7話 砦城にて
マットが熱を出した。一時高熱になり心配したが、すぐに平熱に戻った。身体はだるいらしく、まだ横になったままだ。
ウィルが手配してくれて、侍医も呼ばれていた。
マットの体調もあって、砦にもう三日滞在していた。ウィルが無理はさせられないと王子に告げ、彼も出発の日延べを了承していた。
「明日には動けます」
マットは申し訳なさそうに言うが、決して無理はしてほしくない。行程の半分ほども来た。ここからは王子の隊とは別れ、二人だけでも構わないのだ。
「だから、ゆっくりしてちょうだいね」
横になっているだけのマットの退屈のしのぎに、コレットのことを話した。彼だって領地でコレットと接している。
使用人たちにも説明したが、笑って誰も信じてなどくれなかった。マットもその一人だったはずだが...。
彼は神妙な顔を見せた。
「ウィルさんも言っていました。アリヴェル殿下が消えて随分探し回ったと。その期間が、コレットが館に現れた時期とちょうど重なるのですよ。あんな忠実な人が、王子様に関しておかしな発言をするとは思えません」
「信じてくれる?」
「完全にとは。ですが、そうであるなら、王子様がお嬢様を婚約者にと執心なさる理由も腑に落ちます」
「え」
マットはくすりと笑う。そんな表情をすると線の細い可憐な少年に見えた。
「しゃべれず汚れて、誰もが見捨てたコレットを、お嬢様だけが救い上げたのです。周囲から見ても、ご自分の子に対するようでしたよ。コレットが王子様であるなら、お嬢様に恩は感じられるし、愛情だって芽生えておかしくないですよ」
「恩はともかく、愛情?」
「王都の令嬢に飽きた王子様の気まぐれの執着かと思っていましたが、根拠がそれなら至極納得できます」
「でも…」
それきり言葉を発しないわたしに、マットが首を傾げた。
「ううん、いいの。よく休んで」
部屋を出て、あてもなく砦を歩いた。王子たちは砦と国境周辺の調査の任務がある。
さっきのマットの言葉がまだ頭に残っている。コレットだった王子ならわたしへ「愛情だって芽生えておかしくない」と。
でも、王子が口にするのは「責任を取る」ばかりだ。優しさは感じるし、思いやりもあるだろう。守られている実感もある。
ふと気づいた。わたしが彼の求婚に二の足を踏んでしまうのは、愛情の言葉がないからだ。
責任感や義務感だけでなく、わたしを求めているという事実がほしい。
そんなことで女らしい気持ちを満たそうなんて、自分はなんて贅沢なのだろうと思う。
夕刻、王子一行が戻って来た。
わたしはそれを砦の物見台から知った。彼の姿はとても目立つ。きれいな金髪をしているし、マントをなびかせる姿はすらりと伸びてひどく颯爽としている。
その王子が誰かを自分の愛馬に乗せていることに驚いた。小さくなよやかな身体つきで女性なのがすぐにわかる。
先に下馬した彼が、女性を抱えるように下ろしてあげている。優し気な仕草に、目が吸いついた。
誰なのだろう。
夕食の席にもあの女性はいなかった。王子にたずねるのは何となくためらわれて、少し胸がもやもやとした。
こんな殺風景な国境の砦に、あんなか弱そうな女性が何の用があって訪れたのだろう。
ふと、嫌なことを思いついて、頭を振った。王子の夜のお相手を務める女性なのではないかと考えてしまった。
まさか、とは思う。
婚約者だと頑なに言い張る王子が、当のわたしの側で夜伽の女性をはべらせるなどあり得ない。
そう否定はするが、彼は育ちも貴い王子だ。考えも発想もちょっと変わっているのかもしれない。冷酷だという噂もあるのだし。
気持ちがさっぱりしない。
マットの様子を見舞うと、彼はウィルと親し気に話し込んでいた。気が合うようで、よく二人でいる場を見る気がした。
わたしが入ることで、せっかくの会話を途切れさせてしまう気がした。それですぐに離れた。
夜風にあたろうと、屋上に上がった。明かりの火が焚かれ、交代で見張りの兵も立つ。
星明りを眺めていて、白いものが視界をよぎった。目をやるとそれは女性のドレスで、王子が伴ったあの女性のように見える。そして、その隣りに当たり前のように彼の姿があった。二人は話しながら付近を歩いている。
ふと、気分が落ちるのを感じた。目にしなくていいものを見てしまった気がした。
翌日はマットの体調もいいようで、出立が決まった。
早々と騎乗し、王子は晴れ晴れとした表情をしている。夕べ、あの女性で旅の気晴らしが出来たのかもしれない。
そんなことを勘繰る自分も嫌で、彼から離れた。
ウィルの側に行き、別行動を申し出た。
「わたしたちは遅れて出てもいいですか? ゆっくり進んだ方がマットの身体にもいいから」
それにウィルは眉根を寄せた。やや首を振る。
「彼に何かあれば、ダーシー様お一人では手に余るかと。また、安全上もお勧めできません」
「でも、王都行きも二人だったのだし、大丈夫です」
「その無理がたたって、マットは倒れたのでは?」
そう言われれば、返しようがない。
「お任せ下さい。マットの体調のことはわたしが十分に配慮したしますので」
力のこもった目で見つめ返される。言外の有無を言わさぬ圧力がすごい。
「…わかりました。お願いします」
再び旅が始まった。
出立してすぐ、本来は隊の中ほどにいる王子が、後続に着くわたしのそばにきた。怖いくらいに寄せるから、はらはらした。彼にとっては何てことのない技術なのだろうけれど。
「ウィルに何を叱られていた?」
「叱られてなんていません」
「しょんぼりと引き下がったじゃないか」
「別行動をしようと提案したら、よくないと言われたの!」
「なぜ?」
彼がじろりとにらむ気配がした。見なくてもわかる。
「危ないからだめだって!」
「そうじゃない。なぜ隊から離れたいんだ?」
マットの体調を考えたゆっくりとした旅にしたい。そう言いかけて止めた。理由の一つだが、一番大きなものではないと気づいたからだ。
女性の影を感じさせる王子から離れたい。
なのに、口から出るのは違う言葉だ。
「あなたたちに迷惑だと思ったの!」
「僕は君がいて楽しい」
王子はそう言い、また馬を進ませて元の位置に戻って行った。
彼の言葉で心のもやもやが少しだけ晴れた。
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