転機
「ふわ……」
ジョナスが目覚めた場所は、警察病院の宿直室のベッドであった。
昨晩の事件から三分の四日は経過していることを、窓から指す夕暮れの光と、壁に設置された時計で察する。
「確か、警察に身柄を預けて、そのままついて行ったんだったな……」
スミス警部をはじめとしたクルシブル・ヤードが追っている連続暴行事件。
その重要な証人として男の身柄が確保された上、ジョナスとシャーロットの二人も関係者として送迎されたのだ。
ジョナスが覚えているのは、応接室に通されたところで、疲労の限界により目をつぶってしまったところまでである。
「おっ。目覚めたようだねジョナス君」
ノックもせず扉を開けたのは、スミス警部であった。捜査が少なからず前進したこともあってか、どことなく上機嫌に見える。
「おはようございます……いや、もうこんばんは、ですかね」
「どっちでもいいさ。とにかく、改めてだがお手柄だったぞ」
「ありがとうございます……それで、何のご用ですか?」
「おお、そうだそうだ。オーム君が君に用事があるみたいだから、通りすがりに声をかけたんだ」
そうしてシャーロットの居場所を告げると、スミス警部は宿直室を後にした。
残されたジョナスは軽く背伸びをして筋肉をほぐし、ベッドから降り立つ。
昨日はあまりにも多くの出来事が起こり過ぎた。
大学のフィールドワークでそれなりに体力に自信はあったものの、身体と頭脳、そして心の疲労が限界に達したのだ。
親切にも誰かが持ってきてくれた枕元の私物を回収し、ジョナスは宿直室を出る。そして、ちょうど扉の前を通り過ぎようとしていた誰かとぶつかりそうになった。
「おっと」
「ああ、失礼しました……あら?」
聞き覚えのある声。見ると、そこにいたのはマーガレット・サーフその人であった。
「あらあら。お久しぶりですわね、ジョナスさん」
「マーガレットさん!? どうして、ここに?」
「おや。ジョナス君とお知り合いでしたか、サーフ殿」
横からスミス警部が声をかけてくる。
「実は彼女のたっての希望で、署の視察ならぬ見学をしていてね。私がその案内役を任されたのさ」
「ええ。クルシブルの警察は世界的に優秀と評判ですからね。我が国の手本になればと思いましたの」
スミス警部に続き、マーガレットが理由を答える。
「なるほど……そういうことでしたか」
「そういえば……巷で騒ぎの連続暴行事件で、貴方もご活躍なされたと伺いましたわ、ジョナスさん。被害者の男性を救助なさったとか」
「活躍だなんて……ただただ無我夢中だっただけです」
「ご謙遜しなくても結構ですわ。部外者ですが、労って差し上げます」
そう言うと、マーガレットは徐にジョナスの正面から軽く抱き着いてきた。
「おやおや。お熱いですな」
「ちょ、ちょっと。マーガレットさ――」
思わず遠慮しようとしたジョナスを制し、マーガレットが耳元に口を近づけてくる。そして彼にだけ聞こえる小声で囁いた。
「……つい先程、弟の居場所を特定できましたわ」
「それは……?」
「喋らないで。詳細はここに書いてあります」
マーガレットが話した直後、ジョナスのズボンのポケットから、紙切れが入り込む感触が伝わった。そして何事も無かったかのように彼女は離れる。
「それでは、スミス警部。案内の続きをお願いしますわ」
「了解しました。では、こちらに」
ジョナスをその場に残し、マーガレットとスミス警部の二人は建物の奥へと進んでいく。
少し呆然としてしまうジョナスであったが、シャーロットに呼び出されていることを思い出し、慌てて歩き始めた。
(弟さんの居場所が見つかったってことは……あいつの隠れ家ということか?)
ジョナスの脳裏に浮かぶのは、昨夜の金髪の青年の顔。あの男の隠れ家が、今分かった。
思いがけない出来事に気分が逸るが、ジョナスは平静を保とうと努めた。
今の自分は、マーガレットの依頼を受けた、シャーロットの助手なのだ。まずはシャーロットと情報を共有し、それから警察との連携を決めるのが道理である。
「やあ。ようやく目が覚めたみたいだね」
「あ……すみません、一人だけ寝てしまって」
考え事をしている内に、シャーロットが待つ取調室隣の薄暗い部屋にジョナスは辿り着いた。
「いいんだよ。君は出来ることを最大限やったじゃないか」
「はあ……ところで、用事って何ですか?」
「ああ。あれを見たまえ」
シャーロットが指差すのは、壁にはめ込まれた一枚の窓ガラス。その先には、顔を包帯で覆われた男と、その男を尋問する刑事の姿があった。
「あれは、昨日の……?」
「そうだ。君の応急処置が的確だったことと、これまでの被害者と違って意識も両手が無事だから、ああして筆談で取り調べに協力してくれている」
ジョナスが男の手元を見ると、確かに、帳面に様々な文字や図、絵が書き込まれていた。
また、男がジョナス達の様子に気付いた様子は無い。どうやら壁の窓ガラスは、向こうからは鏡に見える特殊なものらしい。
「命を救われて恩を感じてるとかで、かなり協力的らしい」
「もう、取り調べから結構経ってるんですか?」
「二、三時間といったところだ。私もところどころメモを取らせてもらっている」
シャーロットから手帳を手渡され、ジョナスは指で栞をされたページを開く。
メンバーの人数。目的。クルシブルに侵入した手口。様々な情報が詳細に語られている。
中でも目を引いたのは、被害者達を襲ったとされる二人組――青年と巨漢の情報であった。
「『一人は詳細不明。作戦の決行直前にねじ込まれた、別の部署の奴』」
「そしてもう一人の名前は……」
ジョナスと、シャーロットの声が重なる。
「「『ヘリオ・サーフ』」」
窓ガラスの向こうでは、まだ取り調べが続いている。しかし、シャーロットはメモを取っていない。
それはつまり、必要な情報を全て聞いたと判断したということだ。
「その、オームさん。さっきマーガレットさんに会いまして」
「ほう? それで?」
思わず声を潜めるジョナスに付き合い、シャーロットも小声で答える。ジョナスは返事の代わりに、ポケットの中の紙切れ――折りたたまれた封筒を彼女に渡した。
「弟さんの場所を、ついさっき突き止めたとのことです……どうしますか」
「決まっているじゃないか」
取調室から出る支度をしながら、シャーロットは答える。
「私達は今、ミズ・サーフに雇われている。依頼人の協力は、全面的に信じるべきだ」
「警察にはどう話します? それと、爆弾の一件は……」
「後にしよう。爆弾の構造については、君が休んでいる間に既に話した」
足早に取調室を後にするシャーロット。
「今優先すべきは、ミスタ・サーフの確保だ」
ジョナスは慌ててその後を追った。
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