天才の演技
オーディションの日がやって来た。
選ばれた10人の候補者が審査員の前で演技を披露する。その審査は校内の講堂で披露され、一般公開される。すでに用意された100席はいっぱいだ。
課題は既に候補者に示されている。
ペルージャ姫が恋人の王子と別れる場面だ。
王子は3つの台詞を話す。それに対してペルージャとして返すのだ。ペルージャ姫の設定については、候補者には示されていない。つまり、どんな台詞でも考えようによっては許されるのだ。
(しかし……やはりというか、なんというか……)
新進の若手演出家であるマーベリックは、候補者の演技を見て心の中であくびをしていた。彼は30歳。苦労に苦労を重ねて演劇界で注目される立場を築いた。最近、都で評判の演劇で演出と監督をやり、さらに名声を高めつつあった。
灰色の長髪に少しくきざな銀縁眼鏡。顔色は悪く、俳優たちからは『裏成り』と呼ばれている。日があたらないキュウリやナスのような弱弱しい皮膚の色合いからそうあだ名されていた。
しかし、実力は相当なもので彼に出資する貴族や資産家は多い。本物の才能だと評価されているのだ。
そんなマーベリックは名門とはいえ、貴族のお嬢様が主体のセントフォース音楽院の歌劇のオーディションの審査員を引き受けたことを少し後悔していた。
最初はもしかしたら自分の舞台の使える逸材がいるのではと考えたが、そもそもオーディションの結果は既に決まっている。今、目の前で演じている伯爵令嬢のアーデル姫が役を勝ち取ることになっていた。
所詮は学校の劇である。学校への寄付額や保護者の地位が大きく左右する。もし、彼の目に適う才能の持ち主がいたとしても、彼には何も言えない。新進の演出家ともてはやされているとはいえ、所詮は若造。他の審査員の重鎮たちに逆らってまで推すメリットはないだろう。
「ペルージャ、わたしは城から落ちます。もう2度と会えないかもしれません」
「ああ……愛しい、我が君。そんなことはおっしゃらず、もう一度、会いに来るとおっしゃって……」
振り向きながら王子役の俳優に語りかけるアーデル姫。相当な練習をしてきたようで、表情や台詞の抑揚は悪くはない。
『わたしのことは忘れて、あなたは自分の幸せを考えて生きてください』
「そんなことはおっしゃらないで。わたしには我が君しか将来を誓うお人はおりません……」
『それでは……さらばです。愛しい人よ』
「いかないで、わが君……いかないで……」
アーデル姫は床に倒れ込み、そして片手を伸ばして去っていく王子を引き留める仕草をし、そして視線を地面に落として悲しみを表現する。
会場内に詰めかけた100人ほどの観客の中には思わず(うるっ)とする者もいた。それくらいに見ている者を引き付ける演技をしていた。恐らくプロの指導者にかなり厳しく演技指導を受けていたのだろうとマーベリックは思った。
審査員及び100人の観客はみんな拍手をした。既に演技を終えた7人よりも大きな拍手である。ここまでの最高の演技という評価だ。誰もがこれで決まりだといった雰囲気だ。
(まあ、合格させてもおかしくない演技だった。学生なら十分だろう……。だが、俺の主催する劇団では力不足だな……このくらいのレベルはいくらでもいる)
マーベリックも他の審査員の手前、形ばかりの拍手をしたが内心はこんなことを考えている。
(まずは台詞がありきたりだ。ここまでの候補者の台詞も似たり寄ったり。誰もが考える台詞と展開。そもそもこのオーディションの課題は自由に発想を広げて考え、演じろというものだ。観客が予想するようなセリフと演技ではやる意味がない……)
そうマーベリックは思ったが、他の審査員はそうでもないようだ。ありきたりの展開の中で演技の上手さ、台詞廻しの技術を評価すればよいと考えているようだ。学生にはそれで十分という判断だろう。
現に100人の観客の多くはセントフォース音楽院の生徒とその家族。これだけの拍手がもらえれば学生の芝居としては成功だろう。
だがマーベリックは違う。
(こいつら、見てくれはきれいだが、どいつもバカばっかりだな。所詮は貴族や富裕層のお嬢様。指導者の考えた台詞をしゃべっているだけ。自分のものになっていない)
マーベリックはここまでそう評価した。その中では演技を終えたアーデル姫は一番だろうが。
「次は9番。フィリアーヌ・ルフェーブル嬢です」
マーベリックはその名前を聞いて座り直した。実はマーベリックがこの審査員を引き受けたのは、彼女の名前を見たから。まだ少女ながら有名女優と劇作家の娘というサラブレッド。そしてそれが七光りではない天才と噂されているのが本当か見たいと思ったからだ。
もちろん、その天才少女でも今日のオーディションは落選が決まっている。どんな素晴らしい演技をしようが既に結果はできレース。ヒロインのペルージャ姫役はやれない。
「ペルージャ、わたしは城から落ちます。もう2度と会えないかもしれません」
王子役がそう言うと、ペルージャ姫に扮したフィリアーヌはそっと王子から視線を外し、一言も話さず後ろを向いた。
(な、なんだ……この感情表現は……)
マーベリックは思わず身を乗り出した。背中だけで別れる悲しみがあふれている。フィリアーヌは一言も話さない。話さないからこそ、別れがたい感情が通説に伝わって来るのだ。
王子役は台詞がないので一呼吸置いたがそれがさらに2人だけの世界を際立たせた。
「わたしのことは忘れて、あなたは自分の幸せを考えて生きてください」
王子役は次の台詞を口にした。ここでフィリアーヌは振り返った。その時の表情で見ている者は全員涙があふれてしまった。ここにいる100人のほとんどが同じであった。そしてみんなの視線がフィリアーヌに注がれる。
なんとも言えない悲しみにあふれた表情。そしておもむろに手を動かす。パントマイムである。見ている者は何をしているかすぐに分かった。
(ああ……窓に咲いているバラの花だ……色まで見えるようだ。それを折り、口にくわえた……これだけで分かる。わたしはあなたのもの。あなたが帰って来るまで一人で待つわ……と伝わる)
マーベリックは息を飲んだ。この少女の表現力は異次元だ。そこにないものを見ている者に想像させる。
『それでは……さらばです。愛しい人よ』
王子役がそう最後の台詞を言って去る。
口にくわえたバラの花が落ちていく。そのように見ている者には見えた。少しだけ、フィリアーヌの口が開いたからだ。それはこの演技の中で、最初で最後の言葉を発する瞬間であった。
「い・か・な・い・で……」
一言であった。しかし見ている者の心に突き刺さる一言だ。見ている者は全て息をするのを忘れた。
(なるほど……。これは演出としても超一流だ。このあとに悲しみを込めた歌をソロで歌えば観客は総立ちになるであろう。その後の展開も考えた演技だ)
シーンと静まり返っているのはあまりの感動から。我に返った者が拍手をし、そしてそれは全員に広がった。全員が総立ちになる。
(すばらしい……。つまらぬ仕事を引き受けたと思ったが、これは収穫だ。今度の俺の作品に彼女を出す)
マーベリックも立ち上がり拍手をしてそう決めた。噂の天才少女は、まさに天才。100年に1人出るかというレベルの天才だと評価した。
会場の興奮冷めやらぬ中、最後の演技者の名前が告げられた。観客たちはどよめきながら渋々と座る。誰もが余韻に浸りたいという思いであった。




