フィナーレ
雨がしとしとと降る中、歌劇が始まった。
フィリアーヌ演じる騎士セシル。凛々しく、そして超イケメンなルックスに男も女も目が離せない。
クローディア姫を演じるペネロペは、最初はお転婆なお姫様から、後半には恋する娘に変化していく演技がみごとであった。どうしてもフィリアーヌの華やかさにはかなわないが、ペネロペの演技は安定感があり、そしてフィリアーヌの魅力を際立たせていた。
舞台の天幕から劇の進行を見守っていた演出家のマーベリックは、とんでもない逸材を発見した自分の幸運に感謝した。
元々、評判のフィリアーヌの実力を確かめるつもりであったが、その実力は思った以上であった。自分が手掛ける作品にスカウトしたいと思っていた。それ以上にマーベリックはペネロペの才能に驚いた。
(これはすごい逸材だ。まだ総合力ではフィリアーヌ嬢にはかなわないが、育てれば匹敵する……いや、それ以上になれる素質がある。そして何よりも、誰も彼女を知らないというのが幸運だ……)
フィリアーヌは既に子役として有名で、学生をしながら様々な劇団に出演している。まだ11歳だから役は端役であるが、将来の主演女優として注目されているのだ。マーベリックが自分の作品にオファーしてもなかなか出てもらえないだろう。
それに比べてペネロペは違う。音楽院に入学したての素人だ。どの劇団にも所属していない。
(これはすぐに囲い込む……。将来のマーベリック歌劇団の看板女優を手に入れたぞ!)
もしかしたら、この歌劇を見た劇団関係者がペネロペをスカウトするかもしれない。マーベリックは急がねばと思った。
やがて話は佳境に入る。戦場で相対したクローディア姫とセシルが剣を交える。しかし、愛し合う2人は殺し合うことができない。セシルの腕を斬りつけ、負傷させたクローディアは、剣を落とし後悔の言葉を口にする。
セシルもそんなクローディアを抱きしめ、戦いの愚かさを歌にする。それにクローディアが声を合わせ、すばらしいデュエットとなって会場に響き渡った。
愛の歌に互いの国の兵士たちも憎しみを忘れ、武器を捨て、戦いを止める。2人の歌は戦争を止めたのだ。
その場面で雨が止んだ。そして雲が切れて一筋の太陽が差し込んだ。ちょうど舞台中央のフィリアーヌとペネロペを照らした。
最高のフィナーレに座っていた観客は総立ちで拍手する。傘をさしていた観客は傘を地面に落として同じく拍手。色とりどりの傘が鮮やかに舞台を中心に広がり、それは春の訪れを示す花畑のようになった。
舞台が終わり、汗をぬぐったペネロペに大きな花束が届いた。持ってきたのはベンジャミン。リットリオのおじさまの執事である。
花はリットリオ地方のユリの花である。ペネロペは感激した。たくさんの観客の中でリットリオのおじさまがペネロペの演技を見てくれていたのだ。
「あ、あの、ベンジャミンさん」
「なんでしょうか、ペネロペ様」
「リットリオのおじさまは私の演技を見てくださったのですね。今はどこにいらっしゃいますか?」
「はい、主はペネロペ様の演技を2回ご覧になり、大変満足されておりました。今はもうお帰りになられましたが」
申し訳なさそうに話すベンジャミンにペネロペは少し落胆した。しかし、2回も見てくれたのだ。ペネロペは初日からの記憶をたどる。リットリオのおじさまのような上品な老紳士がいなかったかどうか思い出そうとした。
しかし、初日は演技するのが必死で観客の顔はほとんど覚えていない。覚えているのは正面に陣取っていたエデルガルドとベルンハルトくらいだ。
ベンジャミンは無言で礼をして去って行った。ペネロペは何か話そうとしたが、聞きなれた声がしてそちらを振り返った。
「ペネロペ、素晴らしい演技だったのじゃ」
友達になったエデルガルド伯爵令嬢である。手に大きな花束をもって会いに来たのだ。隣には大嫌いなベルンハルトがいる。
「ありがとうございます、エデルガルド様」
「君にしてはいい演技だったんじゃないか。まあ、相方のフィリアーヌ嬢のおかげでもあるけれど」
相変わらずベルは素直ではない。ペネロペはカチンときたが、ベルの指摘も間違ってはいない。ペネロペが実力以上の力が出せたのは、フィリアーヌのおかげでもある。しかし、ペネロペはいくら正しくてもベルが言うと納得できない。
「そんなことはあなたに言われなくても分かっています!」
ぴしゃっと厳しい一言を言い放った。
「はいはい……。余分なことをいいました」
ベルはそう言って両手を挙げた。ペネロペは厳しいことを言ったが、一応、ベルも2回も見に来たのだ。まあ、エデルガルドに誘われてであろうが、観客には違いない。
「い、一応、お礼は言っておくわ。見てくれてありがとう。そしてエデルガルド様、本当にありがとうございました」
ペネロペは頭を下げた。芝生広場に舞台を作ってくれたのは、エデルガルドのおかげである。もし、舞台がなければここまで人が押しかけなかっただろう。
成功の陰の立役者である。見た目は目つきが悪く意地悪な印象を与えるエデルガルド伯爵令嬢であるが、身分に関係なくこうやって友達を援助してくれる優しい心の持ち主であった。
「まあ、これをきっかけに君もプロの道が開けるとは思うけれど、それは厳しい道だからね。途中でへこたれないようにね」
ベルはそう励ましのような言葉をかけるが、ペネロペには皮肉にしか聞こえない。
「ええ、分かっています。あなたに言われなくても私はこれで生きていくしかないと決めているから。へこたれるような根性はしていない。あなたのようなお坊ちゃまならありえますけど」
「はいはい……」
ベルは適当にそう返事する。そしてペネロペに近づいてくる男を察知した。演出家のマーベリックである。
「ちょっといいかな、ペネロペさん」
マーベリックはエデルガルドやベルをちらりと見たが、聞かれたくない話ではないので、そのまま用件を伝える。
「どうだろうか、ペネロペさん。俺の劇団に所属しないか?」
スカウトである。新進の演出家であるマーベリックは、最近、自分の劇団を立ち上げた。まだ小さな劇団ではあるが、有能な役者をスカウトして将来有望と言われている劇団である。
劇団名は『華炎』。大口のスポンサーもついた裕福な劇団である。
「最初は研究生として。君はセントフォース音楽院を卒業するまで、研究生として基礎を学ぶ。また、途中で歌劇にも出てもらう。そうやって経験を積めば、君は大女優になれる。いや、俺がして見せる」
「いい話じゃない、ねえ、そう思いますわよね、ベル?」
「そうだね」
ベルはそう答えた。これはペネロペにはものすごくいい話だ。チャンスである。音楽院で基礎を学び、プロの舞台で経験もできる。
ペネロペもこの誘いには興味を示した。しかし、少しだけ考えている。ベルにはペネロペがそんな表情をする理由が分かる。
「リットリオのおじさまなら、きっと賛成してくれると思うよ」
そう声をかけた。ペネロペは驚いたような顔をした。ベルの言っていたことを気にしていたのだ。ここまで援助してくれた人がどう思うか心配になったのだ。
しかし、ベルの言う通り、きっとリットリオのおじさまは賛成してくれるだろうとも思っていた。
「分かりました。相談したい人がいるので、その方の意見を聞いてお受けするかどうか決めます」
ペネロペはそう答えた。マーベリックは頷いた。かなりの手ごたえと、自分が逸材を他に先駆けて手に入れた幸運に感謝した。
ペネロペはまだ11歳である。この先、どのくらい女優として力を伸ばしていくか、非常に楽しみである。
「よかったじゃない。マーベリックさんは今、最も勢いのある演出家兼舞台監督。劇団『華炎』の俳優は。マーベリックさんがスカウトしたエリート集団といわれるわ」
ペネロペがマーベリックから劇団に誘われたと聞いて、フィリアーヌはそうお祝いの言葉を述べた。フィリアーヌは既に王国歌劇団に所属しており、今は研究生としてペネロペが提案されたような生活を送っているのだ。




