6. 久しぶりに安眠できました
薄暗く染まる景色の中、篝火に照らされて、王立劇場の外観が揺らめくように浮かび上がる。
エスコートを受けながら、楽しみですねとミリエッタが告げると、ジェイドが嬉しそうに頷いた。
開演前の場内は照明を落として適度に暗く、通路や階段には厚めの絨毯が敷かれ、観劇中に席を立っても、足音が消えるよう細やかな配慮が為されている。
細部まで施された重厚感のある装飾。
色鮮やかな極彩色の天井画は豪華絢爛で、格式の高さを感じさせる。
案内された二階のボックス席には、席間が少々狭い気もするが、一人掛けソファがふたつ設置されていた。
座部は低めだが、しっかりと視界が確保され舞台が見切れず、ストレスなく全体を見ることが出来る。
芝居の内容は、騎士と姫君が身分差を乗り越えて結ばれるという、よくある恋物語だったが、歌と踊り、特に群舞が素晴らしく、ミリエッタは終始感嘆の息を漏らした。
夢心地のまま王立劇場を後にし、ジェイドが予約してくれたレストランに、馬車で移動する。
そのレストランもディナーも全てが、まるでミリエッタの好みを熟知しているかのように満足のいくもので、デートが終わる頃には、最初の緊張が嘘のように打ち解けることができた。
「趣向が凝らされた、圧巻の舞台でしたね!」
夜景の美しい場所があるんですと案内された橋の上で、灯りがともった家々を眺めながら、「今日はとても楽しかったです」と、無邪気に笑うミリエッタ。
「楽しんでいただけて、俺も嬉しいです」
少々お酒が入り、ほろ酔いのジェイドが破顔した。
「ジェイド様、ずっと思っていたのですが、私には敬称も敬語も不要です。……年上の方に敬語でお話しされると、何だかムズムズ落ち着かなくなります」
冗談めかして口を尖らせると、ひゅっと息を呑んだ音が聞こえた。
真剣な顔でミリエッタを見つめると、何やら少し、唇が震えている。
「ミミ、ミ……」
「?」
「ミ、ミリエッタ」
「……はい、なんでしょう?」
にこりと微笑み、首を傾げた次の瞬間、ジェイドが大股で距離を詰め、ミリエッタの前で突然屈んだ。
「……ミリエッタ!」
「きゃあッ」
子供をあやすようにひょいっと持ち上げ、軽々と腕に乗せて抱き上げる。
「ミリエッタ!! あああ、だめだ、可愛い! かわいいッ」
突然視界が高くなり、見下ろす形になったミリエッタを、頬を赤らめながら見つめ、ジェイドは叫んだ。
「もう無理だ、可愛すぎる。 折角我慢していたのに……ミリエッタ、今日は楽しかった!?」
見ているだけで嬉しくなるような満面の笑みで、そう聞くと、ジェイドはミリエッタを抱き上げたまま、背中に手を回した。
そのままグィッと、自分のほうへ引き寄せると、お酒も入って自制が利かないのか、抱き込むようにギュッと腕の中へと閉じ込める。
「ちょッ……、ジェイド様、何を……!?」
「ミリエッタ、たった一日だけど、名前で呼んでもいいと思えるくらいには、俺のこと好きになってくれた!?」
「ち、ちか、……近いッ!」
同じ量のワインを飲んだはずなのだが、明らかにミリエッタより、酔いが回るのが早い。
行き交う人が、自分たちを見て、クスクスと笑っている。
それもそうだ、こんな自分を可愛いなどと、端から見たら呆れてしまうだろう。
「可愛い! このまま連れて帰りたい! ……嬉しかったんだ」
「ジェイド様、す、少し落ち着いて……」
「これが落ち着いていられるか! 嬉しかったんだよ。あの日、君が話しかけてくれて、俺は泣きたいくらい嬉しかったんだ!」
「分かりました、嬉しかったのは分かりましたから!!」
良い年をして、子供の様に抱き上げられるのも恥ずかしいが、日に焼けた肌に黒曜石のような瞳をキラキラと輝かせながら、ミリエッタが話しかけてくれて嬉しかったと叫ぶジェイド。
鍛え上げられ、均整の取れた身体は逞しく、そして美しい。
麗しい美青年とはまた違う、整った凛々しい顔立ち。
明るく爽やかで、ミリエッタが話しかける度嬉しそうに瞳を輝かせ、柔らかい物腰でスマートにエスコートする彼に、憧れる令嬢もきっと多いだろう。
その後はどんなに懇願しても降ろしてもらえず、歩き疲れたでしょうとミリエッタを腕に抱いたまま、馬車へと戻る。
……酒に弱いのだろうか。
もう夜も更けてきたから、一人で帰れますと固辞するミリエッタに、途中で何かあったら心配だからと、ゴードン伯爵邸まで送ってくれた迄は良かったが……。
馬車に乗り込んだ時の体勢のまま。
ミリエッタを膝に乗せ、太い両手で大事そうに抱きしめたまま、ジェイドはスヤスヤと寝入ってしまった。
どうにも解けない太い腕にガッチリとホールドされたまま、家に着くまでの約二時間弱。
ミリエッタは恥ずかしさに両手で顔を覆い、健やかに眠るジェイドの膝の上で、汗びっしょりになりながら、馬車に揺られたのであった。