第2の手口
「アイリーン、本当に子どもを殺すの?」
そう黒髪の若い男は声を潜めてアイリーンに尋ねる。アイリーンはそんな男の腕を取り、耳元でこう囁く。悪魔の囁きだ。
「そうよ。あの猿を殺さないと私もお前もあの人に殺されるわ」
アイリーンの真剣な表情に若い男の背中に冷たいものが走った。アイリーンがあの人というのは、この屋敷の主人。アイリーンの年の離れた旦那である。
「だけど、アイリーン。せっかく生んだのにどうして殺しちゃうの?」
若者は見るからに軽薄な容貌。金持ちマダムと短期間のアバンチュールで金を得ている貴族の三男。こんな男は貴族社会にゴロゴロといる。洞察力がないから自分で考えて理解することができない。
「そんなこと決まっているわ。あの猿はあの人の子どもじゃないからよ」
そんな大変な告白を聞いてしまった若者。ただ、やはり考える力がないから惚けた返答しかできない。
「そりゃ、お盛んなアイリーンのことだから、そういうこともあると思うけど。それに貴族社会じゃ、別に珍しいことじゃない……あ、でも、このコンスタンツア家は大金持ちだけど、貴族じゃなかったね」
「そうよ、爵位なしの平民よ」
アイリーンの口調は自虐的である。まるで平民は同じ人間ではないみたいに感じていることがありありである。
「でも、貴族も羨む大金持ちの商家じゃん。ボクからすると、羨ましい限りだよ。王族と匹敵するくらいの贅沢できる」
「……それも離婚されなかった場合よ。あの猿が自分の種じゃなかったと知ったら、私は離縁されるわ。そしてあなたは殺される」
「な、なんで……ボクが?」
若者は自分が殺されると聞いて驚いた。
「当たり前よ。あの猿の種はあなただからよ!」
アイリーンはそう言ったが、若者は首を振った。そんなことを突然告白されてもついていけない。
「な、なんでボクの子ども……アイリーンにはボクの他にもお気に入りの男が七、八人いるでしょ」
これは事実である。この黒髪の貴族のバカ息子を始め、他の貴族の子弟、陸軍の軍人、画家の卵の青年等、八人の愛人をアイリーンは囲っていた。
「あの猿の髪の色は黒よ。瞳も黒。私は金髪に青い瞳、そしてあの人は銀髪に灰色の瞳。どう考えても違う種って思われるわ。そしてあなたの髪の色に瞳の色」
「だからと言って、ボクが父親って……」
正直、やることはやっている。だから否定はできないが、若者に取って他の何人もいる愛人の一人。言わば、退屈なお姫様の遊び相手をしていただけである。子どもの父親と言われても素直に喜べない。
そしてそう断定されると、若者は困る。それは死に直結する恐怖だ。なぜなら、アイリーンが嫁いだコンスタンツア家は大金持ちで、さらに裏の組織とのつながりがあるという噂があるからだ。
さすがに大金持ちとはいえ、平民のコンスタンツア家が貴族を処刑にはできないだろうが、後ろ盾の弱い貴族の三男坊など、姦通の罪で裏から手を回し抹殺することくらいはするかもしれない。
「こ、困るよ……アイリーン。ボクの子じゃないよ。髪の色で決められても困るよ」
若者は自分の髪が黒髪であることを呪った。
「大丈夫よ、あの猿を殺してしまえば問題ないわ。あの人が帰ってくるのは三か月後よ」
幸い、穀物の取引を主な仕事にしている大商人の旦那は、激しい戦争の最中でも商売に忙しく、自分の子供が生まれたと聞いてもすぐに戻れない状態だ。
赤ん坊を殺してもしれっと事故に見せかけることは容易であった。この世界では子供は生まれても死んでしまう確率は高いのだ。
「簡単よ。今日は階段から直接落として殺す……」
アイリーンは焦っていた。以前、口と鼻を塞いで窒息死をさせようと試みたが、赤ん坊のおむつが偶然にはがれて、おしっこをかけられて中断してしまった。
そこで今度は自分が抱っこして階段から赤ちゃんを落として殺すことにした。ただ、このやり方だとアイリーン自身に責任が生じるから、アイリーンが抱っこして歩き、後ろから付いてくるメイドのせいにする。
若者が物陰からメイドに衝突し、その勢いでメイドがアイリーンに接触。大げさにアイリーンが赤子を階段下に落とす。
二階から続く30段もの階段を生後3か月ほどの赤ん坊が落ちれば、間違いなく死ぬに違いない。
ぶつかった若者はしらばっくれて、全てメイドのせいにすればよい、メイドが不注意でつまずき、アイリーンに体当たりしてしまう。アイリーンは悲劇の母親となり、メイドは跡継ぎ殺しの罪で処刑だろう。