16. 美味しい魚も釣れます
『景色の綺麗な湖畔で、小舟に乗りませんか?』
『可愛い野兎がお出迎えします』
『美味しい魚も釣れます』
リゾート地のリニューアルオープンを思わせる手紙が、ミリエッタの元へと届く。
日を追うごとに元気をなくしていく文面が心配になり、勇気を出して外出に誘うと、すぐさま冒頭の手紙が送られてきた。
一生懸命に興味を持たせようとする謳い文句が子供のようで、思わず笑みがこぼれる。
早速承諾の返事を出し、待ち合わせ当日。
またしても早朝から屋敷の周りを徘徊する、トゥーリオ公爵家の馬車を捕まえ乗り込むと、ジェイドの両頬に赤味が差していることに気付いた。
「ジェイド様、その頬はどうなさったのですか……?」
ゴードン伯爵邸まで迎えに来てくれたジェイドだったが、両頬がほんのりと赤くなっているのがとても気になる。
……手形?
まるで誰かに往復ビンタをされたような手形が、ほんのりと両頬に付いているが、あまり聞かれたくないのか誤魔化すように微笑んだ。
「……先日の舞踏会では、驚かせてすみません」
反省したのだろう。
湖畔に向かう馬車の中で、申し訳なさそうに謝るジェイドに、「もう気にしていません」と優しく告げる。
エスコートを受けて馬車を降りると、季節の花々に彩られた遊歩道が、ぐるりと湖畔を囲むように続いていた。
二人乗りの小舟に乗り込み湖を覗くと、水底まで透き通り、泳ぐ魚が見えるほど透明度が高く美しい。
「とても良い風ですね! それに、水がとても綺麗!」
ミリエッタが感嘆の声を上げると、ジェイドが嬉しそうに漕ぎ進んだ。
「ここは水が綺麗なので、釣れたての魚をそのまま塩焼きにするのが最高なんです。もう少し進んだらお勧めのスポットなので、そこで釣りをしましょう」
「それは楽しみです。実は私、釣りをしたことが無くて……私でも釣れるでしょうか?」
「勿論です! 今日は水温が低めだし、生きのいい餌も持ってきました」
そう言って少し進むと、ジェイドは漕ぐ手を止め、短い釣竿を取り出した。
「随分と短いんですね?」
「ああ、これは伸びるんです。見ててください」
ひねり、上に伸ばすと、あっという間に長さが倍になる。
ジェイドは釣竿が伸びた状態で固定し、持ってきた小箱から取り出した餌を、針に付けた。
手元で釣竿を軽く振ると、ちゃぽんと音を立てて餌が沈んでいく。
「……あ、ジェイド様! 揺れています! もしかして魚が?」
しばらく眺めているうち、竿先が小刻みに振れ出した。
早く早くと急かし、竿先を上げると、エサの付いていない釣り針が水中から飛び出す。
「!? これはもしかして、エサだけ食べられてしまったんですか?」
「そうです。なかなかに手強い……。ここの魚は警戒心が強く、人の気配や音に敏感なので、見つからないようにしてください」
ジェイドは小舟が揺れないよう、慎重に中央へと移動し、ワクワクと目を輝かせるミリエッタに手招きする。
ヘリに掴まりながら、そろそろと移動すると、ジェイドの隣にちょこんと座った。
「魚に見つからないよう、小さい声で話しますね? 塩焼きが食べれるよう、一緒に頑張りましょう!」
ミリエッタは内緒話をするように声をひそめ、顔を寄せてジェイドを覗き込むと、なぜか顔を背け、小さく震えている。
「あの、ジェイド様? ……大丈夫ですか?」
具合でも悪くなったのかと心配して背中をさすると、突然小舟の上で決意表明を始めた。
「絶対! ぜったいに、食べさせてみせます!」
人の気配や音に敏感なので、魚に見つからないようにして欲しいと、自分で言ったばかりなのに。
ガタガタと音を立てながら先程まで座っていた先頭の座部を持ち上げ、追加で三本の釣竿を取り出すと、四方向に向けて固定した。
順に餌を付けていくその手元を覗き込むと、ミミズのような幼虫がウネウネと動いている。
「内臓を取ってから焼くので、気にしなくても大丈夫です!」
蠢く幼虫に思わずピシリと固まったミリエッタに声を掛けると、前後に竿先を動かし始めた。
一緒にどうぞと言われ、ジェイドに合わせてしばらく動かしていると、何やら引っ張られるような小さな感覚がある。
「ジェイド様! これ、いかがですか?」
「おっ、引いてますね! では竿先を上げてください」
座ったまま、延べ竿の先を引くと、ジェイドは足元のタモ網を掴み、長い腕を伸ばして魚を掬い取った。
「すごい! 釣れた! ジェイド様、私にも釣れました!」
「引きも強く、良いタイミングでした。結構深く飲み込んでますね」
針外しを魚の喉奥に突っ込み、器用にひねって釣り針を外す。
そのまま、舟の外側にロープで取り付けた魚網へ放り投げた。
「見てください! まだ元気に泳いでいます……あっジェイド様、こちらの竿先も動いています!」
「では、先程のように引いてください」
「ジェイド様! こちらも、こちらも動いています!」
「同時に? こっちは俺が引くんで、空いている釣竿を」
「あ、こちらもです!」
「……え?」
設置した釣竿は四本。
「ジェイド様、釣れました! 釣れたのですが、先程の、口から針を外す道具が見当たりません」
小舟の上に釣り上げ、ぴちぴちと跳ねる魚をどうしたら良いか分からず、焦ったミリエッタは魚が付いたままの竿を足元に置いた。
途端にワタワタとなる舟の中。
目の前には座ったまま、両手に一本ずつ釣竿を持ち、途方に暮れるジェイドの姿。
「こここ、こっちの釣竿は私がやります! ジェイド様は跳ねる魚を!!」
二本の釣竿を奪い取り、さぁ早く! と目で合図をする。
ジェイドは舟底で跳ねる魚を大慌てで掴み、針を外そうとするが、焦っているからか上手く外すことが出来ない。
もたもたと時間が掛かっていると、手伝おうかと迷ったミリエッタが、立ち上がった拍子につるりと足を滑らせた。
「!?」
ジェイドは大きく目を瞠り、掴んでいた魚を放り投げると、ミリエッタの腕を慌てて掴んだ。
そのまま舟の中央に無事戻し、安堵したところで、体制を崩し湖に落ちてしまう。
「だっ……大丈夫ですかッ!?」
心配するミリエッタを安心させようと、舟のヘリを大きな身体で勢いよく掴んだまでは良かったが。
小さな舟が、ぐらりと傾く。
舟の真ん中で尻餅をつき、呆然としていたミリエッタの身体も、ぐらりと傾く。
最後に、舟のヘリに掴まったジェイドの身体もぐらりと傾いて――――。
晴れた日の午後。
追加の水音は、凪いだ水面に、幾重にも広がる輪を描いた。