30. 【キール × ミリエッタ】君が幸せなら、僕はそれでいい
(SIDE:キール)
あの後ニース・エルドールを現行犯で拘束し、厳しい余罪取り調べの上、正式な手続きを経て、エルドール商会および取引先商会すべてに強制捜査の手が入った。
『専門機関』として代理に立てた複数の架空会社を経由し、贋作等に係るあらゆる偽装行為と資金洗浄を行っていたことが今回の調査で明らかになったため、今後は捜査の手を更に広げ、全容究明に力を注いでいく予定だ。
関係各所への通達も一段落し、キール・オラロフはミリエッタのお見舞いのため、ゴードン伯爵邸を訪れていた。
「……はい、どうぞ」
ミリエッタの返事を待って、彼女の私室へと足を踏み入れたキールは、傍らに立つ侍女に持参した花束を手渡した。
「お見苦しい姿で申し訳ありません」
ベッドから起き上がり、申し訳なさそうに謝るミリエッタに優しく微笑むと、「気にしなくていい」と手で制する。
「……ミリエッタ嬢、体調はどうかな?」
「ご心配をおかけして申し訳ありません。なぜか、熱が出てしまって……でも先程、もう大丈夫だろうと主治医からお墨付きを頂きました」
兄のアレクと連れ立って、学生時代から度々ゴードン伯爵邸を訪れ、ミリエッタとも旧知の仲であったが、こうやって私室に招き入れてもらったのは初めてかもしれない。
「そうか、良かった。体調を崩したと聞いて、居ても立っても居られなくて」
気遣うようにベッドサイドの椅子へ腰を掛けると、リボンのかかった小さな箱を手渡し、「開けてみて」とミリエッタに促した。
「まぁ、ありがとうございます。何かしら……そういえば、キール様にはいつもお土産を頂いている気がします」
学生の頃は商会で扱う珍しいお菓子を。
王宮で働くようになってからは、地方視察のお土産を。
ふふ、と微笑んで包みを開くと、精巧な装飾が施されたエメラルドのイヤリングが入っていた。
「素敵……頂いても宜しいんですか?」
思わずミリエッタが感嘆の声を上げると、キールは嬉しそうにふわりと笑みをこぼす。
「僕が付けてもいい?」
「え? あの、……はい」
いつも穏やかで笑みを絶やすことのないキール。
実兄であるアレクと交換したいと、冗談交じりに言われたこともあるが、さすがにこの至近距離だと緊張するらしい。
優しく耳に触れると、ほんのりと頬が赤くなった。
イヤリングを付けやすいように顔を逸らしたその姿を、目に焼き付けるようにじっと見つめる。
ミリエッタの横に片手をつくと、その重さで、ギシリとベッドが軋んだ。
最後に確認するように、もう片方の手で耳を撫で……そのままスルリと包み込むように、頬へと触れた。
「!?」
目の前には、真ん丸に目を見開いたミリエッタ。
成人後、アレクも交えて三人で一緒にお酒を飲んだ時は、酔って我儘を言う姿が本当に可愛かった。
普段絶対見られないその姿を堪能した翌日、お酒が抜けたミリエッタが申し訳なさそうに、困ったように、眉尻を下げて謝る姿にしばらく笑いが止まらなかった。
……思い出すにつれ、隠してきた想いが溢れてしまいそうになる。
無言で見つめるキールの優しい瞳に、ミリエッタの顔がカッと赤く染まった。
恥ずかしくなったのだろう、落ち着きなく瞳が揺れる。
「ぷっ、……あははははは!」
頬から手を離し突然笑い出したキールに、少しだけほっとした様子で、ミリエッタは唇を尖らせた。
「もぅ! 何が可笑しいんですか!」
「いや、うん。良く似合っている」
「……なんで笑っているんですか」
拗ねたように文句を言うミリエッタの頭をひと撫でし、もう一度正面から見つめると、今度は柔らかく包むようにミリエッタを抱き締める。
「!?」
驚いて固まるミリエッタを腕の中に閉じこめ、静かに目を瞑った。
「本当に……良く、似合っているよ」
先日のガーデンパーティーで、ジェイドが他の令嬢と楽しげに話す姿を目に留め、不満気に唇を尖らせていたミリエッタ。
視線の先にいるジェイドが羨ましく、何年かけてもあんな顔をさせることが出来なかった自分を、歯がゆく思った。
「あの日手渡されたハンカチは、今も大事に持ち歩いている」
少し力を込めてギュッと抱きしめると、腕の中で小さく「ひぇっ」と変な声を出す、大切な親友の妹。
先日、エルドール伯爵邸での大捕り物で、二人の様子をルークから聞いた時は驚いたが……。
まさか、兄のように慕う自分に抱きしめられるとは、思いもよらなかったのだろう。
腕を解いて顔を覗き込むと、目を潤ませ真っ赤になりながら、プルプルと震えるミリエッタの姿。
「……よく、頑張ったね」
悔しいけれど、ジェイドはいい奴だ。
本音を言うと羨ましいが、君が幸せなら、僕はそれでいい。
笑顔で褒めて、また頭を撫でると、ミリエッタは子供のように嬉しそうに微笑んだ。
ずっと渡せなかった、エメラルドのイヤリング。
キールの瞳と同じ、透き通った優しい緑の宝石は、ミリエッタの耳元で柔らかく揺れた。
***
オラロフ公爵邸の応接室。
キールは差し向かいで座る男達に、分厚い報告書をポンと投げた。
いつもは温厚で穏やかなキールが、蔑むような冷たい目を向けたことに怯え、ビクリと肩を震わせると、そろそろと視線を上げる。
権益を保有するオラロフ公爵家の航路を利用し、悪質な犯罪に手を染めた傍系の男達。
今回は証拠不十分で法的に立証することはできなかったが、彼らの持つ商会を、許す気はない。
「うまく逃げられたとでも思ったか?」
あの後、ジェイドは三日の猶予期間を経て、一週間の謹慎処分が言い渡された。
そのたった三日の間に、あらゆる伝手を使い、末端にも引っかからないような目の前の男達までもを調べ上げたその手腕は、正直驚嘆に値する。
「お前達は、あの男を本気で怒らせたな」
怯える代表格の男の髪を掴み、上向かせると、殺意を灯した冷たい目が、震える瞳越しに見えた。
「使えるものはなんでも使うぞ? あの男を……トゥーリオ公爵家を怒らせたら最後、何をしてでも、どこまででも追いかける。お前達は終わりだ」
吐き捨てるように言うと、キールは男の顔を、テーブルにガン! と勢いよく叩きつけた。
「そしてそれは、我がオラロフ公爵家も同様だ。金輪際、この大陸で……このオラロフ公爵家の目が届く場所で、生きていけると思うなよ」
そう言って呼び鈴を鳴らすと、使用人達は男達を、乱暴に室外へと引き摺り出した。
誰もいなくなった応接室は、何故かいつもより広く感じる。
キールは窓辺に寄ると、先日のミリエッタを思い出す。
ジェイドの話になった途端、いつもより感情を露わに、笑い、はしゃぎ、色々な事を聞かせてくれた。
あのデートプランに負けたのか……。
ミリエッタの趣味を疑いたくなる場面も多々あったが、まあ、うん……とにかく、あいつはいい奴だ。
「……さぁ、僕も本気で探してみるかな」
残念だけど、悪くない気分だ。
うーんと伸びをして窓を開け、気持ちの良い風に、キールはふわりと微笑んだ。