22. 人並み令嬢の護身術①
ドレスではなく、運動用の動きやすい服……もしなければ乗馬服でも構わないと手紙に記載されていたため、一体何をするのだろうと首を捻りながらも、昔兄が使っていた稽古着に身を包み、迎えに来たトゥーリオ公爵家の馬車に乗り込む。
忙しいのだろうか、公爵邸に着くなり、ジェイドは今稽古場にいると案内された。
トゥーリオ公爵家の本邸から少し離れた場所にあるその稽古場は、整然としており、高い天井のせいか音が豊かに響く。
最近は専ら、ジェイドが個人の稽古用に利用していると手紙に書いてあったが、数人が楽に剣を振れるほど広く、ミリエッタが足を踏み入れると、コォンと硬質な音が場内に反響した。
案内をしてくれた使用人が扉を開くなり、剣を振っていたジェイドがミリエッタに気付き、嬉しそうに駆け寄ってくる。
「ミリエッタ! ……普段のドレス姿も素晴らしいが、その服もよく似合っている!」
可愛い可愛いと手放しで褒められ、少し恥ずかしくなりながらも、「ありがとうございます」と小さな声で礼を言う。
「今日はなぜ稽古場に?」
汗を拭うジェイドへ疑問を投げかけると、稽古場の隅から、細身の木剣を手に取り戻ってきた。
「……これは、俺が十二歳の頃、稽古用に使っていた木剣なのだが」
そう言って、掌の上でくるりと回し、「持ってみて」とミリエッタに手渡す。
長さを見ているのだろうか、うーんと首を捻るとミリエッタの手から木剣を回収し、また別のものを持ってくる。
「これは、俺が九歳の時に使っていた木剣」
またしてもミリエッタに持たせ、一歩下がって全体を眺めた後、うん丁度良いなと呟き、ミリエッタの手からまた木剣を回収した。
少し座ろうと言われ、休憩用のベンチに二人並んで腰掛ける。
「先日たまたま職務で、某商会主催のオークション名簿を見る機会があって、……ルークの名前と共に、ミリエッタ、君の名前を見付けたんだ」
ルークに誘われたのか? と聞かれ、ミリエッタはコクリと頷く。
「オークションを開催する場合は、原則身元を確認した上で、ある程度参加者をふるいに掛けるが、過去に何件か憲兵が出動するような騒動も起きている。外出時に、伯爵家の護衛が付いているとはいえ、それでも危なくなる時が来るかもしれない」
向かい合い、真面目な顔で告げられ、ミリエッタは再度頷いた。
「一緒にいる時は守ってあげられるが、常に共に過ごせるわけではないから、……非力な女性でも比較的簡単に身を守れる方法を教えておこうかと思って」
それでいきなりの木剣?
相変わらず斜め上の発想だが、心配してくれるのは素直に嬉しい。
それで今日は稽古場だったんですねと、ミリエッタは微笑んだ。
「昔と違い、今はご婦人方も乗馬や狩猟を楽しむ時代だ。ご令嬢が剣を握ったとて、何もおかしくはない」
女性に対し保守的な考えを持つ貴族男性は未だに多く、乗馬はまだしも狩猟については、嫌悪感を覚える者も少なくないと聞く。
ましてや剣などと、第一線で戦うデズモンド公爵家ならともかく、通常の貴族女性であれば握ったこともないだろう。
少し意外な気持ちで視線を向けると、ジェイドは急に目をそらし、そわそわと落ち着きがなくなった。
「……と、いうのが主たる理由だが、それとは別に……先日、父に『お前のデートプランはどうかと思う』と呆れられてしまって」
目を伏せ、恥ずかしそうに鼻の頭をかくジェイドの言葉に、ミリエッタは目を丸くする。
「自分から女性を誘うなど今まで無かったから、正直どうして良いか分からず毎回失敗ばかりだったので、今回は得意分野で攻めることにした」
あまりに正直な物言いに、思わずミリエッタは笑ってしまう。
実のところ、稽古着で護身術を授けるプランも、如何なものかと思うのだが。
「私はとても楽しかったですが、ふふ、ふ、……そうですか! それであれば今日は、ジェイド様の得意分野を堪能させていただきます」
「いや、そんなに期待されると、それはそれで困るんだが」
「実は最近、少し落ち込むことがありまして、ちょうど身体を動かしたいと思っていたところだったのです!」
それでは早速と軽く身体を慣らした後、先程の木剣を、ミリエッタに手渡した。
一方ジェイドは、手渡したものと同じ子供用の木剣を手に取り、怪我をさせないためか、緩衝材代わりにぐるぐると布を巻く。
子供用とはいえ相手は非力な女性なので、手を痛めない剣の持ち方や振り方等、ひととおりの基本動作を教える必要がある。
順を追って示すと、あっという間に出来るようになってしまった。
「随分とスジがいいな」
軽い運動程度に考えていたジェイドだが、吞み込みの早さに驚きの声を上げる。
身体を動かすのが好きなのだろう、ジェイドが指示を出す度、元気よく返事をしながらその動きを準えていく。
「……少し、手合わせをしてみるか?」
基本動作が分かれば、敵に相対した時、その構え等から相手の意図を読み取り、初動を早めることが出来る。
騎士ではないのだから戦う必要はなく、逃げおおせれば、それでよい。
このため、今日は手合わせはせず、剣とはこういうものだと教えるために場を設けたのだが、これ以上基本動作を教える必要も無いくらい軽快に、だが忠実に指示通り動けるようになったので、今度は実際に手合わせをしてみようと提案する。
「……はいっ!」
嬉しそうに返事をすると、ミリエッタは持っていた剣をポンと軽く宙に投げ、右手から左手に持ち換えた。
「ん?」
てっきり右利きだとばかり思って教えていたのだが、突然のスイッチにジェイドは目を瞬かせる。
とん、と軽く跳ねると、次の瞬間ジェイドの懐へ飛び込んできた。
「……!?」
距離を取ろうと慌てて一歩後退ったジェイドのもとへ、もう一歩踏み込み、一瞬身を屈めたかと思うと勢いよく跳ねる。
そのまま木剣が顎先へと突き出されるのを視認し、避けようと顎を上向かせると、ヒュッと風切り音を立て、ジェイドの顎スレスレの位置を剣先が掠めていく。
「……ッ!?」
思わずジェイドはミリエッタ相手であることを忘れ、反射的に腕を伸ばし、顎先をかすめたミリエッタの剣を素手で弾いた。
よしこれで大丈夫と息をついた次の瞬間、今度は身一つで距離を詰めてくる。
嫌な予感がし、これはまずいと更に大きく一歩後退り、ミリエッタから距離を取ったのも束の間、跳躍し再度身を屈ませると、弧を描くようにしてジェイドの足を払った。
「ちょ、ちょっと待て……!!」
よろめく体勢を整えようとしたところで、先程弾いた剣を空中でキャッチしたミリエッタが、ジェイドの首元へ木剣を当てる。
「……一本ですか?」
絶句するジェイドに淑女の微笑みを向けながら、はぁはぁと息を切らし、ミリエッタは光る汗を袖で拭った。