風の刃羽根(かぜのはばね)
盆地ならではの熱暑の真昼を叩き斬る刃のような雨が降る。
稲光が北の空を引き裂き、耳つんざく雷鳴が唸る。
汗取り肌着のガーゼの肌襦袢を素肌に着ける。
次は白い襦袢。その上に白衣。
私は背が高い方ではないので、おはしょりは大きい。緋袴の裾から見えないように、裾を短めにするためでもある。
緋袴の前の腰板を慎重に調節し、間違っても転ばないように少し短めにする。腰紐を後ろで結んだら裏腰板をその蝶結びの上に当て、その腰紐を前に持ってきて結ぶ。
白い練り絹の真菰文様の襅を羽織り前紐を几帳結びにする。
私が初夏生まれなので、別名花勝見とも言われるこの文様が使われる。
勝つために。
短い夏の世の戦いは雨が上がれば始まる。
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―こんな宵にはお狐さんが篝火を焚くわいなぁ―
亡き祖母の声が聞こえる。
―おばあちゃん、あれがそうなの?-
幼い私が指をさす。
―ああ、時子にも見えるのねぇ。ほら、連なって、日暮れのお山を行くわいなぁ―
連なる光が脳裏に浮かぶ。光と言うには儚い仄明るい丸い玉。
―日暮れのお山には山犬さんが住んでいてねぇ。夕方通ると、お山を抜けるまで後ろを着いてきてくれたんだよ。みんな怖いって言ってたけどね、私はいつも「ありがとさんよ」ってお礼を言ったもんだよ。日暮れのお山の山犬さんは優しい山犬さんだよ―
(知ってるよ。おばあちゃん。山犬さんは今は私の傍に居てくれるもの)
私の武器はこの扇。
夜の闇を優しいものに戻すため、風を巻き起こす。
風に乗って、大きな鳥と山犬さんが敵を討つ。
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―ああ、時子にはあれも見えるのねぇ―
―見えるよ。綺麗な球がいっぱい。綺麗ねえ―
墓所の無縁仏を囲む光の珠は美しい。
―無縁さんを囲むあれが綺麗と思う時子なら、きっとできるね。やってくれるね―
―何を?―
―綺麗な光を綺麗なままにすること。私ができなくなってからかなり経つから、最初はおじいちゃんの力を借りなきゃね。いつからできるかねぇ―
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祖母は私の初潮を待って、舞いを教えた。舞の形をとった闘い方を。
―女はね、血を流している間は闘えるのよ―
祖母の声が背を押す。
さあ、この夜が来た。
祖父が逝って初めてのこの夜。
たった一人で闘う夜が。
今宵からは読経の助けはない。
一人で祓うのだ。癒すのだ。
それが闘い。
夜は好き。
この闇に安うものを守り給え。
風を起こせ、扇で襅の大袖で、舞いの足で。