ナガシュナの戦い
「あれがアークランド王国軍ですか?」
ベルは堂々と行軍している大軍を指さしてマニシッサに聞いた。偵察のためにやってきた山の見晴らし台から見ている。眼下にシグルト率いるアークランド王国軍1万は整然とした軍容で進んでいる。
ドラゴランドを貫く主要道路を黒々と埋めて山間部へと進む軍は、見る者に恐怖を与える。
マニシッサは頷いた。かなり緊張している。この戦いに負ければすべてを失う。命さえ守れればと考えたなら、田舎で朽ち果てる道もあった。しかし、マニシッサはそれには我慢ができなかった。
王位に対する思いもあるが、婚約者のキャメロン姫のことがどうしても諦めきれなかった。
マニシッサ軍1000人とゲナ8世が派遣したコボルト銃兵100人は、この大軍を迎え撃つべく布陣している。
布陣した場所は山と山に挟まれて通じる道路の出口である。シグルト率いる王国軍の10分の1にも満たないマニシッサの軍が戦うには、この場所しかない。
出口を突破されれば、大軍に囲まれてしまい、殲滅されしまう。古来、大軍と戦うには地形を味方にするしかない。
シグルトもそれを承知している。狭い出口を突破しなければ、大軍の力を発揮することができない。
それでもあえてこの道から突破することを選んだのは、それができると確信していたからだ。
シグルトには無敵の鉄騎兵団がいる。生まれつき鋼鉄のような体をもつリザード兵で作られたこの軍が先頭に立てば、突破は可能である。
シグルトが王位簒奪できたのも、この鉄騎兵団の無敵ぶりがあったからだ。今回も山道からの出口で待ち受けるマニシッサ軍を粉砕することは間違いがない。
「ベル殿、あの鉄騎兵団を粉砕できれば勝機はあります。今回の銃兵がそれを成し遂げられるでしょうか」
マニシッサは心配そうにそう聞いた。銃という新しい武器で行う戦争は経験がない。いや、この世界で初めてであろう。だから銃の威力は理解できるが、戦争の勝敗を左右することになるかは分からなかった。
「大丈夫ですよ。山の出口のところは何と呼ばれる土地ですか?」
ベルはそうマニシッサに聞いてみた。
「ナガシュナ村です」
「ナガシュナ……。ははは、これは面白い」
ベルが笑ったのでマニシッサは不思議な顔になる。
(ベル様、何が面白いというのですわ)
ベルの肩に座っているクロコがマニシッサの胸中を代弁した。
「僕が生まれ変わる前の世界の話だよ。無敵と言われた騎馬隊が鉄砲隊の前に壊滅的な損害を受けて敗北した戦いがあるのさ」
小学校の歴史で必ず習う有名な戦い。長篠の戦いだ。織田徳川連合軍の3千の鉄砲隊が1万5千の武田の騎馬隊を壊滅させた。織田徳川連合軍は3万人と武田軍の2倍の戦力であったから、虎の子の騎馬隊が鉄砲隊の前に敗走した後に大軍で押しつぶしたと言うのが真相であるが。
「敵の拠り所は鉄騎兵団。これを倒せば勝機が見える」
ベルはシャーリーズを呼んだ。マニシッサに貸与した鉄砲を装備したリザードマン部隊とコボルト部隊はシャーリーズが指揮をしている。
「シャーリー、頼んだよ。弾の補給は十分ある。あとはお前の指揮しだいだ」
「お任せください、ベル様。訓練も十分しました。今こそ、成果を見せる時です」
ベルは武器商人だ。兵士を指揮するような才能はない。よって元傭兵だったシャーリーズに鉄砲隊の指揮を任せると自分は後方の本陣で、戦いの行方を見物することにした。
「ベル殿、鉄騎兵団の波状攻撃は王国最強の攻撃力。特に第1列は中堅のパスカーレと呼ばれる手練れの部隊だ。かつて俺の軍もあの第1列の突撃で大混乱に陥った」
鉄騎兵団は300ほどの部隊であるが、その力は3万人に匹敵するとも言われる。300人は3列に分かれており、まず第1列は年齢が30歳台で構成された戦いの経験も豊富なエース級が集められている。ドラゴランド語で『勇敢』を示す『パスカーレ』と呼ばれている。
第2陣は経験の浅い20歳前後の者が集められている。若いだけに体力があり、パスカーレが突破した敵陣で長時間にわたって大暴れをする。『暴発』を意味する『バズーラ』と呼ばれる。
そして第3列は40代以上で構成された老練な戦士で構成されている。その皮膚の硬さは最強で、どんな刀も槍も通さない。この部隊は『鉄壁の壁』を意味する『アルティマ』と呼ばれる。仮に第2列までが崩壊してもこの3列が踏みとどまる。最後の絶対的信頼を誇る部隊だ。
「やはり、鉄騎兵団を目にすると兵が委縮する」
マニシッサは自分の率いる1000人の兵の様子を見る。鉄騎兵団の進軍を見るだけで空気が変わった。何かのきっかけで逃げ出してしまいそうな雰囲気になる。みんな恐ろしいのだ。
「王子、大丈夫です。銃の威力を見たでしょう?」
「ああ。威力は知っている。だが、接近されれば鉄騎兵団の攻撃には耐えられない。
「接近などできませんよ。あの地形ではあの兵団は全滅でしょう。まあ、ここで見学していましょう。鉄騎兵団を駆逐した後、王子の槍隊で後続をせん滅します。谷に進入した敵兵は壊滅ですよ」
ベルはそう言って望遠鏡を手に取った。谷から抜けて来た鉄騎兵団の先鋒部隊が銃兵部隊に突進してきたのだ。
鉄騎兵団を率いるの将軍の名はバティット。40歳を過ぎた老練な指揮官だ。彼はたたき上げで今の地位を得た男だ。彼には野心があった。王太子のマニシッサではなく、王弟のシグルトに付いたのは王国内での地位を上げること。
鉄騎兵団の指揮官は、代々、尊敬される地位ではあるが、その報酬は名誉だけで貴族位に叙せれることはない。歴代の隊長は職人気質で富や地位には関心がなかったが、バティットは違った。
功績に見合った富と地位を得たかった。シグルトに味方したのはそれを約束してくれたからだ。
「シグルトが王になれば、この俺は侯爵となる。キャメロン姫の妹を妻にもできる。マニシッサをこの地で殺し、栄誉を手に入れるのだ」
バティットはわずか1000人あまりのマニシッサの兵を舐め切っていた。かつて数万を誇る彼の軍団を撃破した自信だ。
鉄騎兵団は無敵でどの戦場でも常に勝利して来た。鉄騎兵団が付いた方が勝者になることは決定事項なのだ。
「第1列、パスカーレに命じる。突撃して敵陣を引き裂け!」
バティットの命令で赤い旗が上がる。それに反応して第1列のパスカーレが槍を構えた。そして隊長の号令の下、突撃を開始した。
第1列パスカーレは100名とはいえ、その突進はすさまじい。地面を鳴らし、恐ろしい雄たけびを上げて槍の波が襲い掛かる。
「まだ、まだ……よく引き付けろ」
シャーリーズは槍を片手に突進してくるリザードマン部隊を凝視し、まず第1列の部隊に射撃準備をさせる。
シャーリーズは200名の銃兵を横隊に布陣させ、50名ずつの4隊に扇型に布陣している。十分敵兵を惹きつければ、3方向からの銃撃ができる。
「よし、正面撃て!」
シャーリーズが指揮棒を振った。リザードマンとコボルト銃兵が引き金を引く。凄まじい銃声が一斉に響いた。
煙で真っ白になる。突撃して来た鉄騎兵の先頭が倒れた。後方は何が起きたか分からないようで、そのまま仲間を踏み越えて次の斉射を受ける。
「左右打て!」
第2射は左右から放たれた。さらに3回目の斉射が行われた時、突撃したパスカーレ100名は全て地面に倒れた。
そこへ続いて第2陣の『バズーラ』が突っ込んで来た。経験の浅いこの第2陣は状況の変化に対応できない。おかしいと思いながらも、味方の死体を踏み越えて、銃撃の交差する危険地帯へ無防備で突入してきた。
「撃て!」
シャーリーズは冷静に命令する。3連射でバズーラも全滅した。わけもわからず、通るはずのないダメージを受けて、痛いと思った瞬間にあの世へ旅立った。
「よし、銃隊、射撃体勢のまま、300歩前進……」
「シャーリーズ様、敵の遺体が邪魔で進めません」
前線の小隊長がそう具申した。シャーリーズは後方のマニシッサの隊に連絡して、遺体の移動を願った。
マニシッサが部隊を出して鉄騎兵の遺体をどける間、時間が少しあったのだが、敵兵団を率いるバティットは状況がつかめない。
「どういうことだ。煙で前線がどうなっているか分からない」
「何か破裂する音が鳴っていました。パスカーレとバズーラの声が消えました。どういうことでしょう?」
バティットの近侍たちもわけが分からない様子だ。何かあったとは思ったが、わずか5分程度で突撃した2隊が全滅したとは夢にも思わない。
「足音が聞こえてきます」
「何か近づいてくるようです」
近侍の声にバティットは耳を澄ます。白い煙もだんだんと薄くなり、足音の大きさに比例して信じられない光景が目に入った。
200名ほどの小部隊が、なにやら筒状のものを構えて前進してくる。
「なんだあれは。敵兵か?」
「我が鉄騎兵ではありません」
「パストーレは、バズーラはどうした。敵陣を切り裂いて敵を敗走させているのではないのか?」
「敵が止まりました」
「攻撃してくるようです」
「バカめ。そんな攻撃などこの鉄壁のアルティマに通るものか!」
バティットは第3陣のアルティマに戦闘を命ずる。まずはその鉄壁な守りで敵の攻撃を跳ね返し、その後に反撃する。アルティマの兵がもつ武器はショートソード。密集で攻撃しやすい武器だ。接近戦で圧倒的な力を誇る。
だが、バティットはあの破裂音を聞いた。無敵の鉄騎兵がバタバタと倒れる。
「なんだ、これは!」
バティットがそう叫んだ瞬間に彼自身も銃弾に倒れた。防御陣を敷いた最強の部隊は、何もしないまま、銃撃の5連射を浴びて全滅した。
「ベル殿……圧倒的ではないか!」
マニシッサもあまりの出来事に驚いている。戦端が開かれて20分と立っていない。王国最強の鉄騎兵団が一瞬で全滅である。
後方に続く王国軍は状況が分からず、谷の出口から順番に突撃しては、銃兵の餌食になっていた。
大打撃である。さすがに銃撃の恐ろしさが徐々に分かり、後方の敵は進んでこなくなった。マニシッサは槍兵の突撃を命じる。
逃げ腰になった兵ほど弱い者はない。1万を数えた討伐軍はあっという間に四散し、マニシッサが谷を反対側に出たところで勝利は確定した。
目の前にはアークランド王国軍の前線基地であるルーマットの町の城壁が見える。
「あれを落とせば、流れは完全に変わるんじゃないか?」
ベルは遠くに見えるルーマット城を見る。
「あの城塞都市は鉄壁を誇る。そう簡単に落とせるものではない」
そうマニシッサは言ったが、もしここを抜ければ形成は逆転することは間違いがない。王国の貴族たちはこぞってマニシッサの元に駆け付けるだろう。
「簡単ですよ。王子殿下、あれを使います」
ベルはそう言った。シャーリーズに命じて運ばせたのは大砲である。
ラプラタ海峡で威力を発揮している大砲が城門に狙いをつけたのであった。




