い・も・う・と
船は出航する。
ベルと護衛侍女のシャーリーズ。船長のギョームに航海長のマカロフ。そして20名の船員を乗せたハゲタカ号は、未知の航海へと足を踏み入れた。
内海であるヒョードル海は波も穏やかで、天候さえ悪くなければ3日ほどで外海へ通じるラプラタ海峡を通過することができる。
そこを通過して北へ向かえば、北方諸国の港へ行くことができる。南や西へ舵をきれば未知の世界だ。そしてそれを選択することは死を意味している。
(そういえば、ペネロペは来なかったな……)
ベルは航海に出るに先立って、学校でペネロペとも会っていた。
ベルのことは学校でも知れ渡っていているので、お忍びで顔を見に行ったのだ。
彼女への援助はベンジャミンを通じてこれまでどおり行っており、ペネロペは恵まれた環境を維持したまま、音楽の勉強を続けて来た。
「あ、あなた無事だったの?」
ベルを見つけたペネロペは驚いたようにそう言い、そして自分から近づいてきた。
コンスタンツア家の悲劇はペネロペの耳にも入っていたのだ。
「無事だよ。それとも僕のことが心配で眠れなかったとか?」
ベルはそうペネロペに冗談めいた感じで質問してみた。ペネロペに心配させないためだ。
「だ、誰があなたの心配をするというの。いい気味だわ。これでお金持ちをひけらかすような醜悪な行動はできないわね」
そうペネロペは憎まれ口を叩いたが、本気でそんなことを思っているような感じではなさそうだ。
「確かに無一文になってしまったよ。この学校もしばらく休学するしかないしね。ああ、困った、困った……」
ベルの言葉には悲壮感がない。本当はかなり深刻であるが、それをペネロペに言っても仕方がないだろう。
「……天罰ね、きっと。少しは貧しい人の気持ちが分かるんじゃない。神様にお礼を言いなさいな」
「そうだね。親ガチャではなく、自分の力で人生を生き抜く機会だと思うことにするよ。ペネロペ、それで僕は商売することにするよ。船でドインへ行くんだ」
「ドイン?」
ペネロペはその国の名前を聞いたことがある。陸路で往復1年もかかる遠い場所であることも。
「あれ、どうしたの。深刻な顔をして。しばらく僕に会えないのが寂しいの?」
「そんなわけない。あるものですか。その商売とやらが成功すればどうせあなたもまたお金をひけらかすのでしょうね。せいぜい、欲張らずにがんばりなさいよ」
「はいはい。正直、危険な旅だから姿を見なかったら死んだと思っていいよ」
ベルはそう言ってペネロペに背を向け、片手を挙げた。一応、挨拶は終わったということだ。そんなベルにペネロペが思いがけない言葉をかけた。
「あなた、そんな危険なことをしないで奨学金を受けてこの学校を卒業したら。私がお世話になっているリットリオのおじさまに相談したら助けてくれるかもしれないわ。卒業してどこかに就職すれば生きていけるわよ」
「君は優しいね」
ベルは振り返った。ペネロペの顔が目に入る。
「や、優しくはないわ。これは、そ、そう。平民同士の助け合いよ!」
そうペネロペは必死に弁解した。たぶん、先ほど言ったことはつい言葉にしてしまったのだろう。よく考えればベルとは対立する関係である。
「平民ね……残念だけど、僕はスコルッツア男爵となるからね。君の嫌いなお貴族様だよ。商売が成功すれば以前よりもっとお金持ちになる。そのときは、君にスポンサーになってあげるよ。リットリオのおじさまだけじゃ、心もとないでしょ」
ベルの言葉にペネロペはポケットに忍ばせてあった銀貨を投げつけた。ベルはそれを右手で掴む。
「それは餞別よ。それでお昼ごはんでも食べなさいよ。貧乏貴族様。スポンサーの件、期待しないでおくわ。せいぜい稼いでわたしに貢ぎなさい!」
プンプン怒ってペネロペは去っていったのであった。その姿をベルはずっと見ていた。
出港する日と場所はペネロペに教えていなかったので、来ないのは当然であったが、それでもどこか期待していた。
ベルには何となく引っかかることがあったのだ。それは父アーレフの最後の言葉。腹違いのベルの妹を捜して欲しいというものだ。
正直、死の間際に父親の隠し子の事を聞くのはあまり面白くないものだが、あのビッチで鬼だったベルの母親を思えば、父が別のところで愛人を囲っていても仕方がないことだろうと理解している。
それでもベルに1つ下の妹がいるというのは衝撃である。そして行方不明になってしまった妹を捜すという遺言を託されたのだ。
この件についてはベンジャミンに調査を継続してもらっている。妹のクリスチーナは、ベルの母親から仕向けられた刺客に襲われ母親ともに殺されたと思われていた。
しかし、どうやら襲撃を逃れたらしいことが判明。今は彼女を乗せた馬車の情報から、西部の都市の孤児院にかくまわれていないか調べていた。
しかし、コンスタンツア家の滅亡とともに、資金不足で調査は停滞している。ベルが大金を稼がない限り、妹の調査は進まない。
(ペネロペが妹だったというオチはないよな?)
一瞬、ベルはそう都合の良いことを考えたが、頭を振って否定した。
そもそも、妹は西部へ逃れたことは分かっている。ペネロペが王都で保護された時期と偶然合うけれども、危険な王都に戻るはずがない。それに名前が違う。
しかし可能性が低くても孤児であることには変わらないので、家の再興を果たしたら、一応調べてみようとは思っていた。




