1話 拾った子供
「かごを投げてちょうだい。こっちにもたくさんあるの」
わたしは振り返り、馬をつないでいる使用人に声をかけた。返事の代わりにかごを投げてよこす。
飛んで来たかごを手に、草むらに身を屈めた。手でそっとかき分ける。おいしそうなキノコが群れて生えていた。
かごに半分も採ったとき、何かが目をかすめた。それは光を受け、きらりと輝いて見えた。
何だろう。
近づいてから息をのんだ。
そこにあったのは、子供の姿だった。美しい金髪の髪が日光にきらめいた。
幼い子供だった。男の子に見える。薄汚れた衣服を身に着け、青ざめた顔をして身を縮めていた。
顔に手をかざす。息を感じた。生きている。
「ジュード。こっちへ来て。早く」
わたしは使用人を呼んだ。勢い込んだ声に、彼も急ぎ足でやって来る。
「これは、お嬢様...」
男の子を認めたジュードが絶句する。
「生きているの。長くここに置いておいては危ないわ。連れて帰りましょう」
昼はのどかな草原も、夜が来れば狼が獲物を狙いうろつく。この子はいつからいたのか。よくその餌食にならなかったと、神に感謝したいような気持になる。
ジュードが子供を抱えた。そこで意識が戻ったようで、子供は声にならないうめき声をもらした。
「しゃべれないようですね」
「ええ」
小さな身体で懸命にジュードに抗う様子が痛々しい。怖いのだ。知らない大きな男に抱えられて。わたしは子供を引き受けることにした。
きつい目をわたしに向けていた。やせた身体をジュードから抱き取ると、その目から涙があふれて来た。
わたしは子供を抱きしめ、ささやいた。
「大丈夫よ。今から食べ物のある温かく眠れる場所へ向かうから」
採れたキノコをジュードに任せ、わたしは子供を抱いて馬を駆る。
領地を少し回ってからの帰宅だったが、そうは言っていられない。
領主館に帰り着くと、すぐに家政婦のマリアを呼んだ。エプロンで手を拭きふき顔を見せた彼女は、わたしの抱く男の子に大声を出した。
「まあまあ、ダーシーお嬢様。キノコ狩りにいらしたのじゃないのですか」
「見つけたの。弱っているようよ。ご飯を食べさせたいの」
「先に身体を洗わないと、館に入れられませんよ」
裏庭に向かう。マリアにお湯とたらいを用意してもらう。子供は布を巻いて、麻ひものようなものを巻いて衣服にしていた。こんなものを身にまとう人間がいるのかと、今更に衝撃だ。
「わたくしがやりますよ」
マリアが手を出すと、子供はわたしの腕を取って背後に隠れた。
「いいわ。わたしがやるから。何かこの子が着られるようなものを出してくれない?」
「ありますかね、子供のものなんか」
マリアが下がり、わたしは子供に向き合う。衣服を取ると、やせた裸体がむき出しになる。男の子だけれど、幾つくらいだろう。見た目は四才ほどにも、もっと下にも見える。
シャボンで洗ってやりながら、話しかけた。
「わたしはダーシー。ねえ、あなたは何才?」
子供は少し迷う風にして、指を五本見せた。良かった。意志の疎通は出来そうだ。
「どこから来たの?」
それには首を振る。
いつしか背後にいたマリアが、
「しゃべれないので捨てられたのですかね。ひどいことをするものですよ」
ぼやくように言う。
そうであれば、確かにひどい仕打ちだ。胸が痛くなる。
わたし自身が家族に捨てられた娘だから、同じような目に遭った者には同情が強い。ただ、わたしは守ってくれる使用人もいたし、住む場所も与えられていた。
たとえ、魔女と呼ばれ忌み嫌われても。自分はまだまだ恵まれている。
ひきかえ、こんな幼く何も持たない子を放っておくなんて。
少し早いが、子供も身体を洗いさっぱりとしたので夕食にした。
採って来たキノコと鳥の煮込みに豆料理。そしてたっぷりのパン。領主館の台所は腕がいい。
それらをみんなで囲む。
主人席にはわたしが座るが、大テーブルには使用人みながそろう。貴族にこのような習慣はない。これはわたしがこちらにやって来て始めたものだった。
父とその後妻に家を追われ、僻地の領地にやって来たのは、わたしが十三才のときだ。修繕が進み、今は居心地のいい領主館も、その当時はひどく老朽化していた。それを、彼らと共に努力して直してきた。
風雨に荒れるときも、支え合って領地を守るのもこのみんなだ。
もう九年間。
王都の邸で暮らす実の家族より、わたしには領主館の彼らが近い存在だ。
その末席に、子供がいる。マリアがどこから調達してきたのか、ちゃんと子供用の衣服を着ている。
姿勢もいいし、フォークもちゃんと使えている。最低限のことは教育されてきたようだ。
「あの子をどうなさるおつもりです?」
ジュードだ。
マリアもこちらを見る。
「一応、迷子がいないか、方々の村には知らせておいてほしいの。領主館で預かっているから、と」
「はい。きっと、申し出る者はいないでしょうがね」
「捨てる気でなければ、あんな場所に放っておくわけがありません。狼に食われてくれと言っているようなものですよ」
「どこか、遠くからやって来て捨てて行ったのかも。むしろみたいなものを身体に巻いてありましたよ。近在の村じゃあ、あんなひどい暮らしをしている者はありませんから」
料理人のエリーの指摘に、苦い思いでわたしもうなずいた。
食事が済めば、銘々好きな時間を過ごす。仕事を残している者はそれをこなし、終われば余暇だ。
ジュードとマリアは夫婦なので、二人で散歩にでも出かけたようだ。元騎士のライナスは隅で剣の手入れをしている。
わたしは領地の管理官のマットの報告を受けた。
「今期の収穫も前年比を超えております。お嬢様の計画がようやく実を結びつつありますね」
「みんなが頑張ってくれたおかげよ」
わたしがこちらに父の名代としてやって来たときは、お世辞にも豊穣の土地柄とは言えなかった。大人の意見を聞き専門家も雇い、土壌の改良から初めていった。
鳴かず飛ばずの状態が数年続いたが、やっと成果も右肩上がりになって来た。そろそろ別な開墾を始める頃かもしれない。
「そして、ルビ山の調査結果ですが、貴青石の鉱脈があるのではとの知らせです」
「じゃあ、もっと人を入れて調査を進めて。少量でも現物が出れば、本格的に採掘しましょう。追って父にも知らせるから」
「はい」
領地経営など父には興味もないだろう。この領地だって、捨ててあったのも同然だ。そこに捨てる娘を押し付けた。
しかし、わたしの性に合っていた。
努力が目に見える成果となって表れてくれる。苦しいこともあるし、虚しさを感じることあるが、それでも、王都で夜会やパーティーにうつつを抜かしている暮らしより、よほど生きている実感が持てた。
継母に言いなりになった父、血のつながらない二人の姉と妹。彼らの方こそ、今は幻のように思えてくる。
夜更けに目が覚めて、子供の様子を見に起きた。
明かりを持ち、階下の部屋をのぞいた。大人用の寝台で身を丸めている。寒いのだろうか。熱でも出していないか、と顔をのぞいた。
静かに泣いていた。その様子に胸が痛くなる。
これからが不安なのか。今が怖いのか。
「一緒に来る?」
明かりにきらめいた子供の目が、わたしを見ている。
「お話してあげようか」
うなずく。
わたしは子供を連れ、自室へ戻った。
ごく軽い。抱えて寝台に寝かせた。隣りに横になる。子供が自分を指さし、手のひらを広げて見せた。その後でわたしを指さした。
「年齢かな? わたしは二十二才。父の代理でここの領主をしているの。心配しなくていいから。ここにずっといていいのよ」
子供はわたしの言葉に瞬きで返しているように見えた。
「自分の名前はわかる?」
首を振る。
名前がないのか。衝撃だった。どういう背景を持つ子なのだろう。どうであれ、過酷だったに違いない。
わたしは小さな彼を抱きしめてやりながら、聞いた。
「名前を決めていい? 呼ぶ時に困るでしょう」
ぱちりと瞬く。
どうしようか。少し迷って、コレットに決めた。
「コレットはどう?」
こくりとうなずく。
コレットはわたしの目をじっと見ている。左の方を。わたしは両の瞳の色が違う。右が薄いブルーで左は紫がかっている。珍しいが、困ることもなく、普通に育ってきた。
「不思議でしょう。色は違っても、普通に見えるのよ。でもね…」
この目の色が不気味だと、継母にはひどく嫌われた。彼女の昵懇の呪術師が、災いを呼ぶと告げたのが理由だが、そんなものは後付けに過ぎないと思う。単純に、先妻の娘が邪魔だっただけ。
小さなことを見つけて、わたしの目の色に絡めて父を説得した。「セアラの結婚に障ります」と。
セアラとは、彼女の連れ子の姉の方だ。わたしの一つ上になる。美人で、王宮の園遊会では同い年の王子様と踊ったのだと自慢されたことがある。
爵位はあっても富豪でもない我が家では、娘にかけられる費用に限りがあった。わたしが消えれば継母には都合がいい。
「それで十三才でここにやって来たの。でも、恨んでもいないの。というか、どうでもいいの」
コレットの目がぱちぱちっと続けて瞬いた。なぜ? と聞かれているように思えた。幼い子にはちょっと難しい話かと思ったが、理解できているようだ。聡明なたちなのかもしれない。
「始まりはどうであれ、ここの領主でいるのが性に合っているの。それに、王都での暮らしには何の未練も憧れもないもの」
ちょっとあくびがもれた。
子供に夜更かしは身体によくない。
「さあ、寝ましょう。明日は領地を回るから、一緒に来てね。馬に乗せてあげる」
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