お金では買えないもの
「さあ、着きましたよ。今、都で評判のカフェです」
やがて馬車は小さなカフェ店の前で停車した。都で上流階級の人間が利用する店とは違い、こぢんまりとしたカフェである。店名は『ベリータイム』。腕の良い若手の菓子職人にベルの父が出資した店だ。
その創作スイーツが評判を呼び、庶民の間では大人気店になりつつあった。その評判は貴族たちにも広まりつつある。
「ここのベリーを使ったスイーツは今、大人気なのですよ」
そうベルは言い、メニュー表を見せてそれぞれ解説する。シルヴィはベリーのクリームケーキ。クララはベリーのパフェ。ニクラウスにはベリーのパイを勧めた。どれも町で評判のスイーツである。
それが出て来るとシルヴィもクララも笑顔になる。
(ベル様、シルヴィにハートマークが1個現れましたですわ)
(よっしゃー)
クロコにそう報告を受けてベルは心の中でガッツポーズをした。今日の目標は好感度を上げること。ハートマーク1を出せば目標達成である。
(やっぱり、女は甘いものに弱いですわね)
(それだけじゃないさ。無礼な弟の言動に腹も立てない度量の良さ。そしてスマートな注文、会話……それら全てが好感度を上げたのさ)
「ふん、確かにお菓子は美味しいけれど、客は全然いないじゃないか」
ベリーのパイを美味しそうに食べながら、ニクラウスはそう憎まれ口を叩いた。こんなお菓子ごときで大切な姉は渡せないという感じでベルをにらんでいるのだ。
客がいないのは理由がある。ベルがシルヴィのために貸し切りにしているのだ。お金の力である。
「客がいないのは当然だよ。午前中は貸し切りにしているからね」
ベルは自慢げにそう話した。ニクラウスはそれがどういうことか、幼いながらに理解した。小さなカフェであるけれど、午前中に貸切るためには相当のお金が必要だ。売上高の2倍、3倍の提示がないと受けないだろう。
現にベルは3日分の売り上げに匹敵するお金で午前中の貸し切りの権利を得た。人気店で客が絶えない店で貸し切りにするには、それくらいの費用は必要である。
ベルが貸し切りにしたと聞いて、シルヴィは少し顔が雲った。クロコが囁く。
(シルヴィはあまりうれしくないようですわ)
(そんなことはないだろう。デートで店を貸し切りにするのは、それくらい好きだという男の気持ちだ。これで歓迎しない女の子はいない)
ベルはそう断言した。転生前に読んだ漫画ではそうだった。財閥の御曹司や若き会社社長などのヒーローは、ヒロインとのデートでよく貸し切りにする。
それでヒロインはコロっと落ちるのだ。今回も同じだとベルは安易に考えていた。
お菓子も食べて飲み物もなくなった。そろそろ頃合いかなと考えたベルは、次の行動に映った。
「あの……わたしたちの分は支払います」
請求書をもってきた店員にベルが支払いを済ますと、シルヴィがカバンからお金を出した。ベルは手を振った。
「ここは僕が支払いますよ。招待したのですから……」
シルヴィはまた少し顔が雲ったが、ベルはそれに気が付かない。ベルはニクラウスとクララを先に馬車で送ることにした。小さなクララは甘いものを食べて眠くなってしまったようだ。うつらうつらとしている。
シルヴィは小さな妹と一緒に帰りたそうであったが、ここで帰られたらベルも誘った意味がない。大好きなシルヴィと二人きりでデートしたい。
シャーリーズに付き添いを命じて、馬車を出発させた。後にはベルとシルヴィが残る。
ベルは心の中でガッツポーズをした。今から町でデートができる。シルヴィは田舎育ちで、都の華やかな雰囲気に飲まれているようだ。
めずらしげに町の建物を見ている。ベルはすぐに行きつけの洋服店へと案内する。
「シルヴィ、今日に記念に服をプレゼントするよ」
なかば強引に店の中へ連れ込む。マダム・ジョアンヌ洋装店。マダム・ジョアンナは都でも有名な復職デザイナーで貴族の娘たちの中で、人気があった。
この店はジョアンヌが経営する直営店である。ここに来ることは伝えてあるので、ジョアンヌ自身が待っていた。
「マダム・ジョアンヌ、今日は僕の大切な人を連れてきました」
「まあ、お待ちしておりましたベル様。可愛いお嬢様ですね」
そうジョアンヌは挨拶するとすぐに店員にシルヴィの体のサイズの計測を命じた。こんな店に来たことがないシルヴィは、何が何だか分からない。
「べ、ベル、わたし、服なんて……」
「いいから、いいから。マダム・ジョアンヌにデザインしてもらう服なんてなかなかできないのだよ。貴族の娘たちは順番待ちだけど、僕の力ならすぐに作ってもらえる」
そうベルは自慢した。ベルの服はここで作っているし、まだ新人だったジョアンヌに店をもたせるための出資者の一人が父親のアーレフであったから、特別扱いなのだ。
「ベル様は上得意様でいらっしゃいます。その想い人であるお嬢様ですから、心を込めて作らせていただきますわ」
そういってニコニコしているジョアンヌ。見事な巻き毛の金髪と少し肉感的な体形。背が低く丸眼鏡をつけているので、お世辞にも美人とはいえないが、服に関するセンスはずば抜けていた。
「服は2着、いや3着作ろう。パーティ用のドレスが2着。普段用に1着。もっとプレゼントしたいけど、作るとなると時間がかかるしね。そうだ、帽子も必要だね。帽子店もいいところを知っているんだ」
ベルはそう言った。服をプレゼントして喜ばない女の子はいないと信じていた。自分の裕福さを示し、それでシルヴィのハートを射止めようとした。
(ベル様、シルヴィの好感度が0になったですわ)
そう肩に座っていたクロコが忠告した。シルヴィの好感度は、最初は0であったが、先ほどのスイーツのもてなしでやっとハート1つが出現したのだ。それが消えたと言うのだ。
(そんなバカな。消えるどころか2つになってもおかしくないだろう)
(でも今は何も回ってないですわ。それにシルヴィの表情、どう見ても嬉しくなさそうですわ)
クロコに言われてベルはやっと気が付いた。嬉しそうな様子は微塵も感じない。
「あの……ベル。せっかくですが、服は受け取れません」
そうシルヴィははっきりと言った。ベルは混乱した。
「なぜ……。大好きなシルヴィにプレゼントをしてあげたいと思っただけだよ」
「そういう気持ちは素直に嬉しいです。でも、こんな高価な服はいただけません」
「高価……いや、僕には大した金額じゃないよ。気にせずに……」
「気にします!」
シルヴィの顔は憤りでいっぱいである。ベルを見る目は厳しい。いたずらをした弟を叱りつけている感じである。
「ベル、あなたが使うお金はあなたのお父様が働いて稼いだもの。あなたが人のために使っていいお金ではないわ」
(ぐっ……)
ベルはシルヴィにそう言われて言葉を飲み込んだ。確かにそうだ。ベルが使っているお金は父親のもので、自分は息子だという理由で使っているの過ぎない。
それなのに自慢げに人に高価なプレゼントを山のように贈るのは、よくないことだ。端から見たら実に品のない行為であろうか。
シルヴィに言われてそう思ったのは、ベルが転生前の人生を思いだすことができたからだ。扶養を放棄し、虐待をする親。自分で使えるお金は1円もなかった。同級生の中には好きなものは何でも買ってもらえ、十分なお小遣いをもらって散在するものもいた。恵まれない転生前のベル……鉄馬少年からすれば、それは自分の力で得たものではない。何の努力もせずに手入れたものなのだ。
(要するに親ガチャの結果か……)
シルヴィの忠告は身に染みた。本当はそういうことは一番に理解し、これまで大事にしてきたつもりだ。しかし、初めて好きな女の子と出会い、舞い上がって忘れてしまった。
親ガチャの結果に過ぎない今の立場をひけらかし、気を引くためにお金を湯水のように使う。醜い姿である。
(ベル様、シルヴィの言う通りですわね)
(……そうだな)
クロコにも言われて自分の醜態にようやく気が付いた。清廉で物事をいつも正しく見ることのできるシルヴィから見れば、ベルの行為は好ましくないと感じる。ましてや、自分へのプレゼントとなれば心が穏やかでなくなる。
「ごめんなさい」
ベルはそう素直に謝った。予想外だったのか、シルヴィは言葉を失った。こういう態度の男子は多く見て来たのだろうシルヴィには、ベルの素直さが意外に思ったようだ。
「いえ、せっかく私にプレゼントしてくれようとしているのに、その気持ちを踏みにじるような発言したことは許してください。でも、分かってくれてうれしいです」
そうシルヴィは少しだけ微笑んだ。ベルは謝ってよかったと思う。ジョアンヌにはキャンセルを伝えた。
「シルヴィ、いずれ僕も父の事業を継ぎます。それで自分自身で稼いだお金でなら、プレゼントを受け取ってもらえますか?」
そうベルはおずおずと聞いてみた。シルヴィはにっこりと笑ってくれた。
「はい。その時はベルからのプレゼント、楽しみにしています」
(よっしゃ~っ!)
ベルは心の中でガッツポーズをした。早く働いてシルヴィに服をプレゼントしたいと思った。
(やりましたわね、ベル様。でも、シルヴィから消えた好感度マークは復活していませんですわ)
そうクロコが伝える。カフェデートでやっと好感度が1つ上がったのに、金持ちボンボンを引け散らかして好感度が後退してしまった。嫌悪度が1つ付かなかっただけでもよしとしないといけない。
ベルはシルヴィとジョアンヌの店を出た。出たところに豪奢な馬車が横付けされ、中から人が出て来るところであった。




