19話 子爵夫妻と小さなドラゴン
気持ちのいい日で、わたしは外を駆けていた。
草原を抜け、街道寄りのところで脚を緩めた。あまり遠くへ行き過ぎては、後を追う王子が手間取る。彼は所用でまだ城にいた。
馬車を見かけた。こちらへ向かってくる。貴族が乗る豪華なものだ。馬車が近づき、わたしの側で止まった。
御者がたずねる。
「ルヴェラのお城にアリヴェル王子様はお帰りか?」
騎馬のため、シャツにズボンの姿だ。今は髪も短く、まるきり村の少年にも見えたのだろう。
「ええ、お帰りよ」
そこで、馬車の窓を開ける音がした。そこから扇子がのぞき、女性の顔が少し現れた。わたしより、相手が先に反応した。
「あなた、ダーシー?」
名を呼ばれ、相手の顔をよく見た。それは義姉のセアラだった。久しぶりに会う。
「ええ、セアラ。会いに来てくれたの?」
タタンへは、ジュードの使いで呼びだしを受けたが、行けないと手紙は送ってあった。セアラとは仲は良くなかった上、今は鉱山開発の件での誤解もある。それを解くためいつでも会うから、ルヴェラへ来てほしいとも書いた。
わたしは下馬した。
馬車を降りたのはセアラではなく、男性だった。いつか見た継母の甥で、セアラの夫となり父の後の子爵位を継いだ人物だった。旅でも、貴族らしいコートを重ねた豪奢ななりをしている。
彼はわたしの側に来ると、値踏みするような目で眺めた。嫌らしい視線で、この彼に夜這いをかけられそうになったことを思い出す。
ふんと、息荒く話し始める。
「お前は一体何のつもりで、繰り返し当主に刃向かうのか? いつまでもわたしが非礼を許すと思うな」
お前呼ばわりに驚いた。
子爵は固めた髪の筋を指でさらりと払った。
「アリヴェル様のお名を出せば、まさか直轄領に会いに来ることはあるまいと踏んだのだろう。愚かな。貴族であるからには、正当な権利は王家のご領地といえど、行使させていただく」
相変わらず話が通じなさそうで萎えるが、言うべきことは言わないと。
「タタンから動かしたお金のことを言っているのなら、あれは王子様がご厚意でお貸し下さったものなの。だからお返しただけのこと」
「おかしいではないか。なぜアリヴェル様が大金をお前にご貸与下さる?」
「だからご厚意よ」
「どのようなご厚意だ? お前も使用人どもも話が通じない。そんなことがあるはずがないではないか」
継母が形づくった子爵家には、わたしへの抜きがたい侮りと差別がある。犬がしゃべることがないように、わたしが身分を上げることなどあってはいけないのだ。
その継母のわたしへの女らしい嫌悪感はまだ理解できる。
けれども、目の前の新たな子爵は、きっかけがあっても継母仕込みの認識を変えることもない。今回の鉱山採掘の件も含めた領地経営のずさんさにも通じる、愚鈍なほどの怠惰さだ。
「証人もいるわ。王子様の近衛隊隊長よ。その人からも話を聞いて」
「その者に身を売ったのだろう。...見苦しい髪をして。行き遅れの売女が! 以後は子爵家との絶縁を申し渡す。出自に我が家名を使用することを禁じる」
「身を落とすようなことは決してしていないわ」
「今もルヴェラにいるのは、囲われ者になっているからに決まっている。その者がアリヴェル様のお名を騙り、タタンの金を盗む知恵を授けたのだな」
ウィルは王子に忠誠を誓う清廉な人物だ。その彼を侮辱されたのも腹が立つ。もう何を言っても無駄だと観念した。見えている景色が違う。
わたしは手の鞭をしならせた。子爵の足元を狙って打つ。当てはしない。鞭に怯んだ子爵に詰め寄った。
にらみつける。瞳の奥がなぜだか熱い。
「帰りなさい。これより先に進むことを許さない」
子爵が顔を歪ませる。
「ひぃっ、あ、わわっ、ああっ、ああ…、ああ!」
言葉にならない声がもれた。何を言っているのか。
と、髪に何かを感じ、手をやった。何かが触れる。その手に乗ったのは、半透明の小さなドラゴンだった。
先日、地下の卵から孵ったあの不思議なドラゴンだろうか。ドラゴンは子爵に向け、白い炎を吐いた。
「ば、化け物が…!」
彼は尻餅をつき、這いずるように馬車へ逃げる。子爵にもドラゴンが見えたのだ。
わたしはその背に、怒鳴りつけた。
「二度とルヴェラには来ないで。次はないから!」
御者に支えられ、子爵が乗り込む。すぐに元来た道へ向け走り出した。
ドラゴンは消えていた。
ハクの言葉通り、小さなドラゴンは確かにわたしを守ってくれた。
怖さはなかった。懸命に炎を吐く姿が愛らしいほどだ。以前王子と共に見たときは、炎は身体と同じ色をしていた。怒ると炎は白くなるのかもしれない。
ちょっとぼうぜんとなる。
ほどなく馬の駆ける音が聞こえた。目をやれば、王子の姿が見える。
「アリヴェル!」
手を振った。
側に来た彼が、馬車の去った方を眺めて、目に手をかざしている。わたしに教えてくれる約束の弓を肩に担いでいた。
「何だった? 話していただろう?」
「タタンへの方角を聞かれたから、あちらだって言っただけ」
わたしは馬に乗りながら答えた。
小さなドラゴンが現れ、守ってくれたことは伝えたいが、その相手を告げなければならなくなる。彼を刺激しかねない。
王子なら馬車に追いつくのは容易い。しかも彼は弓を持っている。
この場を去りたかった。
「行きましょう。滝に連れて行ってくれるのでしょう?」
促すと彼も顔を戻した。
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