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アパタイト  作者: 弐鈴
はじまり
1/10

相喰む本能


 列車が山々の合間を通り抜けていく。線路はどこまでも続き、果てが無い。灰色の車体は赤色に照らされ、時折不安になるような金属音が鳴る。


 夕日が赤く照らす列車車内。灯りが付き始めた。車外から差し込む赤と車内の白が溶け合う。車内には客が一人だけ。乗客は点灯に気付いたのか、緑色に濁った目を開いた。赤と白は彼の目を照らして濁りを奪っていく。

「フーー」

 高音と低音の混じったため息をつくと埃が舞った。埃は照らされ黄色い宝石のように輝く。ボロボロな上着のポケットをまさぐり、錆びついた時計を取り出した。埃の舞う空間で数秒じっと時計を見つめる。骨が浮き上がり始めた腕を耳の近くまで持っていって針が動く音を聞く。

──うん。やっぱり暖かい。

 かつての友達のことを思い出すと心が安らぐ。そっと目を閉じると気を失ったように寝てしまった。


* * *


 鉄と鉄がぶつかる衝突音が鳴り響いた。乗客は振動に驚き、眠り眼のまま起き上がった。列車の扉が乱暴に開く。アナウンスはない。汚れた靴を伸ばし、ホームへと慎重に足を乗せる。片方がつけば、もう片方も。膝丈以上に伸びたダボダボなズボンも腰のベルトに引っ張られてホームへ降りる。


 小さな虫が列を成して床と壁を這っている。列車は金属の不快な高音を巻き散らかして飛び出していった。冷たい空気が押し出され、乗客の茶色の髪を激しく揺らす。天井に吊り下げられた標識がキイキイと鳴きながら激しく揺れた。それが止まるまで、少年はそれを呆然と見ていた。止まって数秒後、彼の足は標識が指す方向へ動き始めた。


 分厚い扉が少しずつ開く。掌に体重を乗せ、隙間から汚れた靴の先をのぞかせる。少年が力を抜けば扉はゆっくりと閉まる。鉄くずが集まってできたような階段が数十段。その先は風と光を遮る闇が続く。


* * *


 不安だ。周囲を高速で巡回する彼の目がそう告げている。時折見える電光掲示板がふらつく足を引き込む。それ以外には何もない。引き込まれるのを繰り返していると灯りが見えた。疲れ切っていた足が軽やかに動いた。多くのものが少年の緑の目に映る。金属タイルが敷き詰められた道。足早に歩く人々。伸びる鮮やかな街灯。さらに伸びる信号機。そしてそれよりも遥かに上に伸びたビル。残った僅かな箇所には解体された空が。


 道行く人々は道に平行に進む。少年が彼らの顔を見ても、彼らは見ていない。背中に誰かが当たる。

「すみません!」

 振り返った方向にはぶつかった人はもういない。他人の視線が冷たい視線に数秒さらされるだけだ。

「すいません……」

 何度もぶつかっているうちに誰も自分を気にしていないことに気付いた。ここじゃ当然のことなのかな。何もかも故郷とは違う世界に戸惑いがあった。何度も何度も人とぶつかって、ビルの壁に重心を失った体がぶつかる。冷たい。何か冷たいものが掌に触れた。再び冷たい。冷えた掌に水滴が張り付いている。習慣的に空を見上げると落ちてくる雨粒が見えた。


 ビルの裏側。僅かな屋根が雨を防いでくれる。首をかしげて正面の方を見ても、傘を差している人はいない。ビルから飛び出た雨よけのおかげで濡れずに済むからだ。それでも、少年にとってはここの方が落ち着くような気がした。

真っ白だったシャツも雨でくすんでしまった。雨が熱を奪い、憂鬱が思考を奪う。ただ目を背けたくて、目蓋が自然と閉じていった。


 雨の湿気が上着全体を濡らした頃、声がした。少年はズキズキ痛みだした頭に刺激が緩やかになるよう、重い目蓋を開いた。針のような雨の中心にぼんやりしたものが浮かび上がる。モノクロで凹凸のある仮面。目の位置に空いた穴の先から微かな体温を感じる。


「ここは風の通り道です。横殴りの雨が吹き付け、体温を奪っていきますよ」

 仮面の中で音が反射して重低音になって出て来る。

「あなたは誰?」

 水滴の垂れる顔を持ち上げて仮面の方を向く。頭が痛む。

「私は……星の使いです。与えられていないので名前はまだありません。あなたは?」

「僕はハルって言います。故郷の友達を探しに来たんです」

 少年は時計を持って弱弱しく掲げる。掲げられた時計の隅には文字が刻まれている。”リングドール”。

「私の知らない名前です。この都市(ハーズ)を探して回るのは大変でしょう。冷たい人ばかりですから。私の家に暖炉があれば良いのですが、私には家すらありません。特に温めるものも持ち合わせていません。カイロも、ライターも。すぐに燃え尽きるマッチすら」

 仮面は黒い手袋をした手をひらひらさせた。その手に腕を掴まれると、握っていた拳が自然と開いていく。

「でも、不思議なものを持っています。傘のようなものです。熱は与えてくれませんが、寒さがどうでもよくなるのです」

 長い背丈を包むコートの内側から茶色い封筒が出て来る。封筒は真っ青な掌に載せられる。

「よい人生を」

 仮面が最後に発した言葉は雨音に吸い込まれていった。


 屋根に叩きつけられる音が一つ二つと強くなる。頭から顎へ顔に無数の水の跡ができる。時折真っ白に光って、轟音が響く。ジャケットをずらして背中の部分を頭に載せる。針に刺されるような冷たさを感じずに済む。封筒の中身はどうでも良かった。ただ震えの止まらないこの体を暖めてくれるものが欲しかった。


 水たまりが跳ねた。誰かが黒いブーツの見える距離まで近づいてくる。

「大丈夫ですか!?」

 植物が太陽の方を向くように、俯いていた顔を上げた。心地いい何かが自身の冷たい手に触れていた。

「その目……大丈夫ですか!? 冷たっ! 何もしてないと死んじゃいますよ!?」

 水に濡れた髪を優しく押しのけ、首元に細い腕が入り込んだ。震える喉元が柔らかい温度に同調していく。ぼやけていた世界がくっきりと映る。スーツに身をつつんだ少女は目がギュッと閉じ、掌が少年の首に包み当てられていた。


 少年は驚いてガクッと震えると、目を大きく開いた。

「良かった~! 生きてた~!」

 少女はにっこりと微笑み、首のさらに奥に掌を伸ばした。じんわりとした熱が急速に広がっていく。突然のことに戸惑いつつも、僅かに生気の戻った目で感謝を伝えた。

「あ、ありがとう。温めてくれて。でも、もういいよ」

「あれ、そうですか。まだ冷えてそうですよ」

 少年は冷たさの乗った手を喉から引きはがした。


「君、名前は?」

「ハル」

「一人で家まで帰れる?」

「…………」

「あー、もしかして、家出? じゃなかったら、迷子? 一人なの?」

「……今日、この街に、来て」

 まだ震えている唇で所々止まりながら答えた。

「僕は、人を探していて」

「どんな人?」

「この人」

 古びた時計を少女に見せた。

「名前だけ? それにもしかして君、文字が」

 言いかけた所で少女は口を閉じ、言い直した。

「あーううん、”リングドール”さんだね。私は知らないけど、調べれば分かるかも。それより」

 少女の着ていたスーツの上着が背中に被せられた。少年はその行動と上着の暖かさに驚いて丸くて黒い二つの目を見つめた。

「まだ寒そうだもん。これ暖かいからしばらく着ていて」

 服の端を持ってギュッと握り、肩をすぼめた。

「……ありがとう」

「お安い御用! 歩けるようになったら言ってくれる? 調査のプロに聞いてみるからさ。それと、私のことはサニーって呼んで」


* * *

***********2025.05.17

「サニーはどうして」

 この言葉から始まる疑問をハルはサニーに投げかけた。どうしてスーツを着ているのか。どうして体温が高いのか。どうして自分を見つけたのか。どうして自分に触れたのか。そのどれもが芯となるものでは無かった。どうして他人を助けようと思えるのかは聞けなかった。


 サニーは突然大きな声を上げ、箱をハルの手から奪った。

「これはダメです! ヤバいやつです! 何で持ってるんですか!?」

「たしか、仮面を付けた人がくれたんだった……かな?」

「ホントですか? これ超危険なものだって研究所内で聞いてますよ! とりあえず動かないでください。こんなものは燃やしてしまいます」

 ハルはサニーの手から箱を取ろうとした。

「……そんな燃やさなくても」


「いや、燃やします。排除できるときに排除すべきです!」

「いや、でも……これをくれた人は悪い人じゃなかった……気がする」

「人の好さと物事の良さは同じ定規で測れないんですよ!」


 サニーが非常に強くハルの手から引き剥がそうとして、ケース一つが遠くへ飛んでいってしまった。

「んんーーーーー! いいですか、絶対それを飲もうとしないでくださいね!!」

 サニーはケースを取りに走った。ケースを前に、取ろうとしゃがむと。別の手もケースを掴んでいた。どこにでもいるようなスーツに眼鏡の男性。しかし、瞳孔が開いて狂気に染まった瞳が特徴的だ。

「すみません。手を放してもらえますか。これは危険物ですので、研究所が処理します」

「…………!」

 男はケースを分捕ると、逃げようとした。

「研究所が処理すると言っているんですよ! 待ってくださ」

 背を向けた男の襟をとっさに掴んだサニーだったが、男の想像以上の力にサニーの方が引っ張られた。男はサニーを引きずったまま複雑な道を通り抜けていった。


* * *


 ハルは動揺してあたふたしていた。しかし何をすべきか、何もできない、助けを必要としているかも分からない、何の力もない、と考えていた。それでもただ行かなければならないというような気がしていた。揺れる視線に赤いものが映ったから。血の跡だった。


 決心したような顔つきで血の跡を追って、水の流れる場所に来た。小さなランプしか灯りがなく、暗い。そして鉄っぽい匂いが強く鼻を通り抜ける。先の空間からは鋭い金属音が響く。ハルは音を立てないようにゆっくりと近づいた。そして背を低くして壁に手を当て、音のする方を見た。


 サニーが倒れている。手足からは強く引きずられたせいで血が流れている。その上にさっきの男が乗っている。男の手にギラギラと光るものがある。男はかなり興奮しているようで、息が荒い。

「待ってください! 正気になって! 今からでも治療を受ければ元に戻れます! 落ち着いて、ナイフを下ろしてください!」

 男は水が流れる脇の溝に眼鏡を捨てると、歯ぎしりをした。

「違うんだよ。俺は治療するとこねえんだよ。ただ薬がもっといるんだよ。なのにあんた捨てちまった。もう俺はあの狭い管を通れねえ。拾える保証がねえ。だからあの仮面にもう一度会わないといけなくなった」

「あの薬一粒でだいぶ楽になる予定だったのに。楽になれなかった! このいかれそうな感情をどこに吐き出せばいいと思う?」

 男はナイフを振り回した。

「どこって、治療できるって言って」

「てめえのせいなんだよ!!!」

 サニーの腕にナイフが小さな傷を作る。

「自慢じゃないが、あんたで三人目だよ。研究所職員ってのは従順な犬みてえに同じことしか繰り返さないんだな! 刃物で刺されても必死に耐えて手を放さないってあたりが特に似てるぜ! よく訓練された犬にな!!」


 ナイフが振り下ろされる度に、うめき声が発せられる。ハルはそっと頭を抱えた。動悸が止まらない。

「一人目は血が出すぎて終わって、二人目は気絶してるうちに終わっちまった。だから今回はいいとこどりで同じ傷を何度も何度も広げていく方針にしてみようと思うんだ。そうすればいい感じにハイブリッドになると思わないか?」

 サニーはここでようやく口を閉じた。恐怖で開けなくなっていた。

「良い目だ! その目! ようやく自分の行為の愚かさに気付いた目! 気分爽快の一歩前だ! 薬もありゃ文句なく気分爽快だったけど!!」


 ハルは絶望した。目の前で人が死ぬかもしれない。足はすくんで動かない。ただ悲鳴が響く空間で何もできない。


* * *


 ふとハルの頭に浮かんだのは友達のことだった。自分の今の状況と過去を重ね合わせていた。逃げようとも思った。しかし、時計の針が進む音が聞こえた。

「でも……助けないと……!」

 小さく呟いた彼はジャケットを脱いだ。自分の上着は腕の部分を強く腰に巻き付けた。サニーから渡されたジャケットなら材質がしっかりしているから、これでナイフを持った腕を包んでしまい、力いっぱい押せばなんとかなるかもしれない。なんとかしないといけない。


 そういった思考の外にあったものが地面に落ちた。例の薬だった。震える手で箱を拾って箱の内側に気付いた。箱の内側には文字が書かれていた。


”人生を変えるチャンス! 一粒で内外のあらゆる病も不具合も取り除く! 二粒で他人と差をつける新たな能力を! 三粒で全く新しい完璧な自分へ!(効果は必ず保証されるものではありません)”


 その文字を見た瞬間、引き寄せられるように錠剤を取り出した。しばらく凝視した後、二つのケースを開け、唾液だけで飲み込んだ。効果はすぐに現れた。体の調子が良い。そして、力が溢れてくる。自信もかつてないほど湧き上がってくる。

 これならいける、確信した彼はジャケットを持って走り出した。


 ナイフを持った腕にジャケットを巻き付けようとしたとき、男はそれより素早い動作でかわし、ハルの腕を掴んだ。

「なんだよ。……お前も研究所のやつか。じゃあ死ね!」

 ナイフはハルの腕に突き刺さった。

「あッ!」

 急速に衣服に血が滲んでいく。

「血行がいいんだな。ドバドバ出るじゃあないか」

 痛がるハルを見て、サニーが動いた。

「君には多分無理だから。私は大丈夫だから、逃げて」

 男の足を掴むサニーに手が震えているのを見ると、逃げられなかった。

「逃げたくない、いや、助けたい!!」

 男はサニーの手を払いのけ、ため息をついた。

「逃げないなら嬉しいねぇ。お前が四人目だよ」

 ハルの首元に向けたナイフの軌道。それに合わせてジャケットをぐるぐる巻きにした左腕で押さえようとする。

 しかしナイフはそれを貫通し、さらに血が出る。ハルは歯を食いしばって痛みをこらえ、男の顔まで持っていってパンチした。

「あーすごい。すごい痛い」

 男はハルの手をどかし、歯を見せて笑う。


「あー……じゃあ、すげえ痛くなれ!!!!!」

 ハルは左腕を思いっきり振りかぶった。

 先にジャケットが裂けた。そして、ナイフが砕けた。そして、男の腕が飛び散った。

 ハルの腕は無事だった。ハルの腕は変化していた。刃の形になり、赤黒く脈打っていた。鋭くて硬いそれは男の腕を鮮烈に切り裂いていた!

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