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5話 アリヴェル王子の責任


むっつりとした表情で、


「けがはそれだけか?」


と聞く。うなずくと、彼は自分のシャツのタイを解くと、それでわたしのひじを巻いてくれた。


「…ありがとうございます」


彼の背後にはいつか見た、威圧感のすごい近衛兵もいる。確か、ウィルとかいった。


気配もなかった。いつの間にか彼は男の背後に回り、剣を抜いていた。


どうして王子はここにいるのだろう。


「なぜ黙って帰った?」

「え。だって、あなたがいるのかも知らないのに」

「僕がいない会に、なぜ君を呼ぶ」


それは、コレットの件のお礼でしょう。ハイミスのわたしに素敵なドレスと王宮晩餐会の貴重な雰囲気を味合わせてあげるためだ。


王子はまだ機嫌を損ねた顔をして、ぼやく。


「母上に君を紹介すするつもりでいたのに」

「そこまでしてくれなくても」


「君が消えるから、母上は僕が婚約するのは冗談だと思い込んでしまわれたじゃないか」

「婚約?」


「そう婚約だ。だいたい君は、僕の婚約者であることの自覚がないのか。レディが夜道を一人でふらふらと」


わたしがアリヴェル王子の婚約者?!


いつ、彼に求婚などされた?!


まじまじと彼の表情を見つめた。怒りが引いたのか、彼は視線を甘く流し、つぶやくように言った。


「よく似合っている。きれいだ」


柔らかなまなざしの彼からそんな言葉をもらうと、胸がどきどきと鳴る。


「…それはどうも。あの、婚約って一体、どういう…」

「忘れたのか。責任を取ると言ったじゃないか」


驚きのあまり、息が止まった。


確かに、領地での別れ際、王子はそう言った。「責任を取る」と。それをわたしは、晩餐会への招待やドレスや首飾りなどだと受け取った。


結婚?!


「そんな、一言も説明が...」

「何の説明が要る? 男が取る責任など二つしかない。決闘か結婚だ」

「わたしは、結婚を申し込まれた意識がありません」


王子はちょっと鋭い目をした。すりむいていない方の腕を取り、引き寄せるようにつかんだ。


「乙女が男に肌を許しておいて、結婚の意識がない? 同衾しておいて。君の倫理観がそんなにふしだらだったとは、がっかりだ」


「ふしだらって…。わたしは肌を許してなんていません」

「僕は君の…に、触れたんだぞ。直に何度も」


「あなたはあのとき子供だった。だから、もういいんです」

「中身は子供じゃなかったと言っただろう。僕が好きで犯した罪だ。だから責任を取るべきなんだ」


責任責任と連呼され、頭にも来る。結婚の名の責任を取ってすっきりするのは、第二王子の彼の矜持と罪悪感からだ。そこにわたしの存在はない。


そんな勝手な理屈を押し付けられたくなかった。


「責任感から結婚を迫るのは、あなたの身勝手です。当の本人がもういいと言っているのに…。わたしのことはもう忘れて下さい。明日にも領地へ戻りますから」


つかまれた腕にぎゅっと力を感じた。


そこで、わたしたちの間に割って入る者があった。彼の近衛兵のウィルだ。


「殿下、ダーシー嬢はお疲れのように見えます。ここは一旦引かれて」

「え」


彼が肩を抱くように、王子をわたしから離した。王子は白いドレスシャツに剣のみ。音楽会の場からそのまま飛び出してきたような姿だった。


急いで来てくれたのがわかる。髪の筋が触れる横顔が、傷ついたように見えたのが気にかかった。


拒絶されたことなど、これまでなかったのかもしれない。ずっと日の当たる場所を歩いて来た人だもの。


ほどなくウィルが手配したのか、馬車がやって来た。わたしはそれに乗るよう促され、帰宅することになった。そのまま王子とは別れた。



邸に帰って、自室に下がった。


ひどく疲れた。寝台に仰向けに寝転んだ。早く休んで、明日は日の高くならないうちにタタンへ帰ろう。

王都にいたって、意味がない。


衣装を解こうと起き上がったとき、人の気配を感じた。薄暗い部屋に廊下からの明かりが入り、その人物を照らした。


男だった。


「誰?」


ひょろりとした人物で、素早くわたしの側にやって来た。風体から貴族だとわかる。中年と言っていい年頃に見えた。


きっと継母がわたしの結婚相手に用意したという甥だ。わたしがきっぱり断わったので、事後承諾させようと寝室に送り込んできたのだ。


「叔母上にはお許しをいただいております。せっかくの月夜。一緒に過ごそうと…」


やっぱり。


男は言葉を終えないまま、寝台にすっと腰かけた。その仕草がぬるぬると気味が悪い。メイドの寝所にもしょっちゅう潜り込んでいるような手慣れた感じだ。


「ダーシーさん、実に美しい。叔母上のお話とは違い、花のような可憐な乙女ではないですか」


男の言葉に、ぞっと肌が泡立った。


「出て行って」


わたしは飾りの壺を抱え、頭上にかざした。振り落とす仕草を見せる。


それにもひるまずににじり寄って来るから、足でひざを蹴り、とどめに床に壺を叩きつけた。派手な音がして、陶器の壺が割れる。


さすがの男も顔色を変えた。


「何たる無礼。こんな暴れ馬はこっちこそお断りだ」


憤然と男が出て行った。扉に錠を掛け、床に座り込んだ。


何となく泣きたくなった。


なぜこんな目に遭うのだろう。この邸の生活費の大部分は、わたしが切り盛りする領地の儲けでまかなっている。本来は備えの為にもっと蓄えたいのに、高額の運上金を滞りなく届けてきた。


ただ贅沢し、叶わない夢を娘に語り続けているだけの継母に、どうしてこんな仕打ちを受けなくてはならないのか。


実母の形見も奪われた。家庭を追われ、貴族令嬢らしい青春もなかった。


それらに一度も逆らうことなどなかったのに。


こんな場所は嫌。


帰ろう。自分のいるべきところへ。


にじむ悔し涙をぬぐいながら、衣装を解いた。きれいなドレスは寝台の上で輝いている。過ぎた青春の精華のようなそれを眺めながら、ガウンを身体に巻き付けた。


と、そこでこんこんと窓を叩くような音がした。窓の外はテラスになっている。鳥でも来たのか、と目を向けた。薄いレースのカーテンの向こうに人の姿がある。もっと目を凝らせば、それがアリヴェル王子だとわかる。


どうして、ここに?


留め金を外した。掃き出し窓が奥へ開き、彼と直に対面する。


彼はわたしの手に、ドレスと共に贈ってくれた首飾りを落とした。高価すぎて返したものだった。


「忘れ物だ」

「いただけません。こんな高価な...」

「僕がいいと言っているんだ。素直に受け取ってくれ。君に返された方がつらい」


その言葉は切実で、反論の声が出なかった。好意でくれたものだ。突っ返されては彼の立場では格好もつかないし、嫌な気持ちだろう。


わたしは礼を言って受け取った。


「これを届けに? 使いでもいいのに」

「…さっきは、悪かった。レディに強引過ぎると、ウィルにも小言をもらった」


「いえ、わたしも。助けてくれたのに、お礼も言わなかった。ごめんなさい」

「泣いているのか?」

「ああ、これは…」


彼がわたしの頬を両手で挟む。注がれる視線が何だかまばゆくて、わたしは目を逸らした。さっきの継母の甥との顛末をそのごまかしのように話した。


「それで腹が立って、悔しくて…」


王子はむっつりと黙ってしまった。こんな打ち明け話など、面白くないに決まっている。わたしも口をつぐんだ。


「ダーシー」

「はい」

「くどいかもしれないが、僕との婚約はそれほど嫌か?」


そういう問われ方をされれば、以前のような反感も起きてこない。責任のため仕方なく、という名分が外れたら、彼からの求婚は王国の全乙女たちの憧れの夢だ。


わたしだって、ときめかないわけがない。


「嫌だなんて、そんな…」

「嫌ではないのか?」


「でも、わたしはあなたにはふさわしくないです。令嬢らしい育ちをしていないし…。年も二十二の行かず後家で…」


「何がいけない? 僕の母上は三十八才で王妃になられ、四十三歳のときに生まれたのが僕だ。君の言葉は自分自身と一緒に僕の母上も貶めているのだぞ」


「そんな意味では...。責任を感じて下るのはありがたいです。でも、あなたが重く思うほど大したことでは…」

「男が乙女の胸を揉むのが大したことでなかったら、何なんだ」


「何度か胸を揉まれたら、女は傷ものなのですか? 揉んだ相手に絶対に結婚してもらわないと、世間に顔向けできなくなるのですか?」


「僕は揉んだだけじゃないぞ、吸ったし、君の裸だって見た。それでもまだ他の男がいいのか」

「いつそんなことを…。他の男なんてほしがっていません!」

「なら、僕でいいじゃないか」


そこで、小さな声が庭から聞こえた。低く彼を呼ぶ声だ。下に護衛の兵がいるのだろう。


王子はちらりと背後に目をやってから、手で下へ何か合図をした。


「僕は明日からまた視察の旅に出ることになる。一緒に来ないか? タタンの地まで送ろう」


百人の近衛隊を引き連れるという。王都へ向かう際の供はマットのみで、心細かった。場所によっては強盗の噂も聞くから。王子の隊に紛れ込めるのなら、確かに安全は保障される。


「野営も多い。それでもいいか?」

「ええ、大丈夫です」

「なら、明日迎えに来る」


不意に彼の手がわたしの頭の後ろに回った。引き寄せられて、あ、と言う間もなく唇が重なる。

少し続いて、離れる。


「僕が嫌ではないか?」

「え、それは…、はい」

「なら、いい」


少し彼は笑ったように思う。テラスから身軽に庭へ降りて行った。


お読み下さりまことにありがとうございます。

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