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31. 【ルーク × ミリエッタ】出来ることを、一つずつ


(SIDE:ルーク)


 執務室のドアがノックされ、隊士に連れられたミリエッタが、ちょこんと顔を覗かせる。


「お忙しい中、申し訳ありません」


 無造作に置かれた箱に、山積みにされた書類。

 一歩入るなり足を止め、ミリエッタは所在なさげに、少し閑散とした執務室内を見廻した。


 エルドール伯爵家の別邸へ無許可で立ち入った件に加え、自白の強要、その他諸々。

 状況が状況だったため、関係者からは擁護の声が多数上がっていたが、ルークは一切の責任を負うと譲らず、騎士団長の座を降りることになった。


 ソファーに座るよう促され、隊士が来客用のティーセットを持ってきてくれる。


「体調はどうだ?」


 開口一番、体調を案じて声を掛けると、ミリエッタは「もう、大丈夫です」と小さな声で答えた。


「そうか」


 それはなによりだ、とルークは呟き、窓の外へと目を向ける。


 ミリエッタも、その視線の先を、静かに辿った。


 演習場から聞こえる剣の音。

 走る騎士達の掛け声に、舞い上がる砂埃。


 傍系の未亡人だった母がデズモンド公爵の目に留まり、公爵家の一員として迎えられたのは、ルークが十二歳の時。


 偉大な義父に認められようと、血反吐を吐くほど努力し、王国最強の騎士と呼ばれるようになったのは、いつの頃だったか。


 言葉を発することもなく、ルークはただぼんやりと外を眺めた。


 ……どれくらい経っただろうか。


 ミリエッタがいたことを思い出し慌てて視線を戻すと、ミリエッタもまた、ルークへと目を向ける。


 視線が交差し、ふんわりと、花が綻ぶように微笑んだ。


「ルーク様」


 思わず見惚れ、目が離せなくなったルークへと、姿勢を正して向き直る。


()()()()()()()の依願退職について、キール様より伺いました」


 その凛とした佇まいに圧倒され、息を呑んだルークに、ミリエッタは頭を下げた。


「自身の力不足を恥じ入るばかりです……!」


 本当に申し訳ありませんと、頭を下げたその肩が震える。


 ……何故、彼女が謝るのか。ミリエッタがゴードン伯爵を通じ、騎士団長の任を継続出来るよう手を尽くしていたことを知っている。


 ルークは立ち上がり、小さく震えるその隣に腰を掛ける。

 すぐ近くに気配を感じたのか、そろそろとミリエッタが顔を上げた。


「……君が泣く必要はないんだ」


 声もたてず、震えるように涙をこぼすミリエッタの顔を覗き込み、親指の腹で優しく涙を拭う。


「俺は、満足している」


 だから泣くなとルークに言われ、ミリエッタの顔がぐしゃりと歪んだ。


「泣いて……ません」


 しゃくりあげた拍子に、堪えた涙がまたポロリとこぼれる。


「……泣いてません!」


 子供のように顔を歪め、ついに両手で顔を覆い俯くと、指の隙間からこぼれた涙が筋になり、肘先へと伝う。


 まるで自分のことのように、想い、悲しみ、傍に寄り添う彼女はきっと、その姿に救われる人間がいることなど、思いもよらないのだろう。


 しゃくりあげるミリエッタに、ぐっと喉を詰まらせた後、ルークはそっとその身体を抱き締めた。


「ふ、ぐっ……、ぅわあぁぁああん」


 胸が苦しくなるような泣き声に、抑えていたルークの感情までも、堰を切って溢れ出す。


 二十五歳の若さで騎士団長に登りつめた時は、義父であるデズモンド公爵が、見たこともないほど喜んでくれた。


 母も、ティナも……デズモンド公爵家で働く皆が喜び、祝い、あんなに楽しい宴は初めてだった。


 自身の決定が部下の生死を左右する。

 間違えることを許されない重圧に、自分の感情を殺しながら日々耐えてきた。


 遠く聞こえる声に、これまでの日々が浮かぶ。


 ミリエッタの肩を抱く、太い腕がほのかに震える。


 きつく目を閉じると、湛えていた涙がしっとりと頬を濡らした。



 ***



 泣き疲れて、ぐったりしているミリエッタを目の端に留めながら、ルークは冷めた紅茶を口に運ぶ。


「目が腫れてしまったな」


 自分だってほんのり目元が赤いくせに、意地悪な顔をして揶揄うルークに、ミリエッタはプクリと頬を膨らませた。


「腫れていません……この顔は、生まれつきです」


 そう(うそぶ)くと、隣に腰掛けていたルークが、思わず声を上げて笑う。

 つられて笑ったミリエッタに、精悍な顔をほころばせ、ルークはその頬をぷにりとつついた。


「ちょっ……、やめてください!」

「クッ、だめだ、可愛い」


 腹を抱えて笑い始めたルークの太腿を軽くつねると、ミリエッタはプイとそっぽを向き……その後、怒ったように視線を戻した。


「ルーク様は女性に対して、軽々しい言動が少々目立ちますが」


 反省する様子がまったくないからか、ミリエッタに睨まれる。


「一緒にいると楽しくて、頼もしくて、……ティナ様の事が無ければ、惹かれてしまったかもしれません」


 その言葉に驚き、「それは光栄だ」と真面目な顔でルークは呟いた。


「ふふっ、いえいえ、光栄なのは私のほうです。皆が憧れる王国最強の騎士団長様と、二人きりでお出掛けをする機会を得るなど、何に増しても得がたい喜びでした」


 にこやかに告げるミリエッタを、ルークは眩しそうに見つめた。


「君は恐ろしいな……駄目だと思っているのに、惹かれてしまう」

「ふっ、ふふ、またそんな事を! もしルーク様が私を欲しいと少しでも思うなら、それは、手に入らないと分かっているからです。……手に入らない玩具が、どうしても欲しくなる子供と同じ」


 軽口混じりに言った口説き文句を、駄々っ子の子供に例えられ、ルークは困ったように眉尻を下げる。


「でも、ティナ様は違うでしょう?」


 そこまで言うと頬に手をあて、困ったように呟いた。


「私、実はとても我儘なのです。すぐに職務を優先する方は嫌だわ。……か弱い淑女ですので、一番に守っていただかなくては」


 ティナを救出した後、すぐさま別館に駆けつけたジェイドが見たのは、細く裂かれたシーツで手足を縛られたニース・エルドールが、頬に大きな青あざをつけ、部屋の隅で気絶していた姿だったという。


 騎士が助けに入った時には、既に逃走準備に入っていた淑女が、何を言う。


 またしても腹を抱えて笑い出したルークに、ミリエッタは続ける。


「私は、とても、我儘なのです。宜しいですか? どんなことがあろうとも、優先順位の第一位は、私であって欲しいのです」


 ジェイドがミリエッタを見つけた時、ニースに襲われ、腕を掴まれ、引き摺られていたと聞いている。


 窓に体当たりしガラスを割り、ティナを助けに行くよう叫んだミリエッタ。


 あと数分遅れていたら、燃え盛る小屋の崩壊に巻き込まれて儚くなっていたかもしれない。


「だが、君が願ったとはいえ、ジェイドはティナを優先したじゃないか」


 曇りのない瞳が眩しくて、思わず憎まれ口を叩いてしまう。


 そんなルークを叱りつけるように、目に力を籠め……それから、ふんわりと笑みをこぼした。


「いえいえ、あれは違います。ジェイド様は私を後回しにしたわけではなく、信頼して、その場を任せてくださったのです」


 きらきらと目を輝かせ、ルークを見つめる。


()()()()ことを、いつも一番に考え、臨機応変に、正しい優先順位と的確な状況判断が出来る方。私はそんな方が良いのです」


 そして私も相手に対して、そうありたいと願います。


「……そうか。君はきっと、そんな男を選ぶのだろうな」


 ひっそりと野に咲く花のように慎ましく、だがその輝きはまるで月のように、ほのかに、降り注ぐように優しく照らす。


「誰にも気付かれないよう虚勢を張り、強くあろうと望んできた俺には、そんな君がとても眩しい」


 ぽつりとこぼした言葉に、ミリエッタは目を瞠り……その後、力強くルークに告げた。


「何を弱気になってらっしゃるんですか! らしくありませんよ! デズモンドは絶対に()()()()と、私は幼い頃から父に教えられてきました!」


 フン、と鼻を鳴らして威張るように腰へと手を当てる。


「私は頑張りました! ジェイド様だって頑張りました! さあ次は、ルーク様の番です!」


 騎士団長を辞職したことが、どれほどの事だというのか!

 お前の(おとこ)を見せてみろ!


 自信満々に告げる姿に、先程までの重い気持ちも吹き飛んでいく。


 これは、かなわないな。

 ……完敗だ。


 冗談めかしてそう言うと、今度はミリエッタが笑い出した。


 そう、振り出しに戻っただけだ。

 出来ることを、一つずつやっていけばいい。


 きっとまた、新しい何かが見つかるはずだ。







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