8話 王家の魔女ハク
野営が続くが、心配したマットの体調に悪化はなかった。
あるとき王子に誘われて、狩りにつき合った。隊の食料は購入するものもあるが、狩りでまかなうことも多い。王子を始め、名人が勢ぞろいしている。
彼は鳥を仕留め、嬉しそうに笑った。
「君もやってみるか?」
「ええ」
狩りは好きだ。領地でもよく行っていた。今と同じ遊びではなく、必要のための狩りだった。
彼から受け取った弓を持つ。獲物を探し、目が辺りをさまよう。そのときだ。いつか見たものが目の端に見えた。
「え」
「どうした?」
「変なものが見えたの」
「何だ?」
白い布のようなものだ。女性のドレスの裾のような。それをわたしは数日前に砦で見ていた。王子と可憐な姿の女性が寄り添って歩くときに。
ここは夕暮れの森だ。どうしてこんなところに女性の姿が。
「ドレスの裾みたいな白いものが…」
再びそれが視界をかすめた。それと同時に、どさりと足もとに何かが落とされた。矢で射抜かれた鳥の身体だった。きっと王子がさっき射止めたものだ。
周囲には距離を取って狩りを行う兵も多い。しかし、こんな悪ふざけを王子に仕掛ける者は絶対にいない。
得体の知れないものの気配に怖くなった。知らず、王子の腕を取った。
「ハク。お前だろう」
王子は森の奥へ怒鳴った。
ハク?
グラスが触れ合うような美しい笑い声が返って来る。
一瞬の間で、目の前に白いドレスの女性が現れた。銀色の髪の美しい人だった。少女と言っていいほど愛らしい。
ハクと呼ばれた彼女は、王子ではなくわたしへ目を当てる。検分するようにじっくりと眺めた。
目が合う。
「美しい目をしている娘だね」
自分より幾つも若そうな女性にそう言われても、なぜか違和感がなかった。両の色が違うわたしの目を美しいとほめてくれたのは、産みの母だけだった。
「ここで何をしている?」
「お前がこの女に会わせると言ったから、待っていた」
アリヴェル王子に対してお前などと呼ばわる人間はいない。許されるのは、きっと彼の家族のみのはず。
二人の関係がわからず、わたしは王子と女性とを見比べた。一時、彼女を王子の夜伽の相手かと疑ったことがある。けれど、そうではないのはもう確かだ。
「誰?」
「ハクは魔女だ。王家所有の」
「魔女なんて、今時いるの?」
自分自身が魔女と継母から侮蔑を受けて育ったが、それは醜く邪悪な者という意味の比喩だ。当世、魔法使いや魔女などおとぎ話の中でしか聞かない。
占い師や呪術師などと名を変えて存在はしているが、金持ちをだますだけのペテン師だらけだ。
「本物は王家の所有する魔女だけだ」
その一人が目の前の女性、ハクだという。
「僕は、ハクの魔術のせいで子供になった。ドラゴンに会わせてやると言われて、だまされたんだ」
そうだ。王子は魔法に失敗して子供になったと言っていた。あれはこの魔女のハクが原因なのか。
信じ難いことだらけで混乱する。
「馬鹿を言え。わしの魔術は失敗などない」
「ふざけるな。お前のせいで僕は死にかけたぞ」
嫌らしくハクは笑う。そのすぐ後に白いドレスが消え、黒ずくめの老婆に姿を変えた。あまりのことに、わたしは短い悲鳴を上げた。
彼が肩を抱いてくれる。
「ダーシー、大丈夫だ。僕がいる。魔女は王家の者に絶対に敵わない。だから服従させ、所有できている」
力強い王子の言葉に、納得した。それが、ターリオン王家がドラゴンの末裔と言われるゆえんなのかもしれない。
「ドラゴンは使命を終えて消えた。絶えたのではなく、その魂を分けて消えた。お前が抱いている女こそ、ドラゴンじゃないか」
「え」
「アリヴェル、お前だってすぐに気づいたはずだ。知っていただろう」
王子が絶句した。
背後でウィルの声がする。
ほんのわずかそちらに意識をやった隙に、老婆の姿は消えていた。
王子はわたしを放し、地面の鳥を取り上げた。矢を抜き、背の矢筒に戻す。黙ったままだ。
彼の仕草は、まるで長い夢から覚めたみたいだった。
ハクとの邂逅後、旅が苦痛になった。
王子は普通に接してくれる。しかし、目が合わなくなった。視線を感じて彼を見ると、ついっと逸らされてしまう。
それは大きな変化で、わたしの心をぐしゃぐしゃとかき乱した。さんざん強引に迫られてきて、いきなり突き放される。
彼の中でわたしへの何かがすっぱりと切れたのだろう。理由は彼にしかわからない。もしかしたらハクの魔法が効いていて、それが遅れて解かれたのではないのかとも思う。
ああ、終わったのだな、と潔く自覚はしても、辛かった。惨めだった。面倒なお荷物になる前に、彼の前から消えたい。そればかりを思った。
明日には領地へ着くという晩。最後の夜だ。
ウィルには前もって礼を言った。マットのこと以外でも彼には随分と助けられた。もう会うことはないだろうが。
しかし返しに、
「郷里への行き帰り、ぜひ近くご領地へお邪魔したい」
と熱を込めて言われるから驚いた。タタンは単なる田舎で、取り立ての魅力もない。わたしと親交を結んだ覚えもないから、お目当てはマットのようだ。
睦まじい雰囲気の二人を見て、そういう恋愛もあるのかと目からうろこが落ちた。マットが幸せなら嬉しい。
「マットはウィルが亡くした弟によく似ているんだ」
とは王子の言葉だ。
彼にも礼を言わないと。
「ありがとうございました。おかげで無事に領地に着けます」
王子の一行はわたしをタタンへ送った後で、そのまま東征を続ける。国を縦断したのち、また国境を視察しながらの旅だ。
「お元気でお過ごし下さい」
彼は前を向いたまま、隣りのわたしへ目を向けず返事をくれなかった。
輝かしい第二王子と魔女と蔑まれて捨てられた令嬢。元々が重なるはずのない運命だ。何を夢見ていたのだろう。
馬鹿みたい。
彼の前で泣かなかったのは、自分でもほめてあげたい。
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