24. 人並み令嬢の護身術③
ジェイドはミリエッタの手から木剣を受取り、足元にそっと置いた。
「少しだけ、触れてもいい?」
コクリと頷いたミリエッタの身体を、覆うように両腕を回し、その腰の後ろで軽く指を組む。
ジェイドの肩口に、ミリエッタの額が触れた。
「少し落ち込んでいると言っていたのは、そのことだったのか……どこから話せばいいかな」
そう呟くと、「全部です」と、胸元から微かに声が聞こえる。
「ミリエッタは、俺と初めて会った時のこと、覚えてる?」
問いかけに、沈黙で答えるミリエッタ。
ジェイドは、「ああ、覚えてないかな」と、自嘲気味に微笑んだ。
「初めて君に会ったのは、デビュタントの時だ。それまで目指していたものが、すべて手の平から零れ落ちて、一番辛い時だった」
自分で選んだ結果とはいえ、先の目標も定まらず、ただ時間だけを費やす日々。
無理矢理父に連れてこられた『デビュタントボール』で、会場中の注目を浴びていたミリエッタが、目に飛び込んでくる。
エスコート役のゴードン伯爵と踊るその姿に、何故だか目が離せなかった。
「順に四大公爵とも踊り、……その後、誰と踊ったか覚えてる?」
またしても無言のまま、小さく頭を振る。
緊張して目も合わせられない様子だったので、恐らく顔などみていなかったのだろう。
「……俺だよ」
まさかジェイドと踊った事があるとは思わなかったのか、ミリエッタは驚いたように顔を上げる。
「俺と、踊ったんだ」
人混みを掻き分け、公爵達の後にダンスを申し込もうと、手ぐすね引いて待っている男達を牽制しながら、果たして自分の誘いを受けてくれるかと緊張に震える手で、君にダンスを申し込んだんだ。
「ご、ごめんなさい、全然覚えてなくて……」
「ああ、うん」
申し訳なさそうに謝るミリエッタの、微かに揺れるその頭に、ジェイドは頬を寄せた。
一度も、目が合わなかった。
「知ってる」
その後踊った男達の、誰とも目を合わさなかったことも。
ゴードン伯爵に、「ダンスも会話も得意じゃないから、早く帰りたい」と、ベソをかきながら訴えていたことも。
「……知ってるよ」
一目で心奪う美貌も、四大公爵を唸らせる見識も、彼女にとってはきっと全て自己完結し、他人と比べる価値もない程、些末な事なのだ。
それゆえ、気付かない。
「それで……ああ、そうだ、王立劇場のお店のことだっけか」
腕の中でビクリと身体を震わせる。
ジェイドは安心させるように、組んだ指で少しだけミリエッタの身体を引き寄せた。
「ミリエッタが言う通り、マーリンは公爵邸の元料理人だ。……あのお店は、君のために購入し、君のために改装した」
あまりのことに、ミリエッタは目を瞠る。
「そんなことに私財を投じて、……困ります!」
「ああ、気にしなくていい。ちゃんと事前に父に相談し、採算が取れるのを見越しての投資だ」
じゃないと、あの父が許可するわけないだろう? とジェイドが言うと、トゥーリオ公爵を思い出したのか、ミリエッタがクスリと笑った。
「ミリエッタに会う前日まで、二人でメニューを考えていたんだ。なかなか合格点が出せず、最後は騎士の訓練張りに熱くなってしまった。……聞こえた声はそれだろう」
「……『クレープ・シュゼット』」
「そう、『クレープ・シュゼット』。あの席は永久予約してあるから、いつでも空いてる。また、食べに行こう」
腕の中でまた小さく頷く姿に、ジェイドは嬉しくなって目を細めた。
「あとは……、ああ、ティナか」
またしてもピクリと反応する姿が可愛くて、腰の後ろで組んでいた指をほどく。
片手をミリエッタの頭の後ろによせ、怒られないか様子を窺いながら、そっと抱きしめると、身体を強張らせ硬くなってしまった。
「あの日は、ルークの件で、文句を言いに押しかけてきたんだ。大方、好きな男が、他の女性と楽しそうに過ごして帰ってきたんで、気に入らなかったんだろう」
ジェイドの言葉に、「申し訳ありません」と小さく謝るミリエッタ。
「謝る必要はない。でも、君が他の男と楽しく過ごすのは正直、その……本音を言うと物凄く悔しい」
思い出したのか、ギリリと歯噛みし、ミリエッタを抱きしめる腕に力がこもる。
「前回失敗したから、ティナに女性目線でプランを確認してもらったんだ。だが悉くダメ出しをくらい、挙げ句の果ては両頬に平手打ちをされてしまった」
笑っているのだろうか。ミリエッタの肩が震えている。
「その時の事を聞かれたら、『知らない』とルークにだけ言うよう伝えたのに、ミリエッタにまで言ってしまった」
ままならない、とジェイドは溜息をつく。
「でも、他の女性に確認してもらうのは、良くなかった。……結局、全く違う内容だったんだけど、でも、反省している」
何だか先程から、言い訳ばかりしている。
「……もう、二度としない。すまなかった」
素直に謝り、ふうと息をついて天井を見上げる。
許してもらえるかは分からないが、先程聞かれたことは、正直に全部話した。
……少しは許してもらえただろうか。
そんなことを考えていると、今度はミリエッタが申し訳なさそうに口を開く。
「いいえ、違うんです。悪いのは私です。私が勝手に勘違いをして……」
抱きしめていた為、ミリエッタが顔を上げると、鼻がつきそう程に距離が近い。
まさかこんなに近いと思わなかったのか、ミリエッタが大きく目を見開く。
「いや、俺はいつも言葉が足りないようで、誤解させてしまう。すぐには無理かもしれないが、少しづつ直すよう努力する」
見下ろすように微笑むと、ミリエッタの眉がへにゃりと下がった。
「君に対しては、本当に自信がないんだ。だから、他の男も色々見てもらって構わない。……数ある選択肢の中で選んで貰えて初めて、君に対して自信が持てる気がするから」
見開いた目が、うるりと濡れる。
それを見て、ジェイドもまた、目を瞬かせた。
「……だから、泣かないで」
きみが泣くと、俺も悲しいと言っただろう?
震える肩をまた抱いて、しばらくして泣き止んだのを確認すると、ジェイドは足元の木剣を拾いあげ、ミリエッタへと手渡した。
「今日は、俺の得意分野を堪能するのでは?」
「……そうでした」
「身体を動かすと、元気になるんだろう?」
「……そうです」
「実を言うと、腕の中で泣く君があまりに可愛くて、さっき思わず口付けそうになった」
「はぁあ!? なっ、何を言っているんですか!?」
頑張って我慢したから褒めて欲しいと、嘯くジェイドに向かって、ミリエッタは思わず木剣を構える。
「よし、かかってこい!」
腕まくりをして、得意分野を披露する気満々の駄犬に、恥ずかしさのあまり淑女の慎みメーターが振り切れたミリエッタは、容赦なく高速連打をお見舞いするのだった。