第1章 第3話 善意
「ここが私の家です」
桐生さんが指差したのは、駅から少し離れた場所にある個人喫茶店「Rabbit」。外観は綺麗とは言い難いが、レンガを模した壁に所々ウサギが描かれていて、味のある雰囲気を持っている。でも……。
「やっぱり遠慮するよ。君の家に隠れるのは」
「どうしてですか!?」
「どうしてって……親御さんにも迷惑かけるだろうし、何より喫茶店だ。人目に触れやすい場所にはいたくない」
「それについては大丈夫です。ほとんどお客さんはいないので」
「いやそれは大丈夫じゃないけど……客商売で殺人犯を庇う、なんてありえないだろ。悪いけど信用できない」
「それも大丈夫です。一度庇えばそれはもう共犯と同じ。両親も納得していますし、問題ありません」
って言ってもな……。やっぱり迷惑はかけられない……。
「それともここで騒いで怪しまれますか? それは得策だとは思えませんが」
「……行こう」
桐生さんから貸してもらったキャップを目深に被り、喫茶店に入る。何にせよ体力に限界が来ている。泊まるのはないにせよ、少し休ませてもらえるとありがたい。
「いらっしゃい……兎美、その人が?」
「うん、私の大恩人!」
「……おじゃまします」
元気よく入った桐生さんに続き、俺も喫茶店に入る。カウンターには桐生さんの両親と思しきダンディな男と綺麗な女性がいる。そして客は本当にいない。俺にとってはありがたいが、大丈夫なのか……。
「とりあえず兎美を助けてくれてありがとう。君が無実だと証明されるまで、好きなだけいてくれていいからね」
「……ありがとうございます」
やけに物分かりがいいな……。俺がしたことといえば、ナンパされていた桐生さんを助けただけ。それだけでここまで受け入れるものだろうか。いくら俺がいなければ桐生さんが殺人犯の疑いをかけられていたかもしれないとはいえ……。
「……本当にいいんですか。今の俺に遠慮なんてできませんよ」
「もちろん! 冤罪をかけられた子どもを放っておくなんてできないしね」
……やはり怪しい。こんなに親切にするなんてありえない。何か裏があるに決まってる……!
「そうだ、君の両親に連絡しないと。君を匿っていると」
「いえ……いりません。俺は両親にとって不要な存在なんで。むしろ捕まってくれた方がうれしいと思ってますよ」
「……そうか。とりあえず何か食べる物を用意しよう。それまで紅茶でも飲んでて」
「……ありがとうございます」
カウンター席に座り、出された紅茶を啜る。こんな閑古鳥になるなんてありえないくらい美味しいが……味わっている場合じゃない。逃走経路を見つけておかないと。ここに警察が入ってきたら押しのけて二階に上がって飛び下りる……。最悪両親を人質にしてでも逃げないと……。
「あ……れ……?」
急に身体に力が入らなくなり、痛みが走る。床に落ちたんだ。痛みとこぼれた紅茶の熱さが伝わってくるが、動けない。どころか眠たく……まさか睡眠薬が入っていた……? やっぱり裏切られて……。
「く……そぉ……!」
逃げないと俺の人生が終わる。それがわかっていながらも俺は何もできず、そのまま瞼を閉じた。
☆☆☆☆☆
「……はっ!」
長い長い眠りを経て、俺は目を覚ました。感じるのは甘い香りと、危機感だけ。
「ここは……牢屋……?」
確か喫茶店で睡眠薬が入った紅茶を飲んで……おそらく警察に捕まったはず。でもその割には布団はふかふかで……とても温かい。
「あ、起きた?」
「……桐生さん?」
明かりがつけられ、ようやく今の状況がわかった。無駄にでかいぬいぐるみに、ピンクや白で溢れたかわいらしい部屋。そんなファンシーな雰囲気とは似つかわしくないやけに設備が整ったパソコンや工具があるが、見覚えのある制服がかけられている。どうやらここは桐生さんの部屋のようだ。
「なんで俺は捕まってないんだ……?」
「心配したんですよ? 紅茶を飲んだと思ったら急に寝ちゃって……三日三晩も。よっぽど疲れてたんですね」
「……睡眠薬を飲まされたんじゃ……?」
「どうして私たちがそんなことを? 私たちは鍵裂くんの味方ですよ?」
「いやでも……俺を歓迎して油断させる作戦じゃ……。じゃないと俺に優しくする意味が……」
「……龍夜くん!」
全く事態が理解できていない俺の肩を、桐生さんが強く掴む。
「ネットであなたのことを調べ上げました。弁護士の両親の期待を裏切った走るしか脳のない陰キャだとか、部活でもクラスでもいじめられているだとか。そんなひどい言葉がネットに溢れていました」
「……事実だよ。どうにも俺は人にとって普通のことができないらしい。コミュニケーションとか、勉強とか……そういう当たり前のことができない。そんな人間だから……誰も俺が殺人犯だと信じて疑っていない」
「でも私は違います! あなたは家族に期待されていないのかもしれない。いじめられているのかもしれない。それでも私を助けてくれた! だったらあなたは良い人なんです。良い人を助けるのはそんなに変なことですか? 恩人を助けたいという善意は……信じてもらえないんですか?」
「…………」
目を見れない。きっとまっすぐで優しい瞳が俺を見つめているのだろう。でも……信用するわけにはいかないんだ。もし裏切られたら……俺の人生は終わりだから。誰も、信用するわけには……!
「……ありがとう」
自然と、言葉が漏れていた。
「親に売られて……誰も信じてくれなくて……逃げ続けて……辛かった。助けてくれて、ありがとう」
「はい、どういたしまして」
信用するわけにはいかない。それでも俺の理性は、心の叫びには勝てなかった。
とりあえずプロローグ終了です。なるべく暗くならないようがんばりますので、よろしければお付き合いください。
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