリオは今、大人しくマーガレットの後をついて来ている。彼女はそれが悲しかった。
昔のように、楽しい日々を過ごしたい。そのためには治療が必要となる。
今のサーフ家の力を以ってすれば、優秀で安全な医者を世界中から呼び寄せることができる。
ヘリオを連れ出したことで両親や、周囲の人間から何か文句が来るだろうが、勇者の権限なら安全に黙らせられるだろう。
「……どなたですか?」
そんなマーガレットの表情が、一瞬で険しいものに変わった。後方から接近してくる足音に気付いたため、足を止める。
警察か? 否。当直の者は一通り痛めつけ、すぐに追ってこれる状態ではない。
囚人か? 否。正義の代行者である勇者として、あの場にいた者は皆始末した。
ならば、この二人分の足音は何者か。答えはすぐに判明した。
「おやおや、ミズ・サーフ。ただいま公務中ではないのですか?」
やってきたのは、自ら依頼した女探偵――と、その助手だった。
「生憎急用ができまして。実家に戻らなければなりませんの」
「では道を間違えていらっしゃる。警察が貴女をお待ちですよ」
「結構ですわ。あの方々とはどうも意見が合わないようで……ところで」
腰に提げた剣に手を伸ばしながら、マーガレットはシャーロットに向き直る。
「何か御用ですの? 既に依頼は果たされ、報酬も払った……貴女方がこれ以上関わる理由は無いのでは?」
「その件なんですが……理由は貴女が作ったのですよ、ミズ・サーフ」
シャーロットが上着のポケットから、折りたたまれた紙を取り出す。広げたそれは、マーガレットの署名が入った契約書であった。
「貴女はこれに、『依頼内容に偽りは無い』ことを確認し、それを誓いました」
「ええ。実際、ヘリオのことを探してもらうのは事実ではございませんこと?」
「その通り。しかし、貴女はミスタ・サーフの居場所は『知らない』とも言っていた」
「はて……少々色んな事が重なったもので、少々記憶が――」
わざとらしい喋り方でとぼけようとしたマーガレットは、急に違和感を覚えた。
全身にのしかかる倦怠感。柄を握る手は虚脱感で微かに震えている。
そこでマーガレットは、シャーロットが持っている契約書の意匠部分が薄く光っていることに気付いた。
「まさか、それは……!?」
「言ったでしょう。過去に依頼人に裏切られた経験がある、と。それ以来決めたことがあるのです」
シャーロットは契約書をポケットに戻し、毅然とマーガレットを見据えた。
「『裏切者には、相応の罰を』。この場合なら、弟のミスタ・ヘリオを――」
「はあっ!」
シャーロットの言葉を遮り、マーガレットが剣を抜く。彼我の距離は十m弱。普通なら銃が支配する間であったが、シャーロットは瞬時に傘を展開していた。
「後ろにつけ、ワッツ君!」
「はい!」
その瞬間、下水道の壁に一筋の荒々しい傷が走り、ジョナスもろともシャーロットの身体が後ろに弾き飛ばされる。
居合。東方の国に伝わる剣術の一つは、達人ともなると空気をも支配して風の刃を飛ばすとさえ言われている。
マーガレットが取った行動はまさしくその構えであったが、飛んだのは風でも、魔法でも無かった。
「あたた……大丈夫かい、ワッツ君?」
「ええ……何とか」
「何故……今の一撃を見抜けたのです」
金属が連続して追突する音と共に、マーガレットの刀身が元に戻る。
マーガレットが装備していたのは、特殊合金製のバネをいくつも組み合わせた機械剣であった。普段は通常の剣と同様に扱えるが、勇者の力で振れば、遠心力で刀身が分割して伸び、離れた敵を切り刻む。
初見ではまず対応できないはずの攻撃を受け流された事実に困惑していると、シャーロットが立ち上がりながら語り出す。
「その剣の鍔の外見に、見覚えがありましてね。ミスタ・ヘリオが手首につけていた装置を大型化したもの……となれば、何かを射出し、巻き取る機構があるということは素人目でも分かる」
「たったそれだけで……?」
「もちろん他にもヒントはあった。例えば、あの大聖堂地下のアジトだ」
ジョナスを立ち上がらせつつ、シャーロットは続ける。
「あそこには爆弾と無関係な部品がいくつもあった。少々失敬したところ、おおよそ人力では動かせないものさえ混じっていた。そしてそこのミスタ・ヘリオも、爆弾を設置するだけなら不要なはずの人員だ。そこから割り出せることは、一つ……人智を越えた力を持つ者のための、装備の実験場も兼ねていたんだ」
一旦傘を畳み、シャーロットはそれでマーガレットの剣を指し示す。
「以上の理由から、その剣に何らかの仕掛けがあることは簡単に分かった。しかしあえて謎を挙げるなら、それを貴女が隠せていると思っていたことぐらいか」
「……本当に、貴女は他人を苛立たせる天才ですわね」
剣を両手で握り直し、マーガレットが構える。同じくして、シャーロットも傘を片手に半身に立った。
「その首、斬り落として差し上げますわ!」
「貴公の罪業、暴かせてもらう!」
勇者と探偵、機械剣と魔法陣傘の打ち合いが始まった。
主神との契約によって獲得した膂力を以って攻めるマーガレットに対し、シャーロットは傘と生地の魔法陣を駆使して逸らしていく。
本来ならばマーガレットに一方的な分がある戦いであったが、シャーロットのポケットにある契約書の魔法が、女勇者を弱体化させていた。
(が……それで、この威力か……!)
本来は万全にかかれば、誰であろうと立っていることさえままならない魔法を契約書には構築している。
例え勇者のような存在でも、纏っている加護の中にある契約者そのものにかかる仕組みだ。
シャーロットの予想では、現在のマーガレットの罪状では本来の半分程度の力しか出せていない計算である。
それでも受ければ骨が軋み、逸らせば筋肉が裂けるような猛攻を前に、シャーロットは徐々に押され始めていく。
「これは……きついな」
「どうしました! 威勢がいいのは口だけですの!?」
一方のマーガレットも、心の中では焦りを覚えていた。
本来なら鎧袖一触の相手にも関わらず、全身にうまく力が入らないせいで手間取っている。
すぐにヘリオと共に脱出しなければ、警察を始めとした応援が続々とやってきてしまう。
苛立ちはやがて、そのような状態を生み出した目前の探偵と、彼女と交わした契約に対する憎悪へと変化していく。
そして昂り過ぎた感情は人の視野を狭めさせる。
故にマーガレットは、隙を見て脇を通り抜けたジョナスのことに気付けなかった。
(危なかったー……!)
巻き込まれればすぐに血煙に変わるような人外達の戦いを後ろに、ジョナスは一直線に走る。
逃げるためではない。互いに危険を承知の上で、ジョナスはシャーロットからある役目を与えられていた。
ジョナスの行く先には、事態を……いや、虚空を呆然と眺めている、ヘリオの姿があった。
「聞こえますか、ヘリオさん!」
「……………………」
ヘリオは返事どころか、身じろぎ一つさえしない。繰り手のいない人形のようである。
「えーと、今君と、君のお姉さんは危ない場所にいるんだ」
「………………」
「お姉さんに言われて連れて来られたんだろうけども、一旦引き返した方がいい」
「………………」
ジョナスの役割は、ヘリオの身柄の確保だった。
当初はシャーロットがマーガレットの気を引いてる内に、彼を警察署の方に連れ戻すという算段であったが、ヘリオが他人の指示を聞くという確証が無かった。
そのため、ジョナスが彼を説得し、自ら動いてもらうよう考えたのだ。
「それで、えっと……ああ、もう!」
苛立ちの余りジョナスは頭を激しく掻き始める。
いつ自分が巻き込まれるかもしれない背後の激戦に恐怖していたのもあったが、ヘリオに言うべき言葉が他にある、と感じていたのだ。
「聞いてほしい、ヘリオさん」
棒立ちのヘリオに歩み寄ると、ジョナスは彼の胸倉を掴み、体重をかけて上半身を屈めさせた。そして、焦点の合っていない目を見据えて口を開いた。
「君のお姉さんは今、君のために危ないことをしている!」
「………………」
思わず大声を出してしまうジョナスだったが、周りの状況など気にせず話し続ける。
「君を救いたいがために、マーガレットさんは色んなことをしてきた! 勇者になるために必死に努力して、君を探すためにあらゆることに手を染めた!」
「………………」
「君も辛かっただろう。彼女も辛かっただろう。それは分かる……だけど、こんなことは間違っている!」
「…………」
「このままでは、彼女は悪魔になってしまう! そうならないためにも、君はこの状況から抜け出さないといけない!」
「……あ、あ……」
ヘリオの瞳に光が宿り、ジョナスの顔から、その背後で戦っているマーガレット達に視線を移した。
このチャンスを逃してはならない。そう感じたジョナスは一心に言葉を続ける。
「そう! だから、僕にそっとついて来て――」
「う……うわああああ!!」
突如低い声で叫び出したヘリオは、いきなり上半身を起こしてジョナスを振り落とした。
地面に腰を打ってしまったジョナスがその痛みに悶えていると、ヘリオは彼を尻目に走り出す。
折しも、数十に亘る打ち合いを制したマーガレットが、シャーロットを蹴倒して剣を振りかざしているところであった。
「ま、待って! そっちに行ったら――」
「お、ねえぢゃん……!」
「何を――」
背後からの気配に対して振り向く、マーガレット。
その形相は醜く歪んでおり、目前のものが何かも確認しないまま反射的に剣を突き出していた。
そして彼女の切っ先は、ヘリオの巨木のごとき胴体を容易く貫通した。
「えっ、あ……ああ!?」
一瞬の間を置いて、マーガレットの顔色が途端に変わる。
困惑。後悔。悲嘆。自責。
感情を絵具にできるなら、それらを一度に、乱暴にかき混ぜたような色であった。
「おね、え、ぢゃ」
そんなマーガレットに優しく手を伸ばそうとするヘリオであったが、力なく背中から倒れ込んだ。そして、血染めの剣がマーガレットの手に残る。
「嘘、いや、私、そんなつもりじゃ……あああああああああああ!!」
剣を落としたマーガレットは、虫の息のヘリオに縋り付き、両目から大粒の涙を流し始めた。
もはや戦える状況に無い。何とか立ち上がったシャーロットは、二人を一旦おいてジョナスのところに歩み寄った。
「無事かい、ワッツ君」
「ええ……何とか」
「今のは、君が?」
「いえ……必死に話しかけていたら、突然ヘリオさんが走り出して……」
「ふむ。そうか」
若干興味を失くしたように呟くと、シャーロットはポケットの契約書を取り出した。
先程マーガレットに見せびらかしたよりも眩しく輝いている。契約魔法の効力が、より強く発揮されている証拠だ。
「弟を救うため……どうやら、彼女の誓いは本物だったようだ」
警察署の方から、大勢の足音が下水道内を響き出す。
契約書を仕舞ったシャーロットは、無言でジョナスを立ち上がらせた。
お読みいただきありがとうございます。
次回でひとまず最後となります。




