濡れ落ち葉に足を取られて
今の派遣先はこれまでにない程、居心地が良かった。
だから5回目の更新前に課長から持ち掛けられた“場所を変えての”個人面談を受け入れた。
程なく“面談”の場所は安全かつ経済的な私の部屋となり、カレの持ち物も歯ブラシから始まりマグカップ、お箸、お茶碗、それからカレの家と同じ銘柄のボディソープなどなど……随分増えた。
ただ、誠に残念な事に……カレは仕事ができない人で、半年前に課長補佐に降格させられ、独身社員の中では一番の有望株!やり手との噂が高い西嶋課長が着任した。
そして、私の『“3年ルール”に縛られない契約社員雇用へのシフト』の夢は潰えた。
西嶋課長になってからの初めての更新は継続となったが、いよいよ“3年ルール”問題が間近になって来た今日この頃……
私は西嶋課長から「終業後で申し訳ないのだが……」と会社から少し離れた喫茶店に呼び出された。
こんな事は勿論ルール違反なのだけど、そもそも私はとっくのとうにルールを犯している。
それに……
私は
幼い頃から
誰かの“慰み者”になるのも
慣れている。
特段可愛くも無く
むしろ10人並み以下の器量かもしれない私……
そんな私なのに……
いや、そんな私だから!
神は“男好きする”胸を私にお与えになられたのかもしれない。
そのせいで、昔も今も
散々な人生だけれども
“会社の人目”を避ける話など、おおかたそんな所だろう。
運ばれて来たコーヒーに描いたままにしているミルク模様が淀んでゆくのを眺めていると西嶋課長がやって来た。どうやら出先から直接の様だ。
「ごめん!待たせちゃって!」
その声の掛け様が、まるで待たせた恋人に対してみたいで……
私は思わずクスッ!と笑ってしまい、慌ててカップの中をかき混ぜた。
「あっ!今、笑ったね?!」
あくまでスマートに!こう言う事をのたまう西嶋課長……周りのオンナが騒ぐのも無理は無い。このオトコなら私だって!!
きっと“慰み者”冥利に尽きるのだろう。
だから、こう返事をした。
「今の課長はオフィスの中とはまるで違って……そう、例えるなら! 部活で憧れていたセンパイって感じで……ドキッとしました。」
「えっ?! 柿田さんからこんな事を言われて光栄だな! でも、良かった。そんな感じで聞いてもらえると有り難いんだけど……」
課長の目の前にコーヒーが運ばれて来て、課長は砂糖をスティック半分、ミルクは全量投入しクルクルかき回しながら言葉を繋ぐタイミングを探している様だ。
「お砂糖、半分なんですね!」
「ん?! ああ、ちょっと気を付けてるんだ! 課長職になってますます会食や接待が増えちゃって……カロリーオーバー気味でさ!今、脇腹とか見られたらマズい」
「えっ?!えっ?!」と口を抑えて見せながらも私は心の中で“慰み者”の事を考える。
「あっ!! 変に聞こえた?? ほらっ!ゴルフの時とか! 先様に見られたらみっともないから、そう言う意味だから……」
ここまで言われて私は却って悲しくなる。
『そんなに取り繕わなくてもいいのに……私は割り切ってるから!! ビジネスライクにこのテーブルに“利害関係”を並べてくれればいいのに!!』
この心の叫びを幾分冷めたコーヒーで飲み込んで顔を上げ、私は課長に微笑む。
課長はカップに口を付け、ひと口飲んで……いきなり頭を下げた。
「ゴメン!優柔不断で!!」
ああ、これは!!『更新はなし!打ち切り!!』って話だったんだ!!
そうだよね!
課長なら女子の方からいくらでも寄って来るだろうし“ステディ”が居ない方がおかしい!!
「あの! 聞いて欲しい!!」
私はもう覚悟はできていたので笑顔を崩さずに済んだ。
むしろ、『仕事ができるイケメンでも、人を解雇する時はこんな表情をするんだ』なんて思っていたら……
「もし、柿田さんが、その……決まった人が居ないのなら……ボクと付き合ってくれませんか? 結婚を前提として……」
「えええええ???!!!」
思わず発してしまったこの声で……私は喫茶店のざわめきの静寂を打ち壊してしまった。
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今は課長補佐に成り下がったアノ男は“お気に入りの”私の胸を玩具にしながら決まって自分の自慢話をする。
その数も内容も余りにも乏しく、それを夜伽のたびに繰り返し聞かされる私は
「ホント!! どっちも小っちゃいヤツ!!」と
心底うんざりしていた。
その中でも最も酷い自慢は……
「オレはあの有名な電器メーカーの×△□の社長と女を取り合って勝ったんだ!! オレの女房はそういう女なんだ!!」
奥さんがどういうオンナかは知らないが、この話を別のオンナの胸の上でするか??!!
それも繰り返し!!!
“慰み者”の私は……誰からも相手にされないオトコの相手を……そのオトコからバカにされながらやっているんだなあ……
そう、
“慰み者”の存在価値はこの程度のもので……そのおかげで私は生かされているんだ。
こんなのでも、生身だから。
短いクセに回数は要求するオトコに揺らされながら仰ぎ見る天井はそのたびにブレて、私の目は人形そのものになっていく……
そんな日常……
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我に返った私を西嶋課長はじっと見続けてくれている。
いつもの……自信に満ち溢れたものではなく、少しばかり不安の色を滲ませながらも、その何倍もの熱が籠った眼差しで!!
ああ、幸せになる人は
この様な視線でお互いを見つめるんだ。
私は感動で胸がいっぱいになった。
そしてその分、更に“重し”を抱えた。
まかり間違って、この人の好意を受け入れたら……今まで隠し通して来た全ての事が“補佐”によって暴露されるだろう。
私は俯いて微かにため息をついた。
そして……
零れそうになる涙を何とかごまかして顔を上げ、しっかりと課長を見て申し述べた。
「ごめんなさい! 約束した人と近々結婚する予定なんです。 今日の面談で次の契約更新はお断りするつもりでした」
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「今日はお時間をいただき本当に申し訳ございません。これから社に戻られるのですよね。どうかお気をつけて」
もう一度深々と頭を下げて、去って行く西嶋課長の背中を見送る。
それはまるで“あの時”のデジャブ……
私を置いて出て行った母との最初で最後の旅行は……多分、伊香保温泉だったと思うが……見知らぬ男の人が一緒だった。
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季節は晩秋だった、旅館へ向かう石畳をトントンと駆け上がっていた私の背中を母の声が追いかける。
「雨上がりの落ち葉は濡れて滑るから気を付けて!!」
でも私は上機嫌だった。
だって、その男の人は父とは違い、私にとても優しくて、サービスエリアやコンビニでお菓子やソフトクリームをいっぱい買ってくれたから……
そう言った物を滅多に食べられなかった私はついガツガツしてしまい、せっかくの旅館の夕ご飯を前に黙り込んでしまった。
「せっかくのご馳走が食べられないのは残念だよね! オジサンが飲んでいる胃薬をあげよう! これを飲んで少しの間、横になれば大丈夫!」
男の人は白い薬袋から錠剤のシートを取り出し、私の手のひらにパチン!パチンとふた粒落した。
母から渡されたオレンジジュースでそれを一所懸命飲み下して、母の膝枕で横になる。
でも、私の記憶はそこまでで、次に目が覚めたのは朝陽がチラチラする布団の上だった。
寝返りをうって母を探すとくっ付き寝乱れた布団が二組あるだけで、母も“オジサン”も居ない。
狼狽える私の耳に室内露天風呂の方から声が……
聞いた事の無い声色の母とオトコの唸り声に私は夢中で布団を被った。
それから何ヶ月か経って、私は母の背中を見送り、程なく父との“おぞましい”生活へ突入した。
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今、私の横でイビキをかいているのは課長ではない。補佐の方だ。
「そろそろ起こしてあげないと……
カレのアイデンティティの拠り所である奥様とトラブルになっては可哀想……
こんな便所コオロギの為にね」
こう独り言ちて、私はカレの大好きな胸を……“おめざ”にしてあげた。
ひょっとしたら
私の未来は
この濡れ落ち葉に
足を取られているのかもしれない。
おしまい
黒い私ですが、途中から泣きながら書いてしまいました。
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