3. 楽しみで眠れませんでした
透けるような白い肌に、茶を帯びた丁子色の髪と瞳。
身に纏うドレスは、淡い薄紫の生地にレースと刺繍が重ねられ、控えめながらも身体のラインを露わにする。
観劇は夕刻からだが、ゴードン伯爵邸から王立劇場まで馬車で二時間程かかるため、昼過ぎに迎えに来るとのことだった。
早めの昼食を済ませ支度を終えたミリエッタは、時間が余ったので本でも読もうかしらと、書庫に向かうと、廊下を曲がったところで母と出くわした。
「ねぇミリエッタ、……お約束は確かお昼過ぎだったかしら?」
そこには、少し困り顔の伯爵夫人。
どうしたのだろう?
やはり嫌になって、直前にお断りの連絡でも来たのだろうか?
「いえ、実はね……ああ、ちょうどこの窓から見えるわ。こちらに、いらっしゃい」
手招きされて、窓から外を覗くと、トゥーリオ家の紋付き馬車が裏門の近くに停まっているのが見える。
「お時間まで、まだ一時間以上ありますが……予定より早く、到着されたのですか?」
ミリエッタの問いに、伯爵夫人は珍しく返答に窮した様子で、声を潜めた。
「んー、それがね……あの馬車、実は朝の七時頃から屋敷の近くにいるのよ」
「え? し、七時ですか!?」
それならばジェイドではないだろう。
いくらなんでも早すぎる。
「でもトゥーリオ家の紋が彫られているでしょう? もしやと思って様子を窺っていたのだけれど」
早朝に現れたトゥーリオ家の馬車は、一定の間隔で動き出し、グルグルと屋敷の周りを回っては停まり、またしばらくして動き出す……の繰り返しなのだという。
「もしかしたら、ジェイド様がお時間を間違えて、困っていらっしゃるのかもしれませんね。少し早いですが、お声がけをしても宜しいですか?」
なにか良からぬ者だと危ないので、念のため護衛騎士を遣り、確認してもらいましょうと、ミリエッタは使用人に声を掛ける。
何事もないと良いのだけれど、とミリエッタは呟き、心配そうに窓の外へと目を向けた。
***
「少し早めに到着したのですが、失礼かと思い、お声がけ出来ずにおりました!」
『少し早め』の定義が不明だが、ニコニコと笑顔をふりまくジェイドにそれ以上は何も言えず、「そうだったのですね」と伯爵夫人は小さく頷く。
それならばと呼ばれ遠慮がちに姿を現したミリエッタに、切れ長のはずのジェイドの目が、ビー玉のように丸くなった。
手に持っていた大きすぎる花束をバサリと床に落とし、一歩、また一歩とミリエッタに向かって歩みを進めるジェイドに、思わずミリエッタは後退る。
「そ、その装いは俺のために……?」
ミリエッタに向かって手を伸ばし、震える声で呟くジェイド。
だが否定できる雰囲気ではないため、コクコクと顔を上下に振る。
「つまり、俺の求婚を前向きにご検討いただけると……?」
誰も一言も、そんな事は言っていない。
思考が飛びがちな目の前の男に、今度は左右にブンブンと勢いよく首を振り、ミリエッタはなおも後退る。
全否定に、へにゃりと眉尻を下げ一瞬泣きそうな顔をしたジェイドだが、気を取り直すようにミリエッタを見つめると、大きく前へ一歩踏み出し、一気に距離を詰めてきた。
「とても! とても、お似合いです!」
ゆうに百九十センチはあろうかという巨躯が、ミリエッタの目前に迫る。
「慎ましやかな美しさの中に、気品が感じられ、凛とした雰囲気はまさに女神……!」
こんな平凡な自分を、狂ったように称賛する目の前の男に慄き、ミリエッタは助けを求めるように母へと視線を向けた。
あ、あれ、目が合わない……。
「そしてこの艶めいた装い……これはダメだ、他の男には見せられない。個室を取って正解だな」
頬をほんのり紅く染め、訳の分からない事を呟き出したジェイドに、ついに堪え切れずプッと吹き出した伯爵夫人が、パチンと手を打ち、二人の間に割って入った。
「さぁさぁ、いつまで立ち話をしているのですか! 準備が出来たのだから、少し早いですが観劇の前に王都を散策するなり、二人で楽しんでいらっしゃい!」
もうこれ以上は見ていられないと、早々に馬車に押し込まれた二人は、予定よりも一時間以上早く、王都に向け出発したのである。
***
ミリエッタに渡すつもりだったのだろうか。
すっかり忘れられ床に置き去りにされた巨大な花束。
「トゥーリオ卿……少し変わった方なのかしら?」
二人が去った後、伯爵夫人はポツリと呟き、ミリエッタの部屋へ花を飾るよう指示を出した。