最終公演
「向こうは最終的には200人程度の観客だったそうよ。それに比べてこちらは1000人の席が埋まる大盛況。アーデル様、勝負はつきましたわ」
1回目の公演を終えて、アーデルの取り巻きたちはそう報告した。それを聞いてアーデルは少し嫌な気がした。
「200人も集まったのですか?」
仮設席は100人と聞いている。その倍の人数ということは、立って見ていた観客が100人もいたということだ。
そしてアーデルの予感は当たってしまった。午後の公演はアーデルたちの歌劇は500人。これは知り合いや関係者、とりあえず見ておこうという客が午前中に集中していたからだ。毎年、観客の数は3日間の間に徐々に減っていくから普通のことだ。
ところがペネロペとフィリアーヌの2人劇は午後の公演では、午前の倍の400人を集めた。午前中に見た生徒が見ていない生徒に声をかけことで、殺到したのだ。立ち見でも見られない事態になった。
すぐに仮設席が増設された。階段状に3段の席が芝生広場に設けられたのだ。これもペネロペを支援するリットリオのおじさまのおかげ。
これにより、観客席は一挙に800人に増えた。しかし、2日目の午後の公演ではさらに立ち見の観客が出た。ざっと1000人は軽く超えている。
2日目のアーデルたちの歌劇は200人ほど。まだ見ていない学生がやってきたが、中には途中で野外歌劇の方が気になって席を立つ者も出てきた。
これはアーデルたちには屈辱的であった。毎年、このような状況になるから、これは普通だと思ったが、ペネロペとフィーリアの野外歌劇が日を追うごとに客が増え、ついに3日目の午前には2000人もの客が押しかけた。
明らかに一度見た人間が何度も見ていることになる。リピーターの客がいなければ、これだけの数を3日目に集めることはできないだろう。
しかし、アーデルたちは空を見上げて最後の公演になる午後には、客は集まらないと思った。空にはどんよりとした雲が覆い、今にも雨が降ってきそうなのだ。
「雨が降れば野外劇は中止。きっと私たちの方へ来ますわ」
そうアーデルの取り巻きの一人が励ますように言った。確かにポツリ、ポツリと雨のしずくが落ちてくる。
公演が始まるまで2時間。激しい雨が降ることだろう。外にいられない観客たちは講堂に行くしかない。そうなれば最終公演に客がいっぱいになることも予想された。
「そうね、どうやら最後には私たちの正当性が勝利するということですわ。あの生意気な後輩2人にお灸を据えておきましょう」
そういうとアーデルは取り巻きたちを引きつれると、野外ステージへと足を運んだ。演技を終えて休憩中のフィリアーヌとペネロペを見つけると、拍手をして笑顔で近づいた。
「自由参加の歌劇でここまでお金をかけた例はあまりないわ。その珍しさのおかげで大盛況のようですけれど……まずは成功おめでとう」
アーデルはそう誉めた。明らかに上から目線である。いきなり現れて、そんな皮肉なことを言われたフィリアーヌとペネロペはきょとんとしている。アーデルは上級生で身分は貴族のお姫様である。
下級生で平民の身分の2人は、皮肉にどう返そうかと悩んだのだ。ペネロペは思いつかず黙った。フィリアーヌが口を開く。
「ありがとうございます、先輩方。自由参加の歌劇で2000人もの観客を集めたのはセントフォース音楽院始まって以来とのことです」
フィリアーヌはそう務めて冷静にお礼を言った。事実を話しただけで当たり障りがない内容だが、アーデルには2000人という数字が不愉快であった。
「ふん。物珍しさに通りがかりの人間が立ち止まっただけでしょ。講堂のようにちゃんとした指定席制ではないのですから」
「はい、その通りです、先輩。講堂でこの歌劇をしたら空いたところにも立ち見客が出て大変なことになったでしょう。先輩たちの歌劇は静かにゆったりと座れて観客も嬉しいですわね」
フィリアーヌの言葉にも刺がある。アーデルは頭に血が上り始めている。
「それはどういうこと。私たちの歌劇の観客数は少ないと?」
「いえいえ、そんなことは思ってもいません。ただ、先ほど午前の講演が終わって講堂から出て来たお客様が30人程だったのでそう思っただけです。まさか、そんなに少ないはずがないでしょうね」
これも事実だが言わなくてもよいことだ。聞いていたペネロペはまずいことになったと思った。フィリアーヌは明らかに喧嘩を売っている。
アーデルは手に持った扇子を握りしめている。小刻みに揺れているのは怒りをこらえているからだろう。
「観客は数ではないわ。上流階級が見る歌劇と一緒にしないでちょうだい。いくら数が多くともきっと見ている観客も程度が悪いんでしょう。程度が悪い客が見る程度の低い歌劇を私も見たいですわ」
「是非いらしてください。先輩たちのために席を確保しておきます」
フィリアーヌは真面目にそう答える。これにはアーデルもキレるが、感情を制御したのはプライドのおかげだ。パチンとアーデルは手にした奥義を左手に打ち付けた。
「見られるわけがないでしょう。同じ時間にわたくしたちも最終公演をするのですから!」
「あら、先輩。見られますわ。先輩たちの歌劇を見る観客は0ですから」
フィリアーヌはそう言い放った。いくらなんでも口が悪すぎる。ペネロペはフィリアーヌの袖口を引っ張った。
アーデルは返答をせず、ものすごい形相でフィリアーヌとペネロペはにらみつけると取り巻きたちを連れて講堂へと帰っていった。
「フィリアーヌ。いくらなんでも先輩に失礼だわ。それにあの先輩は貴族。あまり喧嘩を売るのはよくないと思う」
「……これだから特権階級がある仕組みは嫌いだわ。だれか壊してくれないかしら」
とんでもないことを口にするフィリアーヌ。大口をたたいてアーデルたちを退散させたフィリアーヌであったが、今にも雨が降りそうな天気を見て、さすがに最終公演で講堂の観客を全ていただくことは難しいと思った。雨が激しく振れば、講演を続行することも無理だ。
「困ったわね」
フィリアーヌも空を見上げている。まだ雨は降ってはいないが、午後の最終公演を始める頃には本格的に降るだろう。
野外劇だから屋根はない。観客席もだ。前日に増やして1000人も収容できるようにした仮設席は雨ざらしだ。
「どうする、フィリアーヌ。中止するしかないかな?」
ペネロペもこれでは公演は無理だと思った。しかし、午後の公演を見ようと集まった客たちは誰一人帰ろうとしない。
この熱意を裏切って中止を宣言することはためらわれた。ペネロペがふと見ると、一番よく見える中央の2番目の席にベルとエデルガルドが座っているのが見えた。初日の公演を見たはずだが、もう一度最終公演を見に来たようだ。
ペネロペは少し感動してしまった。あの嫌な男が自分たちの公演を2回も見に来たのだ。しかし、ペネロペはそんな感動は頭を振って捨てた。
ベルが来たのはお見合いをしたエデルガルドに誘われただけだと考えたのだ。エデルガルド伯爵令嬢はベルと同じ歳であるが、ペネロペを差別することなく、応援してくれる。そもそもこの野外ステージを作ってくれたのは、エデルガルドの助力のおかげである。
そして仮設の観客席を作ってくれたのはリットリオのおじさまである。きっとここまでの公演を見てくれたはずである。
(もしかしたら……最後の公演を見に来ているかも……)
今にも雨が降りそうな天気にも関わらず、席に座っている大人の様子を伺う。中にはリットリオのおじさまと同じ歳くらいの初老の紳士も見られる。
きょろきょろしていたペネロペは、大きな荷馬車が何台もやって来るのが見えた。なんだか資材らしきものが荷台にある。
「え、何?」
たくさんの職人が作業をし始めた。なんと天幕を張り始めたのだ。舞台にオーケストラが演奏するところ。そして観客席にも張り始めたのだ。
「これはどういうこと?」
フィリアーヌもペネロペもわけが分からない。すると作業をしている職人を指示していた男がペネロペのところへやってきた。
「今から舞台と観客席に天幕を張ります」
「今から屋根を作るのですか?」
ペネロペは驚いた。昼休憩中とはいえ、公演の開始まで2時間を切っている。
「問題ありません。我々はプロフェッショナルですから」
そう男は胸を叩いた。もう多くの職人たちが天幕を張る工事に取りかかっている。
「これを命じたのはどなたですか?」
ペネロペはそう聞いた。誰かは予想していた。
「とある富豪のお方としか伺っておりません。あそこに立って指示されている方がその富豪の代理人という方ですよ」
男はそう言って遠くで職人たちに指示している背筋の伸びた老人を指さした。その老人はペネロペもよく知っている男である。
(あれは……リットリオのおじさまの執事のベンジャミンさん……)
ペネロペはやはりリットリオのおじさまが天候のことを心配して手配していたのだと思った。こうなったら、ペネロペはリットリオのおじさまの期待に応えるだけだと決意を新たにした。そして天幕の工事は職人たちに任せ、自分はフィリアーヌやオーケストラのメンバーと最後の調整をする。
最後の公演はこの3日間で最も多くの人たちに見てもらう盛大なものになるからだ。




