12話 ルヴェラ
ウィルはちょっとの間の後つないだ。
「本来であれば、軍を統括される両殿下お二人のご責務でありますが、兄上の太子君ラルフ殿下がご病弱でいらっしゃる。旅に耐えられるお身体ではないのです。それで、アリヴェル殿下が二人分を担われているのです」
「二人分、じゃあ倍ということ?」
「倍というか…、まあ倍になりますね。騎士である王族が陣頭に立ち続けるというのが、国是でありますから」
それでも、伝令の強化や各地駐屯兵団の再編などで王子の負担を減らす傾向にはあるという。
「王妃様もアリヴェル殿下のお顔を見られないとご不満であられましたから」
「そう」
ついでに、王子の「冷酷だ」という噂についてもたずねてみることにした。酔って人を斬るなど、わたしの知る王子からは信じ難い。側にあるウィルなら、正確な答えがもらえそうだ。
ウィルはそれにちょっとうなずく。
「近衛隊はともかく兵団になると大所帯です。どう律しても何らかのもめ事は必ず起きます。その際の処分はすべてアリヴェル殿下の御名でなされるのです。ごく稀ですが、刑死もある。噂の発端はそんなところでしょう」
「酔って人を何人も斬ったとか…」
「それはわたしも承知しています。各地でちょっとずつ内容が異なるようです。生きた牛を百頭焼いたというのもあります。考えればわかるが、生きた牛を百も焼くのは難儀ですよ。火を点けた側が猛った牛にやられる」
嘘だとわかりきっているからか、ウィルはおかしがっているようだ。
「不名誉でしょう。取り消したらいいのに」
「殿下がお許しにならないのですよ。放って置けの一点張りで」
「え。どうして?」
「それは、ダーシー様が直接殿下におたずね下さい」
ウィルが呼ばれて去った。
わたしの膝を枕に眠る王子の頬に、蝶が留まった。指で羽に触れると、さっと飛び去ってしまう。
そこで王子が目を覚ました。まぶしそうに目を瞬いている。わたしを認め、腕に触れた。
「ねえ、王子様」
絶対に聞こえているのに、彼はついっと目を逸らした。返事もしない。
「王子…」
そこで思い出す。彼は名前で呼ばれたがっていた。
「アリヴェル」
彼がわたしへ目を戻した。微笑んだ。きれいな笑みだった。見とれている間に、身を起こした彼がわたしを引き寄せ口づけた。
ルヴェラの地に到着したのは、タタンを立って四日後のことだ。夕刻で、街には家々の灯が灯っていた。
城への道を通過しただけで、整備された繁華な土地だとわかる。王宮を模した広大で白く壮麗な城だ。長く留守にした主を迎えるため、多くの人々が門から立ち並んでいた。
隊と離れ、その中を王子の馬について行く。
入り口で馬を降りた王子にならい、わたしも下馬した。現れた馬丁が馬を連れて行った。
王子が礼服の男性に走り寄って抱きついた。よほど親しい間柄なのだろう。相手もうれし気に彼の背を叩いている。
「無事のご帰還をお待ち申し上げておりました」
挨拶を終え、瘦身の男性があたりに目をやる。一瞬わたしと目が合ったがすぐに通り過ぎた。
「妃殿下をお連れになるとお知らせがありましたが...」
「連れて来たじゃないか」
王子はわたしのもとに戻り、手を引いた。男性の前に連れて行く。
わたしを認めた男性が、侮辱されたように白く秀麗な顔をさっと歪ませた。
「さようでございますか、失礼いたしました。このたびのご結婚、まことにおめでとうございます」
恭しく頭を下げた。
騎馬での長旅だった。土ぼこりで顔は汚れているし、ズボンにシャツで、そもそも女性の格好をしていない。
反応に傷つきはしないが、恥ずかしくなる。王子が汚れているからといって、妻のわたしも同じでいいとは周囲は見ない。
「ダーシー、爺だ。君に会わせたかった」
「え」
爺?!
爺と王子が呼ぶからには、てっきりおじいさんに近い年齢の男性を思い描いていた。目の前の人物は爺にはほど遠い若さだ。せいぜい三十代の後半か。
「名はダリル。中にいるウィルだと思えばいい」
城の中で王子とは別れた。わたしは女たちに導かれ、湯に入り着替えを行う。美しい外観に違わず、内装も優美な造りになっていた。
大きな城で使用人の数も多い。彼らの身なりも王宮に準じた正式なものだ。過ごしてきたタタンの領主館とは雰囲気ががらりと違い、緊張する。
身だしなみの後で、王子の待つというサロンに向かった。入ってすぐに露台に目が行く。せり出したそこから海が臨めた。
王子は露台にいて、外を眺めていた。彼は着替えてもいない。時間があったはずなのに。
わたしを招き、引き寄せた。眼下に夜のルヴェラの城下町が広がる。人家が多く人口が多いのが見て取れる。
潮風を感じた。何となく彼にもたれた。砂ぼこりで縞模様のようになった顔で、王子が微笑む。
「あなたは着替えないの?」
「後でいい」
旅では川に入り、じゃぶじゃぶと水浴びをしていた人だ。この場にいても変わらない彼の様子にほっと気持ちが緩んだ。
「きれいなところね」
「好きになれそう?」
「ええ」
「君の土地だから、自由に振る舞ってほしい」
「ありがとう」
口づけの後で、聞いてみた。王子の冷酷な噂の件だ。
でたらめに広がったそれらをなぜ彼が取り消そうとしないのか知りたい。ウィルは、理由は王子から直接聞けと言った。
彼は黙ってしまった。
「秘密なの?」
「そんなんじゃない。噂くらいいいじゃないか、どうだって」
彼は何でもないようにそう言うが、真実とかけ離れたでたらめが、国中を独り歩きしているなど、
「わたしは嫌」。
しばらくして、王子が口を開いた。
「兄上のお為だ」
ウィルは王子の兄上の王太子様は、お身体が弱いと言っていた。そのため、現状王子が兄の分も任務を請け負っているのだと。
「どうして?」
「兄上は聡明で優しいお人柄で、君も会えばきっと好きになる。けれど、咳の病がおありで長旅には向いていない。それだけのことだ。外征に出られたこともある立派な騎士だ。なのに、騎士の素養がないと口さがなく言う者もある」
「あ」
少し王子の意図が読めた気がする。
兄上の名誉をそれ以上汚さないために、彼は自然発生した自分の悪評判を取り消さないのだ。課された責務を易々とこなす健康な弟王子がいれば、世評はどうか。
そちらに王太子を譲るべきとの声が上がりそうに思う。
「兄上には今は男子がお生まれではない。姫はある。だから、次男子が生まれることは全然あり得る」
「うん」
「任務はそれが適う者がこなせばいい。それだけの話だ。僕は身体が丈夫で旅も好きだ。ドラゴンも追えるからちょうどいい。兄上は父陛下と諸国の状況を計って僕に知らせ、お考えを命じる。そういうお立場なんだ」
わたしは彼の手を握った。
彼の気持ちがわかったから。もしかしたら、王太子様の廃嫡をめぐる嫌な噂の種もあるのかもしれない。
種が芽吹くのを阻むため、自身の汚れた悪評を消すことを許さないのだ。冷酷で暴虐な王子であると、信じられている方が都合がいいから。
「君に言っておく。僕は第二王子だ。王太子である兄上を守り、仕える身だ。決して王太子にはなれない」
二人の王子。一人は病弱で一人は壮健だ。よからぬことを企みうごめく輩もあるのかもしれない。王子はその片鱗を知るからこそ、わたしにも言うのだ。自分は二番目なのだと。
「うん」
兄上を重んじて、しっかりと自らの立ち位置を把握している。自由気ままに鷹揚で磊落。外側の彼からは見えない、王家を守る強い王子としての自覚が知れる。
淡々と当然にそれを語る彼を、すごく素敵に感じた。凛々しいと素直に思う。
「話してくれてありがとう、アリヴェル」
「僕も君が側にいてくれてうれしい。ありがとう」
邸を追われ、タタンでの日々が始まったのは、わたしが十三の年だ。令嬢の花の時期を散らした自覚があるが、悔いはない。
十三歳。同じ時期王子もつらい旅を始め、少年時代のほぼすべてを馬上で過ごしている。もちろん青春期を散らしたなどとは感じないに違いない。
互いに何かをつかむための時間。
わたしたちは似ている。
過酷さに泣いたことはあったのか。また、どこかで恋をしたことはあっただろうか。
そんなことをいつか教えてほしいと思う。
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