暴露
シャーロットの歩みは直線的で、迷いが無かった。後を追うジョナスが小走りになる程の速度を維持したまま口を開く。
「既に分かっているとは思うが、警察がミスタ・サーフ達の場所を特定するのは時間の問題だ。私達はそれより先に彼を確保し、ミズ・サーフに引き渡さなければならない」
「それはそうですが……引き渡すまで、どこにいさせるんですか?」
「幸い、倉庫をいくつか持っている知人がいてね。彼に頼んで空き倉庫を一つ確保してもらっている」
偶然通りがかった辻馬車を呼び止めると、シャーロットは迷いなくそこに乗り込む。遅れてジョナスが入ると、シャーロットは既に行先を告げて御者に金を渡している。
ジョナスの耳に一部飛び込んだ地名を考えると、多すぎる金額だ。
「それじゃ、お嬢さんに兄さん……しっかり掴まんな!」
強く鞭を入れられた馬は、全力疾走に近い速度で走り出す。まだ座り切って無かったジョナスはバランスを崩し、座席の背もたれに額をぶつけてしまった。
「痛たた……」
「奴が追跡を悟るまで、もう時間が無いだろう。今回はワッツ君にも少々骨を折ってもらう」
そう言ってシャーロットは、ジョナスに数粒のクルミ殻大の玉を渡した。少々硬い手触りが、冬至祭りに木々に吊るす飾りを連想させる。
「これは?」
「私の合図……そうだな、『今だ!』と叫んだ時に、君の足元に叩きつけてくれ。その際は、目を固くつぶっていてくれたまえ」
そう話している内に馬車の景色は次々と後方に流れていき、やがてとある地点の前で止まった。
クルシブル中央の国政地区、そこで鎮座する大聖堂である。
人間と魔物が共存するここクルシブルでは、同時に様々な宗教や信仰が入り乱れている。
シャーロット達が辿り着いた大聖堂は、人間達の国々で篤く信仰されている主神教のそれである。
見るものを圧倒させる荘厳な造りにジョナスは気圧されそうになるが、シャーロットは何の感慨も見せずに扉を押し開く。
「ちょ、ちょっと! オームさん!?」
「何かね君達は! もう閉門の時刻――」
奥から出てきた司祭を押し退け、シャーロットは足早に奥――霊廟のある地下への階段へ向かう。
「すみません、緊急事態なんです……!」
装束がもつれ、立ち上がれないでいる司祭に謝罪しつつ、ジョナスも後を追った。
埃とカビの臭いが、ジョナスの鼻腔を軽く刺激する。その先では、シャーロットが木製の扉を開けようとしていた。
「この先にあの二人が?」
「ああ。そして案の定、内側から扉を押さえつけているみたいだ」
押してもびくともしない扉から数歩退くと、シャーロットは傘をレイピアのように構える。そして、一息に扉に傘を突き刺し、唱えた。
「『爆ぜろ』」
その瞬間、傘の布地が光を発し、斥力方向に衝撃波を発生させる。
『うわ!?』
扉の向こうからくぐもった悲鳴と、何かが散らばり落ちる音が遅れて聞こえてきた。そこでシャーロットは光を失った傘を引き抜き、扉を蹴って押し開けた。
「おやおやおや。随分不敬な場所にいらっしゃいましたね」
皮肉気にシャーロットが呟いた先には、金髪の青年の姿があった。
本来なら亡骸を安置しているはずの霊廟はすっかり模様替えされており、書類の束や何らかの部品の山が机に積まれていた。
「くっ……! 『やれ』、デカブツ!」
空の棺桶らしき木片に塗れた青年は、尻餅をついたまま指示を飛ばす。同時に、埃が舞う中を巨大な影が飛び出してきた。
「……!」
「っ、と」
無言のまま襲い掛かってきた巨漢の拳を、シャーロットは傘を構えて受け止める。昨夜ナイフを弾いた時と同じ魔法陣が起動するが、彼我の質量差に圧し負け、シャーロットの身体が後方に吹き飛んでいく。
「オームさん!?」
「はっ!」
しかしシャーロットは空中で身を翻し、衝突しそうになった壁を蹴る。巨漢の力に自らの脚力を加えた三角跳びは爆発的な加速を生み出し、金髪の青年へと一直線に飛んでいく。
「なっ……! おい、何とかしろデカブツ!」
「……!」
くぐもった声を上げて巨漢が腕を振るう。すると、その手首に巻かれた装置から紐状の物体が飛び出し、シャーロットの脚に絡みついた。
「おっと」
「やれ、デカブツ!」
巨漢が腕を引くと、装置の機構によるものなのか、紐が巻き上げられ、シャーロットの身体を一気に引き寄せていく。
シャーロットは傘で紐の切断を試みたが、うまくいかない。どうやら鋼線をより合わせたもののようだ。
「ふむ。これは……」
「くたばれ、女!」
青年が叫ぶと、巨漢はもう一方の拳を握り締め、シャーロットの迎撃にかかる。
このまま攻撃を受けるか、それとも何らかの手段で紐を切断するのか。
一瞬の出来事で動けないでいるジョナスがそう考えていると、シャーロットは第三の手段をとった。
「ここだ!」
握り直した傘をシャーロットは槍のように投げる。その先には、男の腕にある、紐と繋がる装置があった。
魔法陣で強化された傘は、今度こそ標的を破壊してみせる。
「なっ――」
「っ!?」
装置から細かい部品が四散する。同時に、それらの連携により制御されていた紐は無秩序に暴れだし、巨漢の顔面に直撃して目元のレンズを破壊した。
しかし巨漢の攻撃は止まることは無い。手ぶらになったシャーロットに拳が命中する――瞬間、彼女の身体が黒い霧に変化した。
「あの女、吸血鬼か!」
宙に浮いていたワイヤーが、真下に落下する。
攻撃が空振りしたことで巨漢は倒れ込みそうになり、数歩前進した。遅れて元々巨漢が立っていた位置に黒い霧が凝縮され、シャーロットの姿が再び現れた。
「後ろだ、デカブツ!」
振り返りながら巨漢が裏拳を放つ。今度はシャーロットは霧にならず、しゃがみ込んで回避した。霧には瞬間的にしか、そして連続してはなれないのだ。
その代わり、しゃがんだシャーロットは地面に手を当て、足払いをかける。
元々バランスを崩し気味だった巨漢は後ろに倒れ込みそうになるも、数度の後方転回で体勢を整え直し、シャーロットから距離を取った。
しばし睨み合う両者。先に動いたのはシャーロットであった。
「迎え撃て!」
「ふっ!」
突き出されようとした巨漢の左拳を、シャーロットは手刀で打って動きを阻害する。次に巨漢は回転しながら右踵で蹴りを放とうとするが、軸足である左脚膝窩をシャーロットが足で踏み込んだことで、今度こそバランスを崩す。
それでも巨漢は攻撃の手を休めない。先程のシャーロットの動きを真似るように、両手で身体を支えて彼女の側頭部に回転蹴りを放った。
しかし、巨漢の蹴りは命中しなかった。シャーロットが足払いの際に拾い上げた紐をピンと張り、それで受け止めたのだ。
「ぐっ……」
シャーロットが苦悶の表情を浮かべる。吸血鬼の膂力はあれど、女性の細腕では大木のような脚を受け止めることに無理があった。
しかし巨漢も今の体勢では追撃が行えず、脚を引いて構えを取り直す。シャーロットも同じく構え直し、男の周りをすり足で回っていく。
ほんの十秒足らずで繰り広げられた攻防に唖然としていたジョナスであったが、ふと青年に目が留まり、正気に戻った。
(今の内に、あいつを……!)
昨夜の出来事までを振り返ったジョナスは、青年の元へ走り出そうとする。司令塔である彼を抑えれば巨漢の動きも止まり、同時に身柄も確保できると考えたためだ。
だが、それを止めたのはシャーロットの一声であった。
「今だ! ワッツ君」
「えっ?」
一瞬呆気にとられるジョナスであったが、言われるがまま玉を握って目をつぶり、一息に床に叩きつける。
その瞬間、閃光が霊廟を満たした。
(っ、これは……!)
瞼越しでも視覚に強い刺激を与える光量に、ジョナスは足を止めてしまう。
やがて光が収まったのを感じ取ると、ジョナスは目を開けて辺りを確認した。
「これは……?」
「う……あ……」
「……」
目を押さえて苦しむ青年と、ただ棒立ちに天井を見上げる巨漢。
あっさりと大人しくなった二人を見るジョナスに、シャーロットが答えた。
「驚いたかい?」
「え、ええ……今のは?」
「私が発明した、暴徒鎮圧用の閃光弾さ。直視すればドラゴンも失神する。彼らも当面は抵抗すらできないだろう」
「じゃあ、とうとう……」
「そう。ミスタ・サーフ確保の時だ」
そう言いながら、シャーロットが歩き出す。部屋の隅で倒れ伏す青年――ではなく、棒立ちになっている巨漢のところへ。
「えっ? あっちで倒れているのが、弟のヘリオさんじゃ……?」
「何を言っているのかね、ワッツ君」
拾い上げた傘の先端を頭巾に引っ掛けると、シャーロットは一息にそれを引きはがす。
「え――」
そこから現れたのは、金髪の、まだ幼さを残す少年の顔であった。それを前に、シャーロットは淡々と呟く。
「彼こそがヘリオ・サーフ……ミズ・サーフの弟君にして、人体実験の犠牲者さ」
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