決め手は婚約者の……
ベルは交渉の仕方を変更する必要を感じた。まずは失った信用を取り戻す必要がある。
「シャーディ様、それは心外ですね。確かに僕は実家の悲劇の事は話しませんでした。しかし、実家の信用力のことも触れませんでした。それはコンスタンツア家の威光など、元々必要ないからです。今日は僕個人があなたと商売をするために来たのです」
粛清の件は言わなかったが、コンスタンツア家の信用を前面に押し出したわけでもない。そのことを強調した。
「ふん、小僧が大きな口を叩きおる……。ならば、一介の零細商人の若造と取引するなど、検討にも値しない」
「なるほど、さすがは大きな商会を経営なさる方は守りに入るのがお上手ですね。勉強になります、悪い例として……」
ベルはそう挑発気味に言った。シャーディの瞼がピクリと動く。あまりの威圧感に少し後ろに立っていたシャーリーズがビビッて思わずベルのシャツを掴む。
心配するなとベルはその手をそっと握る。
「悪い例だと……」
「はい。僕は南方航海路を見付けてここへやってきました。船を使えば陸路の3分の1の時間しかかかりません。そのことはお分かりいただいていると……」
「そんなことは分かっている。しかし、航海にはリスクがある。嵐で沈めばそれまでだ」
「陸路でも同じでしょう。途中で盗賊に襲われる危険もあります」
「海のリスクに比べれば低い」
陸路のリスクは傭兵を雇えばかなり軽減される。途中で災害に巻き込まれる危険もあるが海よりはましだ。
「そうですか。リスクを恐れると……」
「挑発しても無駄だぞ、小僧」
シャーディはそう言ってそっぽを向いた。交渉を打ち切ると言う意思表示だ。
「ではこの話はコルコタ商会ではなく、ベリーズ商会へ持っていきます」
ベルはコルコタ商会の商売敵の名前を出した。ベリーズ商会は新興の商会で、個々最近、利益を伸ばしている成長著しいのだ。
「陳腐だな。ベリーズもお前の話など聞くまい」
「そうですね。ただ、口説く切り札もありますからね」
「切り札だと?」
シャーディは振り返った。少しだけ引っかかることがあったようだ。そしてそれはベルの作戦でもあった。
「単にドインから胡椒を運ぶだけでは利益は大きいですが、魅力はないとお考えのようです。ですから、アウステルリッツからドインに売る商材を運びます」
「……三角貿易か。だが、アウステルリッツからドインへ売るものなどあるまい」
シャーディはベルの信用力のことを問題にしていたようだが、実は違うとベルは見抜いていた。彼はベルの商売に弱点があると考えていたのだ。
つまり、アウステルリッツから来る船は空船であること。ドインから香料を買い付け、それを陸路よりも低コストで運んで売るというプランは魅力的だがそれだけだ。陸路との違いは大量に運べる点と時間の縮小であるが、それはコルコタ商会にはあまり関係ない。
(しかし、もし、アウステルリッツからドインで売れるものがあるのなら)
利益は2倍である。コルコタ商会は胡椒で儲け、さらにその商材でも儲けることができる。
「これです」
ベルは首からかけたペンダントを見せた。シルヴィからもらった香油入りのペンダントだ。
「この香油は強力な虫除け効果があります。現にここまでの道のり、僕たちは牛蠅に刺されるどころか、近づいた牛蠅が死んでしまうほどです」
「なんだと!」
シャーディはベルからペンダントをひったくった。小さな小瓶に入っている香油を一滴指に垂らし、それを首筋や腕に塗り伸ばす。わずか1滴でも油はスムーズに伸びて肌をコーティングする。
そして中庭に出た。煙が充満する建物内とは違い、そこには牛蠅が何匹か飛んでいる。牛蠅はシャーディを認識すると接近してくる。しかし、触れようとした瞬間に痙攣をおこして地面に落ちた。
「おおおお……これはすごい!」
シャーディは思わず感嘆の声を上げる。これは商材としては抜群である。
「この香油の材料の薬草は何というのだ?」
「さあ?」
ベルはとぼける。そんな重要なことは教えられない。
正直な話、どんな薬草かはシルヴィしか知らない。彼女は自分の領地で採取したと言っていた。冷涼なアウステルリッツで採取できる薬草だから、このドインでは手に入らないはずだ。
「ううむ……。教えないか……ならば、取引はせぬ」
「シャーディさん、教えないのはこれが切り札だからです。僕の婚約者のもつ領地の特産品ですとだけ言っておきましょう。いくらシャーディさんの情報網でも分からないでしょう」
シャーディは考えている。虫除けの香油は魅力的な商材だ。アウステルリッツ王国で採取できる薬草とまでは分かったから、時間をかければいずれたどりつくだろう。
しかし、それではベルがベリーズ商会に売り込むだろう。新興のベリーズ商会ならば、ここまでの話で乗ってくる可能性はある。
(もし、この三角貿易が成功したら……)
シャーディは危機だと感じた。今は圧倒的な力をもつコルコタ商会だが、ベリーズに追い抜かれる可能性がある。
「ううむ……」
そう思ってもシャーディは決断ができない。まだリスクに対して許容できないのだ。
ベルはその様子をじっと見ている。額から汗が吹き出し、頬を伝ってくる。ドインの気候は暑く、そして牛蠅除けの煙が拍車をかけている。
「暑い」
思わずポケットに手を突っ込んだ。盛装のジェストコートのポケットにハンカチらしき手触りを感じてそれを取り出し、汗をぬぐった。
(ベル様、それはハンカチじゃあないですわよ)
クロコに指摘されてベルは手に持った布切れを凝視する。
(うっ!)
固まった。薄い水色の小さな絹。小さな白いリボンが飾りで付いている。
「それはなんだ?」
じっと考えていたシャーディがベルの持っている布切れを不思議そうに見ている。
ベルはゆっくりとそれを広げた。
「これはただのハンカチ……」
そこまで口にしたが、もう誤魔化すことは不可能だ。それは明らかにハンカチではない。誰が見てもそうは見えない。それはエデルガルドが餞別にくれた彼女の下着だったのだ。
「こ、これは……その……アウステルリッツでは航海の安全に恋人の下着をお守り代わりのもつしきたりがあって……」
しどろもどろになって説明するベル。もちろん、そんなしきたりはない。
「それをくれたのは香油をもたせてくれた婚約者殿か?」
「いえ、これはもう一人の……」
ここまで言ってベルは続けるのを止めた。2人も婚約者がいるなんて話すのはどう見ても印象が悪い。ドインは一夫多妻制と聞くが、シャーディがそうだとは限らない。
「ははは!」
大きな声でシャーディが笑った。そして先ほどの悩んだ表情もどこかに吹き飛んだようだ。
「その若さで2人も婚約者がいるとは。しかも2人とも君に対しての内助の功が素晴らしいではないか。気に入った。隣の護衛侍女もその様子だとお手付きか。うむうむ、結構なことだ。そういうギラギラした欲望こそ、成功への貪欲さにつながる。そういう逞しさ、強かさがなければ商売は成功せぬ」
シャーディはベルに手を差し出した。
「取引しよう。船に積めるだけの胡椒を用意しよう。今後の業務提携について話し合おうではないか」
そう言ってベルとシャーリーズをVIP専用の商談室へと誘った。




